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186年 趙慈の乱02

中平三年、二月。徐璆が刺史の座を追われたという、胸の奥を重く沈めさせるような衝撃の余韻も未だ冷めやらぬうちに、荊州全土の地盤を根底から激震させるような、更なる凶報が湖陽の粗末な役所へと飛び込んできた。


凍てつく北風が湿原の枯れ葦をなぎ倒し、白河のあちこちに薄く張った氷が日中のわずかな陽光で融けかかる時、大気には特有の、冷たい水の動く匂いと、底に溜まった泥の生臭さが混じり合って立ち込めていた。部屋の隅の炭盆では、爆ぜる力さえ失った灰色の炭が、かすかに白い煙を上げながら鼻をつく香りを漂わせている。


「……江夏郡の兵、趙慈が反乱を起こし、新野において南陽太守・秦頡殿を急襲。秦頡殿は応戦するも逃げ場を失い、討ち死に。反乱軍はその勢いのまま、周辺の六県を瞬く間に陥落させた、と」


洛陽からの公文書ではなく、泥まみれの密偵が懐から取り出した、汗と馬の脂の匂いが染み付いた木簡を凝視しながら、劉憲は低く呟いた。その指先は、暖をまともに取れていない木机の冷徹な手触りをそのまま拾い上げている。


「孝子、新野の市から買いつけておいた麦粉の袋、まだ三袋ほど届いておりません。新野が落ちたとなれば、強欲な商人のことだ、趙慈の乱を言い訳に代金だけを掠め取って雲隠れするやもしれませんね。全く、困ったものです」


李厳が冷え切った白湯の入った素焼きの碗を劉憲の傍らに置きながら、眉の根を寄せて実務的な不満を漏らした。碗からは微かな湯気が立ち上り、歪んだ窓の格子を抜けてくる冬の薄い光の中で、白く揺らめいては消えていく。


「正方よ、今は三袋の麦粉よりも、太守の首が飛んだことの重さを心配すべきではないか。仲業などは、先ほどから新調したばかりの長槍の石突を、床板が割れるほどの勢いで何度も叩きつけておるぞ。

若者は血の気が多くていかん。私の膝が、またこの冷気で疼きだしたというのに、部屋の中で騒がれては耳の奥まで痛む」


黄忠が愛用の強弓の弦を緩め、木床にどっかりと腰を下ろしながら、苦笑いを浮かべて文聘のいる前庭のほうを顎で指した。彼の纏う古い革の外套からは、長年戦場を共にしてきた乾いた獣脂と、鉄錆の混じり合った独特の匂いがしている。


「漢升殿そのような事より、新野の防衛線が崩れたことへの対処です。しかし、どうしても解せない。なぜ江夏郡の反乱軍が、わざわざ自らの郡境を越えてまで、南陽の太守である秦頡殿を執拗に狙い撃ちにしたのだ。太守を殺せば、朝廷が激怒して大軍を動かすことなど、趙慈とて分かっているはずだろうに」


劉憲は白湯の碗を両手で包み込み、その微かな熱を掌に吸い込ませながら、疑問を口にした。その問いに、戦場の表だけでなく、裏に蠢く人間の醜い欲望までを知り尽くした老将・黄忠が、口の中に残る苦い茶の葉を噛み潰したような顔で、再び口を開いた。


「江夏郡という土地はな、昔から江夏蛮と呼ばれる山野の民が跋扈しており、地元豪族の力も強く、役人の売官さえまともに行えぬほど統治が難しい。ゆえに太守の座は、誰が行っても命がいくつあっても足りぬと恐れられ、長らく空位のままであった。

……一昨年の黄巾の乱の際、秦頡殿は南陽の兵だけでなく、その江夏の兵をも合同で指揮して宛城を攻めたのだ。だが、その戦が終わった折、江夏の兵たちに等しく与えられるべきであった朝廷からの恩賞や米の大部分を、秦頡殿は己の懐へと密かに吸い込んだ。

江夏の兵どもは、飢えと寒さの中で泥を啜りながら戦ったというのに、一粒の報いも得られずに国境へ追い返されたのだよ」


黄忠の言葉が部屋の冷たい空気に落ちた瞬間、劉憲は深く息を吐き出し、天井の煤けた梁を見上げるようにして天を仰いだ。


「なるほどな……。奪われた恩賞の重さと、仲間の死に対する怒りが、二年の歳月を経て南陽の地で爆発したというわけか。

となると、あの宛城の戦いの後、湖陽県令という名の、誰もが見捨てるような水浸しの湿地帯を恩賞らしきものとして投げ与えられた我らは、あの男の基準からすれば、まだ随分とマシな方に分類されていたのだな」


かつて自分を排斥し、不毛の湿地へと追いやった冷酷な男の、あまりに皮肉で、そして自業自得と言うほかない凄惨な最期であった。劉憲は額を押さえ、冷え切った机の端を人差し指でトントンと規則的に叩いた。

秦頡という男が乱の中で果てたこと自体に、一滴の同情も湧きはしなかったが、その男が遺していった最悪の後始末が、今まさに自分たちが血を流して築き上げつつある湖陽の平穏を、外側から容赦なく脅かそうとしていることこそが最大の問題であった。


「して、新しく着任したばかりの刺史・王叡と、太守を討ち取って勢いに乗る趙慈の、現在の具体的な動きはどうなっていますか?」


李厳が、書きかけの書類の端に溜まった余分な墨を吸わせながら、鋭い目を情報の持ち帰った密偵に向けた。密偵の男は、寒さで赤く腫れ上がった耳をさすりながら、力なく首を振った。


「何も。というより、新任の王叡殿は、趙慈の軍勢のあまりの狂暴さに完全に恐れをなしたのか、荊州の公金を掻き集めて己の屋敷の周りに私兵の壁を何重にも固め、奥の寝所に引き篭もっているようです。

南陽の各県へ援軍を出す気配など、毛頭ございませぬ。一方の趙慈は、新野を含む周辺の六県を血に染めて陥落させた後、それ以上は乱を外へ拡大させる様子もなく、奪い取った新野城の頑丈な壁の中に、兵糧を溜め込んで立て籠もったまま一切の動きを止めております」


「……あの洛陽の去勢された犬め。少しは刺史としての体面を気にするかと思えば、期待した私が底抜けの馬鹿であったな」


劉憲は、光の届かぬ部屋の暗がりに向かって、暗く沈んだ声で吐き捨てた。しかし、次の瞬間には即座に顔を上げ、その瞳に冷ややかな光を宿して、側に控える文聘と黄忠を交互に見つめた。


「気が重い仕事だが、上に立つ王叡が泥の中で震えて動かんと言うのなら、我らがこの湖陽の手を動かすしかない。

万が一にでも、趙慈の略奪の勢力がこの湖陽や、冬を越してようやく息を吹き返した周辺の村邑にまで広がれば、我らの平穏な冬の成果もすべて台無しになる。仲業、周辺の各県にすぐさま早馬を送り、城門を閉じて守備を固めるよう、湖陽県令の名で警告の書簡を届けよ。それと周倉、どこへ行った」


「ここに」


部屋の扉の影から、冷たい外気と共に周倉が巨躯を現した。その大きな手のひらには、白河の見張り台から持ち帰ったばかりの、夜露で濡れた冷たい木札が握られている。


「湖陽の防衛線を、今夜から一段引き上げろ。趙慈の兵どもが水路を使って侵入してくる可能性が高い。特に白河沿いの葦の茂み、あの見張りの数をこれまでの倍に増やせ。怪しい舟があれば、警告なしに弩を撃ち込んでも構わん」


「御意」


文聘と周倉が、それぞれの革帯を軋ませながら、足早に役所の幕舎を出ていく。板床を踏み締める重い足音が遠ざかった後、残された李厳が、机の上に広げられた、何度も指でなぞられて端が擦り切れた地図の、南陽と江夏の境界線を見つめながら、静かに呟いた。


「秦頡が消え、王叡が奥に籠もる。荊州の頭を張るべき『官』の存在が、事実上いなくなったも同然ですね、孝子」


「ああ、正方の言う通りだ。これからは、誰も我らの頭を上から守ってはくれん」


劉憲は白湯の碗を机に置き、窓の外に広がる、二月のどんよりとした灰色の空を見つめた。薄暗い光の屈折が、彼の瞳の奥にある冷酷な計算を浮かび上がらせている。


「そして同時にな……。我らの手足をこれまで不当に縛り付けていた、あの鬱陶しい官の鎖もまた、一つ綺麗に消え去ったということだ」


劉憲の瞳には、世の破滅的な乱れに対する深い憤りと全く同じほど、この訪れた混沌の隙間をいかに利用し、民のための足元をより深く固めて生き残るかという、鋭い打算が静かに宿っていた。荊州の低い空を厚く覆う暗雲は、やがて冷たい大粒の雨となって、湖陽の広大な湿原をさらに深く、そして暗い影で染め上げようとしていた。

史実メモ:2月、江夏の兵であった趙慈が反乱を起こし、南陽太守の秦頡を殺害。

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