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一人暮らしの部屋にドッペルゲンガーが棲み着いた|第9話:幻の同居人

瞼を灼く光が覚醒を促す。

低く圧迫感のある天井が視界に飛び込んできた。


身体の節々が痛い。

正午を回ったのだろう、光の色温度が若干低い。


紛れもなくイツカの自室だが、いつの間に帰ってきたのか。

自分そっくりの妖怪と戦ってから記憶がない。

身体を起こそうとした瞬間、床についた右前腕がずきりと疼く。


ここにいるということは、誰かが運んでくれたのだろう。

心当たりは一人しかいない。

だが、それを確かめる気にはなれなかった。


横の梯子を伝って寝床から下りる。

電装具足(セキュリティ)はメンテナンスに出したという書き置きがあった。

ロフト式の室内構造は無駄がない反面、蒸し暑くなりがちだ。


ここは建国府の長屋寮でも低ランクの一室。

壁が薄く、生活音が筒抜けだ。雨漏りもひどい。

辛うじて個室の体を保っている分、雑魚寝よりはマシと言えようが。


右前腕部の包帯を外すと、浅い刀傷が現れる。

どうやら未明のことは「現実」らしい。


異経37号亜種の感染疑惑について、どう職場に申し出るか頭を悩ませる。

原種が鎮圧されたとは言え、建国府からすれば異経37号は黒歴史だ。


特に自覚症状はない。

しかし、就任したばかりのヤクモに面倒をかけることは避けたい。


それにしても妙だった。

棚に積み上げた本が記憶していた配置と違う。

水差しの位置も、予備の脇差を置いた向きも、ほんのわずかにずれている。


《睡眠中ログ:1件》


視界の隅に不穏な表示が走るが、二度見した時にはもう消えていた。

夢遊病……という感じではない。

ただ、誰かが自分の中で起き出したような、嫌な残り香だけがある。


それにしても喉の渇きが著しい。

土間の水桶に柄杓を突っ込み、浴びるように水を飲む。

口元を拭いながら視線を上げると、ロフト下の書机に腰掛ける青い影が見えた。


侵入者。


不覚にも、気配に全く気づかなかった。

弾かれたように半歩退いたイツカは、その容貌を目の当たりにして言葉を失う。


自分の部屋に、どうして「奴」がいるのか。

そもそも、どこから入りやがったのか。


青い影は頬杖をつき、さも自室のような寛ぎぶりで足を組む。

その喉元には刃の刺傷がくっきりと残っている。

蛍光色は流れていない。ただ、貫いた痕跡だけが、こちらを責めるように残っていた。


「「遅いお目覚めですね」」

「人ん家に勝手に上がり込んで……『お邪魔します』ぐらい言えよ」

「「上がり込んだ? ここは最初からわたしの部屋でしょう」」


気持ちの悪いことを言わないでほしい。

挑発にしてはナチュラルな言い方に腹が立つ。


「「今日も辛うじて生かされた、というわけですね」」


冷房もないのに体感温度が数度下がる。

イツカと同じ顔立ちだが、表情の細部に差異がある。

皮肉、愉悦、嘲笑……要するに性格が悪い。


「「わたしに斬られていれば、今頃ずっと眠っていられたのに……残念」」


敵もまたイツカ同様、丸腰の作務衣姿。

着崩し方までそっくりだ。

異なるのは衣の色柄と、「影がない」ということ。


《対象未取得》

ERROR: NOT FOUND


HUDを立ち上げてみたものの、その姿を読み込むことはできない。

今の奴は妖怪ですらない「幻影」なのか。


イツカは眉一つ動かさずに水桶を担ぎ上げ、頭から被った。

塊のような水が足元で弾け、空の桶が投げやりに転がって音を立てた。

前髪から滴る水滴の向こうで、奴はのうのうと扇を開いて涼んでいる。


「幻覚が見えるとか、ガチで疲れてんのかな……」

「「それだけ働いて、残ったのが疲労だけですか。

あなたがわたしと同等なら、妖狩改方の殉職者も少しは減るでしょうに」」


……なんで会話が成立するんだよ。

激昂と共に柄杓を投げつけ、書机に当たったそれが軽い音を立てて砕け散った。


イツカが我に返ると、幻影も霧散している。

後には水浸しになった土間と壊れた柄杓が残された。


動悸が止まらない。

覚束ない足取りで上がり框に座り込み、広がる水たまりを呆然と眺める。

さっきまで寝ていた筈なのに気力が出ない。窓から差し込む光が気だるい温かみを帯びていく。


出動時間が近づく。行かなきゃいけない。

夕方になれば、また妖怪狩りの任務が始まる。

今夜もHUDの命令に駆り立てられながら、斃れていく同僚を見送るのだ。


疲れが抜けないまま、騙し騙し戦い続ける毎日。

生きていてもマシなことはないし、自分に現状を変える力もない。

かと言って、帰るところもない。


異経37号が騒がれる以前。

妖怪化は局地的な演算トラブルに過ぎず、今の戦力で十分鎮圧できていた。


しかし、虚算領域の出現頻度が跳ね上がると、

都では演算効率に寄与する上級個体の保護ばかりが優先された。


イツカが建国府に属した頃、妖狩改方は市民を妖怪から護る花形だった。


それが今や、激務と殉職率の高さから忌避される部署と化した。

欠員を埋める者は、飛ぶか死ぬかで定着しない。

建国府からは予算も人員も追加されなかった。


「――たい」

いつもの口癖を呟くと同時、戸を叩く音がした。

次回:Chapter1.10「存在価値」


この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。

続きが気になったら、スキやフォローで追って頂けますと幸いです。

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