後輩は出世、先輩は限界。電脳武者七年目|第4話:雲間の月
……ぶす、と。
何かが貫通するような音がした。
無音。
しんと静まり返った通りに、駆けてくる靴音が肉薄する。
続いて、毒色の飛沫がイツカの上からぼたぼたと降り注いだ。
視界はまだ戻らない。ただ。
終わりを待つだけの世界に、誰かが割り込んできたことだけは分かった。
鵺の鳴き声が頭上で途切れる。
巨体が後方へ跳ぶ気配がし、イツカを押し潰そうとする闇がほんの少しだけ遠ざかった。
「――遅くなってすみません。まだ立てますか」
聞き覚えのある声だった。
イツカの視覚機能が再起動され、数秒遅れて像が結ばれる。
赤紫のノイズを隔てて、半壊した二階建て長屋の輪郭が浮かび上がった。
眉間に矢を突き立てた鵺が、その巨躯を翻す。
忌々しい鳴き声が複数の鬼火を呼び寄せるものの、助太刀の主は一切動じない。
彼は瓦礫を足場に駆け上がりながら次の矢を番えた。
崩れた屋根、濡れた石畳、横倒しになった町触柱。
鵺の雷に対し、遮蔽物を計算しながら位置取りをしている。
再び弓弦が鳴り、鵺の巨躯が傾いた。
矢は蛇尾の節を穿ち、雷が生まれる前にその軌道を殺す。
鬼火が膨らむより早く、彼は梁の上で身を返し、三発目を炎の芯へ撃ち込んだ。
一体、二体……三体。
一つの軌道が複数箇所で青白く炎を散らす。
その度にHUDの警告音が薄れ、崩れた空間の修復が進む。
《周辺演算圧:正常値へ》
《上位エフェクト:実体化指数低下》
《交戦対象:離脱確率70%以上》
これらの矢傷で討ち取れるほど、弱い敵ではない。
しかし演算圧が下がれば、上位妖怪は顕現していられなくなる。
鵺が唸るように喉を鳴らす。
猿の顔が憎々しげに歪み、虎の前肢がその場で石畳を抉った。
蛇尾が紫電を纏うたび、矢の刺さった節で火花が弾けた。
乱入者は梁の上で四本目の矢を番えたまま、静かに狙いを定めている。
自分が撃つためではない。相手に撃たせないための構えだ。
赤紫の警告が一つずつ消え、HUDの端に残っていたノイズも薄れていく。
モザイク状の月が少しずつ丸みを取り戻し、霧散した16進数が瓦礫の姿を取り戻す。
虚算領域が閉じていく中、鷲の羽根が大きく開いた。
巨躯は半壊した屋根を踏み砕き、黒い破片と極彩の残滓を撒き散らしながら夜空へと舞い上がる。
鵺は最後に一つだけ鳴いた。
腑の底を弄るような、おぞましい声だった。
《交戦対象:離脱》
《救援部隊:接近中》
手も足も出なかった難敵を、弓一つで撃退する――。
一連の出来事にイツカは舌を巻いた。力で圧し勝ったのではない。精度だ。
破壊すべき箇所を見定める判断の速さと、それを的確に射貫く技術。
同じ戦場に立っているはずなのに、見えているものが違う。
そんな称賛の先に、別の感情まで認めてしまいそうな自分がいる。
「救援要請を確認した際、回線が切れる前に座標だけは拾いました。
間に合ったようで何よりです」
青年はそこでようやく顔を向け、微かに笑った。
肩越しに見えた横顔に、記憶と確信が追いつく。
逆鬼ヤクモ。
かつてイツカが面倒を見た元後輩である。
腕は立つ。真面目で人当たりもいい。ついでに顔も悪くない。
とりわけ上層部の覚えがよく、イツカの下を離れてからは、とんとん拍子で昇進。
今は建国府の幹部候補として、各地を飛び回っていると聞いていたが――。
「配属された新兵の7割が死に、2割が狂い、残った1割が勇者になる。
相変わらず激務ですね、妖狩改方は」
死を免れたことよりも、絶望の中で手が差し伸べられたという事実。
それが信じがたいほど眩しかった。
ヤクモは苦笑しながら竹筒の水を差し出し、肩を竦めたイツカがそれを受け取る。
何でもないただの水が五臓六腑に染み渡る。
さっきまで死ぬ気満々だったくせに、水の旨さと生き返る喜びは否定できない。
「助かりましたが」
と言いかけて、イツカは言葉を選んだ。
「あなたが来るとは思っていませんでした。『勇者』はもう卒業されたのでは?」
青年は弓を背負いながら笑った。
「本日より妖狩改方の長官を拝命しました。
課題は山積みですが、まずは全体の損耗率の改善から手をつけるつもりです」
予期せぬ言葉にイツカは彼の横顔を見た。
判っているはずだ。組織なんて簡単に変わるものじゃない。
半端な期待を宥めるように、ひたすら己自身へと言い聞かせる。
だが。それでも。
明日が少し変わるように思えたのは事実だった。
月明かりの下で、崩れかけた街並みが元の形を取り戻していく。
路地には二つの影が残された。
片方は背筋を伸ばし、雲間の月を見上げている。
もう片方は膝をついたまま、水溜りに映る像を見ていた。
次回:Chapter1.05「血の予兆」
この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。
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本作品はnote、カクヨム、Tales等でも掲載しています。




