職場改革が始まった。ただし旧型は除く|第5話:血の予兆
通りの警告音が一つずつ消えていく。
やがて虚算領域は霧散し、心艮町は夜明け前の静寂を取り戻す。
イツカは石畳に膝をついたまま、まだ立ち上がれずにいた。
それでも竹筒を握る掌からは、痺れがだいぶん抜けてきたのを実感する。
損耗率の改善。
ヤクモの言葉を頭の中で転がしながら、浮かんだ疑問を言葉にする。
「それは……人員が増えるということですか」
「いいえ」
ヤクモは即座に答えた。
「今の人数で回します」
期待して損した。
結局、この地獄は続くんじゃないか。
声にこそしなかったが、イツカは半眼になった。
「現状残っているのは、文字通りの精鋭です」
と、青年は続ける。
「人数は少ないほうが情報伝達も正確で、連携もしやすい。
段取りの見直しと装備の刷新で、稼働負荷は一~二割ほど軽減できます」
「……最大で二割」
八割は残る。口に出してみると、思ったより遠い数字だった。
それでも何もしないよりはマシか。
蛍光色の飛沫が、路傍でゆっくり消えていく。
さっき介錯したサクジの首が無造作に転がっていた。
さて。彼が新しい上長なら、前任者はどうなったのか。
壁に手をつき、身を起こしながらイツカは問う。
「猿股は?」
「昇進され、辺境の駐屯地で司令官を任されることに」
辺境のトップと言えば聞こえはいいが、都への影響力は皆無だ。
誰がどう見ても、栄転に見せかけた左遷。ざまあみろ。
ヤクモの声に感情の色はなかった。
「コストカットの手腕は本物ですが、所詮は事務方の出身ですから。
ここ半年で妖狩改方の演算効率は三割以上落ちていました。
現場に委ねるべき事項まで、いちいち上に回していたことが主な原因です」
合理化。最適化。収益化。
限界を超えた仕事を、最低限の人員で、恒常的に続ける部隊へ。
並べればそれらしく聞こえる言葉で、猿股は妖狩改方を変えていった。
イツカが着任した当時、ここには妖怪から都を護るという使命があった。
今や積極的に護るのは、建国府の幹部と豪商が暮らす中心部のみ。
それ以外は最低限の人員しか割かれなくなっていた。
以前、同胞が壊れていくことに耐えられず、クビを覚悟で改善を求めたことがある。
猿股は書類を捲る手を止めることなく、傲然と言い放った。
「死んだのは皆、旧型。保証対象外だ。
些末な不満を口にする暇があったら、大局的な目を持って本気で仕事に取り組め」
思い出すだけで、腑が煮えくり返る。
自分の戦いが本気じゃないと言われたのは、人生最大級の侮辱だった。
「上はもう少し早く手を打つべきでしたね……危うく先輩まで失うところでした」
新しい上司はそう告げると、イツカに撤収を促した。
夜明け前。
あれほど渇望していた休息が、あっさりと訪れる。
己の塒――都の西外れにある妖狩改方の寮へ向かいながら、イツカは息を吐いた。
まさか後任の上官が元後輩とは思わなかった。
彼の栄転は嬉しい。なのに、心の底が不穏にざらつく。
ヤクモが前に進んでいた間、自分は泥の中で足掻くだけの「勇者」に過ぎなかった。
彼は妖狩改方の改革を宣言した。
そこにずっといたはずの自分は、一体何をしてきたのだろう。
素通りしかけたホログラム看板の陰で何かが蠢く。
気づくのが一拍遅れ、心臓が強く跳ねた。
「――ッ!?」
躍り出たのは、正中線に刀傷を作った三ツ目の童子。
咄嗟の居合抜きで辛うじて斬り伏せたものの、
避け損ねたコバルトブルーの飛沫が右半身を汚した。
《検出:未登録の経文》
《侵入ログ:1件》
頬の汚れを拭うと同時、強烈な酩酊感が頭の芯を鈍らせる。
付着した関数がじわりと染み込み、バックグラウンドで微細な演算処理が蠢く。
《同期要求:拒否》
《拒否応答:送信》
《残留プロセス:微量》
《局所位相:収束失敗》
《侵食範囲:近傍/追従》
虚算領域そのものは閉じたはずだった。
だが、飛沫を浴びた右半身の周囲だけ、現実と情報層の噛み合わせが戻っていない。
数歩先の石畳は普通なのに、自分の影だけが一瞬遅れてついてくる。
拒否した。確かに拒否したはずだった。
それなのに、右腕から右上半身の奥で何かが脈打つ。
痛みではない。痺れでもない。
自分の身体が、自分より半拍早く返事をするような感触。
「「――それで、いいの?」」
聞こえてきた二重音声に、イツカは周囲を見渡した。
「「今日を生き長らえて、また明日も使われる」」
HUDに反応はない。
睡魔と飛沫の生臭さに目が回り、こめかみのあたりがびくりと跳ねた。
頭が、痛い。
視界が回り、景色の一部が虫食いのように欠落する。
やばい。額を地面に擦り付けるように蹲り、込み上げてくる吐き気を堪える。
えづいているイツカを嘲笑うように、鈴のような声が響き渡った。
「「すっかり追い抜かれてますよ、あのヤクモ君に」」
やかましい。
彼だって努力してきたのだろうし、その結果が実っただけだ。
「「昔は事あるごとに助けたものだけど、もう先輩面もできませんね」」
残響する声は止まらない。
たちの悪い妖怪が幻聴を垂れ流しているのか。
「「自分が届かなかった場所で、誰かが輝いている気分はどうですか?」」
うるさい、やめろ。
抜かれたのは、自分の力が足りなかっただけだ。
嫉妬なんか、していない。
彼は誰時。
月は既に低く、夜闇が一際深くなる。
顔を上げたイツカの前に、静かな足取りで歩み寄ってくる人影があった。
《対象:存在矛盾 → 再演算要求》
REWRITE-FLAG: TRUE
対象の認証キーを検索するが、都のデータベースに該当者はいない。
となれば、人の姿を模る妖怪だろう。
ふらつく足で立ち上がり、イツカは刀の柄を握りしめた。
――仏に逢うては仏を殺し。
――祖に逢うては祖を殺す。
忌々しい。
誰だろうと、間合いに入ったら即殺してやる。
規則正しい足音と共に、互いの距離が埋まっていく。
刃の射程範囲まで、あと三歩、二歩、一歩。
そして。
「「わたしの人生って、一体何だったんでしょうか」」
切っ先の届かない紙一重の位置で、影の主は立ち止まる。
――ならば、己に逢うては。
暗闇の中。
淡い光が浮き彫りにした容貌に、イツカは絶句した。
次回:Chapter1.06「鏡像更新」
この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。
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本作品はnote、カクヨム、Tales等でも掲載しています。




