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妖怪相手に朝まで残業。しかもワンオペ|第三話:虚算領域

耳障りな不協和音が鼓膜を震わせ、赤紫色の警告が視界を侵食する。

正方形のブロックノイズを帯びた月が、いびつに欠けていく。


揮発したデータがあちこちで自然発火(バッファオーバーラン)を始める。

次元軸が歪み、洪水のように流れ込んだ行列式が一帯の建物を破壊していく。


頭が痛い。疲労や寝不足だけではない。

HUDに表示された演算圧が異常値を叩き出している。


『虚算領域の発生ガ予測されマシた。

不要なガガッ!……害、街、骸出はァ、ォ控えくだサイ』


予測も何も、もう完全に飲まれている。

町内のスピーカーが音割れし、視界の所々が黒く飛ぶ。

ライムグリーンに嘴を染めた妖鴉が、天を旋回して啼いた。


視界の端で自動救援要請の赤枠が開いた。

とは言え、今の通信状況で無事に届く保証はない。


《妖害救援要請》

《発信者:機堂イツカ》

《座標:心艮町第七水路》


一拍置いて、枠の下に黒い文字が追加された。


《審査状況:周辺応援枠の超過 → 保留》

《代替措置:継戦推奨》


イツカは笑った。

ワンオペが限界だから要請しているのに、継戦しろとはどういうことか。

役所仕事というのはこれだから困る。


そうこうしているうちに、演算圧のカウントが∞(無限大)の表示に至った。

赤、青、緑、黄、紫――周囲で多彩な色相が泡立ち始める。


**虚算領域。**


演算圧が臨界を超え、現実と情報層が噛み合わなくなる局地災害。

建物や水路などの環境情報や、そこにいる者の認証情報が正しく保持できなくなる。


《kkkkkkkkkill/未確認404番地》


演算の裂け目から妖怪が続々と現れ、HUDが壊れた命令を繰り返す。

短く呼気を刻んで意識を切り替えたイツカは、カメラ灯籠の陰に潜む三ツ目の童子を両断した。


刀を握る指が固まっている。握力はとうに限界を超えていた。

迫り来る敵の大群を無心に斬り捌きながら、裏路地へと転がり込む。


足元の泥濘に自己参照エラーの波紋が広がった。

進行方向にある長屋の戸が破られ、猫背で痩身の甲冑武者が身を乗り出す。

脇腹にある装甲の継ぎ目が、鮮やかな毒色に染まっていた。


「……のー……ノ、ノー……呪(のる)、ゥマは……マッ、末……絞メ……」


ノルマは末締め。

先程葬ったはずの同僚・弥栄サクジが、間延びした呟きを漏らしている。

警告音が途絶え、視界に地の経文(コード)が走った。


《異常検知:整合性チェック失敗》

AUTH-KEY: 7XP1-B46W-0YQL-C4S9-6RJK

INTEGRITY: FAIL

STATUS: CORRUPTED(0xC0)


整合性などあるものか。認証キーはイツカが回収した。

それでも奴は立っている。

もう始末書も説教もないのだから、大人しく死んでいてほしい。


内部データの崩壊を示唆するステータスを睨みながら、

イツカは突きつけられた太刀を跳ね上げる。

それからサクジの首筋に刀身をねじ込み、一息に引き切った。


DISPOSAL: TRUE


嫌な手応えに続いて、重い塊がごとりと地面に落下した。

断面から溢れた毒々しい液体が広がり、

彼の首から滑り落ちた組紐を飲み込んでいく。


心臓が暴れるように跳ね、背中一面に嫌な汗が滲む。

肺腑が蛍光色の死臭を拒み、呪詛の泥に足を取られて膝をついた。


しんどい。


顕現した虚算領域は、夜明け近くまで続くだろう。

徹夜と死、どちらがマシかという究極の問い。

イツカは澱んだ目で溜息をついた。この分だと朝まで斬業一直線だ。


疲れた。

止まりたい。

それが無理なら――自分も死にたい。


自分が飛んだところで、どうせ誰かが穴を埋めるくせに。


どれだけえづいても、空っぽの胃袋からは何も出てこなかった。

斬り落としたサクジの首が、イツカを見上げて寂しげに嗤う。


路地の先で殺気が膨れ上がり、骸骨足軽の一群が先を塞いだ。

元来た方角へ戻ろうにも、そこも動く影で埋まりつつある。

屋根に登る足場や、脇道に使えそうな水路もない。

逃げる先などどこにもない。


もういやだ。死にたい。

だが、こんなどん詰まりの路地で、潰れるように死ぬのはもっといやだ。


手足の感覚が無いまま立ち上がり、まずは前方の一群と斬り結ぶ。

この妖怪どもは単体なら雑魚だ。前後で時間差をつけて処理すればいい。

そう計算した刹那――HUDに展開していた情報が真っ赤に裂けた。


《上位エフェクト検知:演算圧超過型実体化》

《識別:未分類》

《交戦推奨:否》


否。珍しい表示だと、意識の外れで思った。


建国府のシステムは武者を使い潰すことに頓着しない。

泣こうが、喚こうが、狂おうが、動かなくなるまで戦わせる。


それが非推奨を出した。

即ち、割に合わないほど歯が立たない相手が、この狭い夜道にいる。


真っ先に届いたのは「音」だった。

それも肚の底にびりびりと響く、気味の悪い圧を伴うもの。

何度か全身に浴びて、ようやくそれが鳴き声だと認識した。


闇の奥で極彩の沼が蠢き、輪郭が形を成していく。


最初に猿の頭が浮上した。次いで虎の胸と前肢。

さらに狸の腹が膨れ、鷲の羽根と肢が露出する。

最後にのたうつ蛇の尾が引きずり出された。


鵺――合成獣(キメラ)というより、演算の破綻による誤出力。

処理落ちに巻き込まれた妖怪が、一瞬でノイズと化して蒸発した。


モザイク状になった月の下。

イツカの三倍はある異形の巨躯が、未完成のいびつさに揺れていた。


LOAD SPIKE DETECTED

LOCAL AGENTS: DOWN x MULTIPLE


HUDが非推奨を出すのも納得だった。

退却すべき相手を前に、イツカの双眸が細められる。


沸き上がる恐怖と生存本能。

それを押さえつけるのは武者の意地か、死の淵を覗きたいという悪癖か。


上等だ。膝の震えを足裏で押し殺しつつ前へ出る。

虎足の射程外から一気に間合いを潰し、腹の下に潜り込んで仕留める――。

イツカの目論見を待ち受けるように、鵺の爪が水平に振るわれた。


「――っ、ぐ!?」


その挙動は想定以上に速かった。

空間ごと圧搾するような一撃に、刀を保持する腕と肩が悲鳴を上げた。

剣というより斧。斬撃というより打撃。

受け流すことすらできず、後退しながら体勢を立て直したところで、辛うじて息をついた。


……それでも悪くない。

まだ動けるし、奴の動きも追えている。

あれを正面から受け続ければ潰される。

だが、前肢を振り切った直後だけ脇腹が開く。


二合、三合。

一手間違えれば死ぬ。しかし、その陶酔が意識をクリアにする。

イツカは爪の軌道に刀で応じながら、少しずつ弧を描くように位置を変えていく。


人体とは動き方が異なるものの、獣にだって軸はある。軸があるなら崩せるということ。

通りに鵺の鳴き声が轟き、低く立ち込めた雲が空を埋め尽くす。

深くなった闇に紛れながら、一筋の勝機を模索する。


四合目。イツカが踏み込んだのと同時、懐へ入る線が開いた。

死中に活を拾う隙に、ふわりと肌がざわつく。

刃で爪を側面に滑らせ、そのまま飛び込もうとした瞬間、鵺の蛇尾が天を目掛けて垂直に屹立した。



何も聞こえなかった。

五感が白飛びし、爆ぜるような衝撃が背骨を通り抜けた。


東西南北上下左右――方向感覚が完全喪失している。

胸の奥から焦げた匂いがする。視界が戻らず、呼吸が浅い。


骨が逝った感触はない。内臓もたぶん無事だ。

ただし、全身の神経が言うことを聞かない。

動こうとしても、筋肉が命令を取りこぼす。


《感電:後遺症状確認中》

《運動制御:一時低下》

《致命損傷:なし》


指先から肘にかけて、細かい痙攣が止まらない。

何が起きたのかわからないまま、鵺の出現報告や戦闘ログを手繰り寄せる。

情報を読み込む気力もなかったが、スクロールされる情報に「雷」の文字が散見された。


クソが。

せめて交戦前に把握しておけば、こんな無様を晒さずに済んだものを。

くたびれた思考ではそこまで警戒が回らなかった。


《認証キー:接続中断/2分/再試行》

掌の認証表示が点滅している。

救援を求めようにも、通信そのものが繋がらない。


遠く聞こえる例の鳴き声が、徐々に大きくなってくる。

嗤われているように思えて心底腹が立った。刀を求める指は、宙を掻くばかりで届かない。

復旧までせめて数分、数十秒でもあれば――。


鳴き声が途切れ、イツカの視界が陰る。

あとは動かない身体で、あの爪が落ちてくるのを見ているだけだった。

次回:Chapter1.04「雲間の月」


この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。

続きが気になったら、スキやフォローで追って頂けますと幸いです。


本作品はnote、カクヨム、Tales等でも掲載しています。


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