186年 趙慈の乱05
新野の重い木製の城門が、内側から軋んだ音を立てて開き、江夏兵の怒りから始まった趙慈の乱は、周囲の誰もが呆気にとられるほど急速に終息へと向かっていった。
新野を数千の凄惨な首級をもって文字通り力任せに攻め落とした、羊続の清廉でありながらも容赦のない苛烈な一撃と、それに続いて城内に響き渡った、水のように穏やかな降伏の呼びかけ。
そして、蔡陽の堅牢な壁を一滴の血も流さずに無傷で切り崩してみせた、劉憲の見えざる影の手による調略。
この硬軟を極限まで織り交ぜた電撃的な鎮圧劇を目の当たりにし、その腹に反乱の仄黒い火種を密かに抱えていた章陵などの諸県も、恐れをなして雪崩を打つように官軍の軍門へと降っていった。
激しい鎮圧戦が終わった後の、新野城内。
未だに白く立ち昇る煙の、喉を刺すような焦げの臭いと、焼けた木材の匂いが充満する役所の一室で、新任太守・羊続は、血に汚れた甲冑を纏った将兵を一人ひとり目の前に呼び出していた。
戦時ゆえの臨時の太守権限を使い、それぞれの具体的な功績をその場で厳正に処理するため、彼は自らの澄んだ目で帳簿と男たちの顔を確かめていた。最後に部屋へと現れた劉憲に対し、羊続は老練な、しかしすべてを見透かすような眼差しを向け、重々しく問いかけた。
「此度の趙慈の鎮圧において、要衝である蔡陽を完全に無傷のまま掌中に収めた其方の働きは、極めて大きい。劉憲よ、儂から朝廷へ上奏する恩賞は何が良い。何なりと望みを申してみよ」
周囲に控える他の将たちが、これほどの軍功であれば、今や空位となっているどこかの周辺郡の太守への推挙か、あるいは車に積め切れぬほどの金銀財宝を求めるのだろうと、唾を呑んで二人のやり取りを見守る中、劉憲はいつものように薄く、霧のように捉えどころのない笑みをその唇に浮かべて静かに答えた。
「私がこの戦の報酬として望むことは、僅かに三つございます。一つは、我が呼びかけに応じて蔡陽の門を開き、降伏した数千の兵たちの助命を、太守の権限で確たるものにしていただきたい。
二つ目は、此度の過酷な出撃に耐え抜いた、我が湖陽の兵たちへの、法に則った正当な恩賞の授与。
そして三つ目……これが何よりも最も肝要にございますが、先の戦いで前太守・秦頡が不当に着服したという、江夏兵に対する一昨年の黄巾の乱の際の正当な恩賞を、今この場で、彼らの手のひらにすべて支払っていただきたいのです」
「……他人のことばかりだな。劉憲、其方自身の功に対する、其方への報いはどこにあるのだ」
羊続は、手にした筆の先を硯に浸すことも忘れ、その鋭い眉を寄せて問いを重ねた。劉憲は、まるで他人事のように小さく肩をすくめると、事も無げに言葉を付け加えた。
「私個人の身へは、宛か、あるいはこの新野の街の中に、小さな屋敷を一つ買い持つことをお認めいただければ、それで十分にございますよ。たまにはあの湖陽の、どこまでもまとわりつく深い泥を綺麗に洗い落として、乾いた床の上でゆっくりと眠りたいものですからな」
その無欲とも取れる淡々とした答えに、室内に居並ぶ将たちは、なんと欲のない清廉な男なのだと深く感嘆し、あるいは、手柄を自ら捨てるような呆れた変人だな、と呆れ顔で苦笑を漏らした。
しかし、目の前の若者の恐るべき策謀を知る羊続だけは、劉憲が並べた三つの望みの裏にある真意を瞬時に察し、五月の暑さの中であるというのに、自らの背筋を冷たい不気味なものが走り抜けるのを明確に感じていた。
死を待つばかりだった降兵の命を救い、冷遇されて朝廷を恨んでいた江夏兵の金銭的な不満を完璧に解消してやれば、彼らが抱く狂信的なまでの忠誠の矛先は、もはや洛陽の天子ではなく、それをもたらした劉憲という個人へと真っ直ぐに向かう。
そして、南陽全土の軍事と経済の要衝である宛や新野に、合法的に私的な拠点を持つということは、そこに将来、私兵や物資をいくらでも潜ませるための、官の目の届かぬ暗い穴を深く掘るに等しい行為であった。
「……其方がその若き頭で何を企んでいるか、この老いぼれの目にはおよその見当がつく。だがな、そのあまりに危うい秤の先には、私欲の塊ではなく、飢える民の安寧という大義が確かにあることも、また信じられよう」
羊続は深く、胸の奥の澱を吐き出すように溜息をつくと、劉憲の底の知れない瞳を真っ直ぐに見据えて告げた。
「よかろう。すべては厳正に、この国の法に基づいて行おう。前太守が不正に私腹を肥やして蓄財していた頑丈な倉庫を開き、一度天子に上奏を図ったのち、江夏兵どもの長年の怨嗟を綺麗に晴らしてやろう。
其方が南陽のいずこかの街にささやかな屋敷を買い求める許可を出すことも、法に則った正当な戦功の報償として儂が処理する」
「太守殿の至大なる御配慮、ありがたき幸せに存じます」
深く、美しく頭を下げる劉憲の影が、窓から差し込む新野の赤い夕闇の中に、どこまでも長く不気味に伸びていた。羊続という、朝廷をも黙らせる清廉無比な巨大な盾を手に入れたことで、劉憲は恩義という名の一滴の血も流さぬ見えない軍勢の網を、南陽全土の地底へと確実に張り巡らせようとしていたのである。
荊州を大きく揺るがした趙慈の乱は、一人の貪欲な男の懐を肥やすのではなく、劉憲という不気味な存在の影響力という名の、巨大な基盤を泥の中で固める結果として、静かに幕を閉じた。
その後しばらくの間は、奇跡的な静寂が荊州の湿地帯へと戻り、季節は巡って中平三年、十月。
秋のすべての収穫を無事に終えた湖陽の地は、見渡す限りの黄金色の穂が消え去り、刈り取られた後の乾いた藁の匂いと、冷たい北風が吹き抜ける静寂に包まれていた。
白河の水面は晩秋の冷気を含んで硬く澄み渡り、夕暮れの斜光を浴びて、まるで冷えたガラスのように鈍い光の屈折を放っている。劉憲は、開墾の最中に着る泥にまみれた粗末な袴を脱ぎ捨てることもなく、各地の豪族たちから届く、山のような文のやり取りや、前庭で行われる兵たちの激しい弩の訓練の指揮に明け暮れていた。
「孝子、今日の夕餉の羹には、新野の屋敷の裏手で採れたという、少し大ぶりの蕪を入れておきましたよ。湖陽の泥で育ったものよりは、幾分か肌が白くて甘みがあります。
それと、これが先月分の各地の塩の取引の木簡です。宛の倉庫に預けてある分だけで、冬を越すには十分な蓄えになりますな」
李厳が、新しく新調したばかりの目の詰まった葦の紙を机に広げ、冷えた指先で筆の竹軸を回しながら声をかけた。部屋の中には、台所から漂ってくる小豆を煮炊きする甘い匂いと、馬厩舎の古い藁の匂いが混ざり合って漂っている。
「新野の蕪か。わざわざあそこの屋敷の管理を任せている老人に、ここまで運ばせたのか。正方、お前は本当に、私の手の届く範囲のものを正確に管理するのが好きだな」
劉憲が書類から目を上げ、薄く笑いかけたその時、部屋の蔺を乱暴に押し開けて、一人の息を切らした伝令の兵が転込むようにして入ってきた。
その衣服からは、長く馬を走らせてきたことによる、激しい獣の汗の臭いが立ち籠めている。以前から劉憲が最も懸念していた、南方の武陵蛮の蜂起の報であった。
「……ついに、武陵蛮が立ったか。羊続様と荊州南部を巡った折、曹寅の目が厳しくて、あの地の部族の頭目たちに直接接触して誼を結べなかったのが、今になって悔やまれるな」
劉憲は、手にした筆を机に置き、その言葉に僅かな悔しさを滲ませながら、膝に手を置いて詳細を問うた。だが、伝令のもたらしたその戦の結末は、劉憲の予想に反して、意外なほどに呆気なく、そして早すぎるものであった。
「は、それが……武陵蛮の軍勢は、数こそ多かったものの、所詮は山野の民。軍としての統制が一切取れておらず、平原での官軍の戦術にも全く不慣れであったため、太守・曹寅殿の放った矢によって、首魁が戦の早々に討ち取られました。
残された兵たちは雪崩を打って散り散りになり、奥深い山へと逃走したとのことです。曹寅殿の軍も、険しい山道での深追いを恐れ、すでに全軍を城へと撤退させたようでございます」
その意外な報告を聞き終えると、劉憲は木椅子に深くその身体を預け、静かに目を閉じて深い思考の海へと沈んでいった。部屋の隅では、黄忠が何も言わず、愛用の長弓の木肌を油の染み込んだ布で静かに、何度も往復させて磨く音だけが擦れて響いている。
武陵蛮の反乱そのものは、実質的な軍事的脅威としては、一瞬で消え去ったのかもしれない。しかし、劉憲はその後に生じる、人間の醜い恐慌の余波こそが、真の嵐をこの荊州へ呼ぶと確信していた。
「戦が終わったからといって、これで終わりではないな。反乱が一度起きればな、自らの統治の苛烈さに身に覚えのある太守や周辺の無能な官吏ほど、次に己の首が狙われるのではないかと怯え、狂ったように私兵を増やし、城壁を無駄に高くして守りを固めようとするものだ。
では、その急に必要となった膨大な軍資金や麦は、一体どこから出る。……決まっている、冬を目前に控えた哀れな民から、容赦なく絞り上げる臨時の重税だ。この寒さの中で食糧を根こそぎ奪われれば、各地の豪族も民も、いよいよ後がなくなるぞ」
もしも、追い詰められた人間たちが再びその手に武器を持って立ち上がるならば、それは食糧の備蓄に激しい不安を覚えるこの冬の直前か、あるいは、蔵の底が完全に突き突く来年の春先。劉憲がゆっくりと目を開いた時、その瞳の奥には、冬の氷のような光が鋭く光っていた。
「周倉、すぐに動け。各地の県令や、怯えた太守どもが慌てて守兵を募り始めたら、我が湖陽の息の懸かった、特に口の堅い腕利きの男たちを、流民や傭兵のふりをさせて大量にその城内へと送り込め。
彼らが手にする装備は、周りの正規軍に見劣りせぬ頑丈なものを、湖陽の工房の底から与えておけ。彼らにはな、城の内側の最も特等席から、これから吹く不穏な風の向きをじっくりと見張ってもらう」
「御意に。今夜中に、最初の百人を出立させます」
部屋の影から、周倉が巨躯を揺らして静かに応じた。
「正方、お前は私が春の旅で誼を結んできた、各地のまともな豪族たちへ急ぎ極秘の書簡を送れ。今は王叡や曹寅の無理な要求にもただ静かに耐え、己の兵の統率を第一に泥の中で鍛えながら、真の機が熟すのを待て、とな。
……焦って個別に立ち上がれば、あの哀れな武陵蛮と全く同じ轍を踏み、太守の私兵や官軍の錆びた刃の餌食になるだけだ」
李厳が重々しく頷き、筆を執るために席を立った。その時、それまで部屋の隅で黙って弓を磨き、話を聞いていた老将・黄忠が、布を動かす手をぴたりと止め、重々しく、そして鋭い口を開いた。
「孝子よ……。お主のやっていることは、実に鮮やかだ。だがな、まさかお主、各地の豪族や民の不満を裏で細かく操り、荊州全土の反乱を自ら主導して天下をひっくり返すつもりではあるまいな。
もしそんな真似をすれば、いかに清廉で、お主を実の息子のように目をかけてくださる羊続様とて、朝廷の手前、お主を庇い立てすることは絶対にできんぞ」
長年、数々の栄枯盛衰を見てきた経験豊富な将ならではの、胸を突く鋭い懸念。しかし、劉憲は鏡のように静かで、一切の波紋を立てない美しい微笑をその顔に浮かべ、迷うことなく言い切った。
「滅相もございませんよ、漢升殿。私はあくまで、天子陛下の忠実なる臣下たる、この湖陽のしがない一県令にすぎません。……もしも、各地で不届きな反乱が本当に起きたなら、私は全力を以て、その鎮圧のために真っ先に軍を率いて赴くつもりですよ。
もっともな、その激しい鎮圧の最中、城の内側や戦場で一体何が起きるかは、その時々の天の配剤が教えてくれるでしょうがね」
その劉憲の笑みは、夕暮れの淡い陽光をきらきらと跳ね返す、湖陽のどこまでも深い水面のように美しく、そしてどこまで行っても底が見えなかった。
暴動を鎮めるという、朝廷に対する絶対的な大義名分を最大の盾に掲げ、古い弊害をその根底から根こそぎ封じ去る――その老獪なまでの計略の網は、冬の冷たい寒気よりも遥かに早く、そして確実に、荊州の大地を音もなく侵食し始めていた。




