勝てない妖怪でも、現場からは逃げられない|第7話:窮鼠、死を喰らう
鍔迫り合いの音が軋み、刃同士が喰らい合う。
石畳を踏む靴底が、押し負けるたびに半寸ずつ滑る。
連戦で全身の駆動系が熱を持っている。
肩も腰も、十分なトルクを返さない。
軽蔑とも憐憫ともつかぬ、温度のない瞳がイツカを覗き込んだ。
「「膂力も精度もこの程度ですか……そろそろ終幕といたしましょう」」
交差していた刃が弾けるように離れた。奴は下がらない。
イツカの刀を外へ流した勢いで切っ先を沈めると、鎧の継ぎ目に滑り込ませようとする。
狙いは右の腋窩動脈。
奴の踏み込みは既に始まっている。
退いたところで、死角へ潜った刃に追いつかれる。
防御に回っても間に合わない。
イツカが選んだのは、喉元までの最短距離を貫く刺突。
肩と腰の軌道を極限まで絞り、残った駆動力を切っ先の一点へ集める。
勝てないなら、せめて刺し違える。
奴はその意図を察し、口角を歪めて嘲笑った。
「「ようやく“自分の結末”を選ぶ気になりましたか」」
イツカの剣は、首を獲る全力の一撃。
奴の剣は、死に滑り込む最速の一撃。
HUD上の戦闘予測プログラムが着刃予定時刻を計算する。
その差、0.007秒。イツカの剣先は届かない。
畜生。
勝ち筋が見えない。
それでも――戦わなければならない。
日々の絶望に流されてばかりで、現実を何一つ変えられない。
届かない理想を見上げるだけの無力な存在。
それでも――機堂イツカは、ここにいる。
《位相統合プロトコル:起動》
AUTH-KEY: 9A7F-3C12-E0B4-D5A7-C91F
COMPUTATION-LOAD: CRITICAL OVERFLOW
《同一AUTH-KEYから相反入力を検出》
《位相の重複を検知》
その刹那、頸の後ろで熱が爆ぜた。
《重複演算:虚渡り/記録開始》
ありったけの演算リソースが一斉発火し、
何が起きたか感じ取るより早く、身体の輪郭がぶれた。
骨も肉も装甲も、全てが半拍ずれて追いかけてくる。
踏み込んだはずの足が遅れて現れ、放った刺突が複数の太刀筋に分岐する。
視界が白く裂け、関節の内側に針を差し込んだような激痛が走った。
認証キーが自動経文を走らせ、
溢れた演算の隙間から世界が多重露光した。
イツカの像が幾重にも生じ、それぞれ異なる剣閃を走らせる。
それらの大半は世界に触れる前に霧散し、二つだけが消えなかった。
甲高く、鋼の音が響き渡った。
淡く光るコバルトブルーが刃を伝い、イツカの手元まで滴り落ちる。
深く入ったのか、浅かったのかも分からない。
月明かりを反射した剣閃が、三つ。
一つ目は奴を屠ったイツカの刺突。
二つ目はイツカを屠るはずだった奴の斬撃。
そして三つ目は、その斬撃をあり得ない角度から阻んだ「別次元の刀身」。
「「これは――重複、怨……ざ、ザザ……!?」」
奴は喉元から頚椎を一直線に貫かれたまま、青い双眸を見開いた。
いかなる時も涼やかだった多重音声に、初めて焦燥の色が混じる。
断線した神経から微弱な火花が溢れ出す。
重複演算「虚渡り」。
分岐した複数の可能性を参照し、その時点における最適解を現象化する。
それは望んだ未来を生み出す力ではない。
与えられた選択肢から、一番ましな答えを拾うだけだ。
だが、今の認証キーには、イツカと偽者という二つの実行主体がぶら下がっている。
その中で、導出された解も二つ。
死を穿つ未来と、死を弾く未来。
イツカと偽者からの二重アクセスに晒され続けた認証キーは、
本来、排他的であるはずの二つの解を「機堂イツカの正規処理」として実行した。
「「更新サレた……ヨリ速く、ワ、――せッ、セ、正確……なッ……」」
イツカが刃を引き抜くや否や、
奴の膝が力なく曲がり、その場で前のめりに崩れ落ちた。
ブロックノイズに侵食されながら、倒れ伏した身体が霧散していく。
頚椎破壊による一撃死。どろりとした蛍光青が傷口から重力に従って流れ出す。
「「キュゥッ、旧……レ、……汰…… ……」」
負け惜しみの音声は、もはや文章の体を成さなかった。
勝った。しかし、そう思うには感触が悪すぎる。
奴の輪郭が崩れ、蛍光ブルーの粒子となって宙へ散る。
その大半は夜気に溶けた。
けれど、ほんの僅かな残滓だけが風に逆らい、イツカの頸元に纏わりつく。
《未登録干渉体:消失》
《外部投影:終了》
《同期残滓:回収不能》
今のは何か――頚椎の後ろが灼けるように熱い。
認証キーの奥で、誰かが内側から爪を立てたような感触がした。
確かに斬ったはずだ。
喉元から頚椎まで、貫いた手触りが残っている。
それなのに、終わったものが終わった場所へ帰らず、自分の中へと戻ってきた。
イツカは自分そっくりの死体を見下ろした。
《不正処理を記録 → 管理部へ任意報告しますか》
送信先は建国府の管理部。
仕事で斬ったなら、送信するのが妥当だ。しかし。
この戦いは命令も選択肢もない、自分だけのものだ。
誰にも頼まれていない、自分だけの理由。
それを業務処理として建国府のログに変えたくはなかった。
《送信する(推奨)》
《送信しない》←
目を逸らした矢先、HUDの白文字が赤く滲む。
演算歴の滝が押し寄せ、限界を超えた情報に意識が喰らわれる。
視界がざらつく中、脱力するように膝が折れた。
LAYER-MAP: INIT → EXPAND(∞)
夜明け前なのに眩しい。
8層の空に、輪郭の異なる256種の月が浮かぶ。
平坦なはずの地面が豆腐のように崩れ、凸凹の位相差を見せつける。
PHASE-DIVERGENCE: 0.001 → 3.923 → 12.880
RECURSION-DEPTH: 2 → 8 → 31 → ERROR
STACK-STATE: OVERFLOW(PERMISSIVE)
演算圧が逆流し、1024本の剣閃が時間差で降ってくる。
それらは世界と交わるたびに砕け、月光を乱反射させつつ消えていく。
PHASE-LOCK: FAIL
COHERENCE: DEGRADED
AUTH-KEY: 多重アクセスを検出
→ MAIN-THREAD遡及同期
→ SUB-THREAD切断
→ 切断
→ 切断
→ 切断
世界が折り畳まれ、無数に輝く刀身が急激に収束していく。
やがて迫ってきた地面に横っ面を殴られた。
衝撃に続いて、口の中に鉄と砂の味が広がる。
きっと、自分は勝ったのではない。
通ってはならない処理が、通っただけだ。
もう立ち上がれない。
仕事が終わったのだから眠りたい。
いっそ、目覚めなくたっていい。
《致命的なエラーが発生しました》
OVERLOAD STATE: SUSPENDED
THREAD-TERMINATING: 3…2…1…
第一幕「生は泥濘」――終了。
次回より、第二幕「侵食する自我」。Chapter1.08「根無し草の夢」
この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。
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