↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/13

休日なのに、仕事より嫌な夢を見る|第8話:根無し草の夢

意識が途絶する時の感覚。

起き上がろうとして動けず、ただ重く沈んでいく。

どこか懐かしいような、慣れ親しんだ何かに似ている。


そう――泥、だ。


指先を伸ばす。

冷えた泥土を掻くのは、今より小さい掌だった。


かつて演算炭の産地として栄えた「泥算地」。

都の東に広がる湿地帯が、イツカの故郷だった。


濁った水面。

往来を妨げるぬかるみ。

あの頃はそんな景色すら誇らしかった。


昔は何も育たない痩せ地に過ぎず、

ただ貧しい寒村だったと聞く。

それが演算炭の採掘によって大きく変わった。


昔から、湿原に露出した泥炭は切り出して使われていた。

乾かせば高品質の演算資源(リソース)として、貴重な収入源となった。


だがイツカが物心つく頃には、地中の炭脈まで掘り出す技術が持ち込まれていた。

富も、武力も、以前とは比べものにならないほど流れ込んだ。


掘れば掘るほど豊かになる――。

大人たちの教えに、子どもだったイツカは疑うことなく頷いた。


戦乱の世にあっても、泥算地は飢えや戦から比較的遠かった。

建国府に名目上は従属しながら、

直接統治を受けない立場を保っていられたのは、演算炭のおかげだった。


実家は代々武人の系譜。

イツカは小さな砦を兼ねた家屋と湿原の中で育った。


父は無口で不器用だったが、働くことを厭わない武者だった。

ここを皆の城にする――それが数少ない口癖だった。

その背中はやたらと広かったのを覚えている。


しかし、だ。

歴史を紐解いても、永遠の繁栄などあり得ない。


異変はどれも些細なことだった。

地面に亀裂が走る。戸が閉まらなくなる。

昨日まで流れていた水路が、朝には水路の途中で溜まっている。


泥算地の地下には、地下水を抱え、演算資源を含む分厚い泥炭層があった。

炭を抜けば、湿地は枯れる。枯れた大地は縮んで沈む。

皆、どこかで気づいていた。それでも採掘は止まらなかった。


豊かさを求めて掘り続けた土地は、ある日あっさり臨界を迎えた。


地下から演算資源を抜かれ続けた土地が、ついに自分自身を保持できなくなった。

呪詛(エラー)の影に地表がざわつき、家々の屋根が音もなく沈んだ。


生まれて初めて空間が歪んだ光景は、今でも忘れられない。

演算圧は跳ね上がり、虚算領域が故郷を飲み込んだ。

妖怪の大群が集落を蹂躙し、人々を逃がすべく戦った父は左右の目を失った。


泥土の繁栄は、僅か一夜で崩壊した。


演算炭はもう掘れない。元より不毛の地に実りなどない。

生き残った人々は泣き喚く暇もなく、泥にまみれた家財を引きずり、

妖怪の襲撃に脅かされる中で散り散りになっていった。


建国府に緊急支援を求めた者もいた。

直接統治外の自治領へ正規軍を入れるには、指揮権と費用負担の整理が要る――。

そんな答えが返ってきた頃には、整理する土地の方がなくなっていた。


戦えなくなった父は酒浸りになり、家族を養うどころか手を上げるようになった。

耐えられなくなった母は、幼い弟妹を連れて逃げた。


父の暴力はイツカ一人に押し付けられた。

這い蹲るのは常にイツカの側だった。


父はそれまでの責務を果たせなくなっただけで、放棄したいわけではなかった。

暗闇の中で「掴まる場所」を求め、足掻くだけの自分に憤っていただけだった。


そうと知りつつも。

父への感情が尊敬や畏怖から、軽蔑を経て憎悪へ至るのに時間は要さなかった。


それから一年。

故郷周辺の演算圧は不安定なまま、相次ぐ妖怪の出没に悩まされていた。


採算が取れない。

再編の妨げ。

治安悪化の根源。


卓上に並ぶ理由は、土地と人間をまとめて切り捨てることを肯定した。

事態を憂慮した建国府は、一帯を禁足地(バッファ)に指定。


枯れた泥算地は封印結界で囲い込んだ後、妖怪が出ないよう水没処理された。

こうして故郷は地図の上から消滅した。


封印工事の直前。

建国府は禁足地の住人を保護・雇用の対象として受け入れると発表する。


戦乱の世を終わらせた建国府は、統治機構として成立する過渡期にあった。

働ける者は各地の実働へ、年若い者はまず養成へ回される。

多くの者はそれに応じたが、父は拒絶し故郷に残ることを訴えた。


イツカは建国府に行くことを望んだ。

正義や大義のためではない。

これ以上、奪われる側になりたくなかった。


自分の人生を、どこかの誰かの処理結果として片づけられたくなかった。


一方、父にとって故郷は全てだった。

かつて泥算地に新しい水路ができた時。無口な彼ははにかむように笑ったという。

これで妻子にいい暮らしをさせられる。貧しくみじめな思いをさせずに済む、と。


父は、最後に残った家族まで建国府に奪われることを拒んだ。

故郷に残るという決意は彼一人のものではなかった。

家を出ようとするイツカの前に立ち、光を無くした目で刀を抜いた。


この地にどれだけの想い入れがあったか。

自分や家族のため、父がどれだけ苦労してきたか。

そんなことはわかっていた。


それでも。


イツカは父と本気で打ち合い、倒し、彼の「全て」に背を向けた。

その剣に往時の強さはなく、光のない父は一国一城の主として沈んでいった。


沈まなかったイツカは泥の上に浮く根無し草となった。

それが、生きる価値を信じようと足掻く日々のはじまりだった。


揺れる景色が、ぐしゃりと折り畳まれる。


……

…………


その奥で誰かが笑った気がした。


幼い自分の記憶を、何者かが覗き込んでいる。

泥の冷たさも、父の荒い息遣いも、母の背中も。

誰にも見せてこなかったものを、勝手に読まれている。


《睡眠中ログ:1件》

《記憶領域:参照》

《参照元:不明》


やめろ。

言葉は泥の底へと沈み、音になることはなかった。

頸の後ろで、何かが小さく軋んでいた。


次回:Chapter1.09「幻の同居人」


この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。

続きが気になったら、スキやフォローで追って頂けますと幸いです。


本作品はnote、カクヨム、Tales等でも掲載しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。