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188年 霊渠と交州03

劉憲の静かな言葉が、薬茶の器が床に置かれる乾いた音と共に響くと、先ほどまで高床の家屋を重苦しく満たしていた南国特有の湿った熱気が、にわかに涼やかな風によってすっと洗い流されるかのような、奇妙な静寂へと変わった。


「交易所は十日に一度、里と平原の境界に置こう。それ以外の場所での商売は基本、一切禁止とする」


劉憲が、指先で卓の上に一本の線を引くように実務的な提案を淡々と進める間、彼の脳裏には、零陵という峻険な地が持つ特殊な二重構造が、極めて俯瞰的な透視図のように描かれていた。

漢族の平地官吏が不用意に深い山へと入れば、不慣れな環境ゆえに山岳の民への過剰な恐怖を抱き、それが結果として無駄な武装と不必要な衝突を招く。

逆に、山の民が平原を我が物顔で自由に歩き回れば、言葉や習慣の無知ゆえの諍いが市井で起きる。

劉憲にとって「境界」を厳格に定めることは、決して異分子を排斥するための壁ではなく、互いの安全と尊厳、そして命を守るために必要な、絶対的な「緩衝地帯」を設けることに他ならなかった。


「周朝殿、一族や豪族の中から漢族のくだらぬ矜持を振りかざさぬ、柔軟な若者を選び出してくれ。

彼らを山の集落へ送り、山の民に文字と算術を教え込ませるのだ。その代わりとして、我らは彼らから、この険しい山の正しい歩き方と、獣を狩るための道を学ぶ」


このあまりに突飛な提案に、覃尞は思わず太ももに置いていた手を離し、大きな身体を前のめりに乗り出した。その剥き出しの瞳には、漢人に対する積年の疑念の色が濃く滲んでいる。


「……太守殿、あんたの言うことはどうにも不可解だ。我ら山の者が漢の文字を知り、数の計算に明るくなれば、お主ら平地の商人が我らを言葉巧みに騙し、不当に安い値で山の品を奪うことが難しくなる。なぜ、わざわざ我らに知恵という武器を授けるのだ」


覃尞の喉の奥から絞り出された問いは、歴代の零陵太守や欲深き官吏たちが、山の民を「無知で言葉の通じぬ都合の良い獲物」として扱い、徹底的に搾取してきた血生臭い歴史の裏返しであった。

それに対し、劉憲は心底不思議そうに首を傾げ、悪びれる様子もなく微笑んだ。


「なぜ、この零陵の太守である私が、我が民を騙し、その日々の生活を損なうような愚を冒さねばならぬのだ?

太守の役目とは、天から預かった徳と法をもって地を富ませ、あらゆる者に安寧と秩序をもたらすこと。……民が賢くなり、自らの正当な権利を交易の場で堂々と主張できるようになることは、無知ゆえの統治の混乱や無駄な暴動を防ぐ、最も手っ取り早い近道ではないか」


「我が民……と、いま言ったか? あんたは、朝廷の戸籍にも乗らぬ我らを、その掌の内の一人として数えるというのか」


覃尞の分厚い口元が、わずかに震えた。

洛陽の中央から来る官吏にとって、山の民は常に「武力で教化すべき野蛮な対象」か、さもなくば「根絶やしにすべき統治の障害」でしかなかった。しかし、目の前の若い太守の口から出た「我が民」という響きには、へつらいも、その場しのぎの打算や飾りも一切なかった。

劉憲にとっての領民とは、絹地に墨で記された戸籍の数字などではなく、その土地に田畑を耕し根ざし、確かな生産と消費を担う、血の通った生々しい「力」そのものなのであった。


「平原での物流の実務は、すべて周朝殿ら地元の豪族に一任する。ただし、特定の家にだけ莫大な利が偏らぬよう、互いの間でうまく分配しろ。……人間の不満というものは、常に偏った富から生まれる争いの元だ」


周朝は、劉憲が示すこの「公平さ」への異常なまでの執着に、背筋が寒くなるような驚きを禁じ得なかった。

世の多くの官吏は、現地の最も有力な豪族とだけ深く結託し、甘い汁を吸わせて手っ取り早く自らの私腹を肥やす。だが、劉憲はあえて豪族同士を適度に競わせ、あるいは融和させることで、自分という一人の太守の権力に依存しない、地域全体で回る「自律的な経済圏」を着実に築こうとしている。それは、いつか自分がこの零陵の地を去った後も、永久にこの地が乱れぬようにするための、深謀遠慮であった。


「……だが太守殿、お言葉ながら、それでは今まで山の民から不当な利を上げて肥え太ってきた、城内の既存の古参の官吏たちはどうするのです。既得権益を奪われた彼らから、それこそ凄まじい反発と不満が出ますぞ」


周朝の現実的な懸念に対し、劉憲は冷たく、それでいてどこまでも透き通るような静かな眼差しを向けた。


「我が民を陰で虐げ続け、民が流す血と汗以上の利を貪ろうとする不正官吏など、そもそもこれからの我が零陵の地に、一粒たりとも必要か?」


その声には、一切の容赦も、揺らぎもなかった。

劉憲にとって、自らの統治の邪魔となる「社会の膿」を容赦なく絞り出す行為は、春の農作の邪魔になる雑草を田畑から淡々と引き抜くのと同じ、極めて事務的かつ必然的な処置に過ぎない。


「……違いない。全くだ、ハハハ!」


覃尞と周朝は、互いの顔を見合わせると、同時に腹の底から大きな声を上げて笑った。

かつてこれほどまでに冷徹で公正であり、かつ、これほどまでに奥深い慈悲を持つ「親」のような統治者が、この零陵の泥深き山河に降り立ったことがあっただろうか。

山の蛮族の長と、平地の老練な豪族。これまで水と油のように反目し合い、互いに結びつきながらも首を狙いあってきた二つの巨大な勢力が、劉憲という不敵な一人の男を絶対的な核にして、今、初めて同じ方向を向いて力強く動き出そうとしていた。


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