本人不在の人事会議で、回収が決まる|第12話:回収処理
内装の全てが漆黒に整えられた広大な広間。
高速展開された経文が金色に輝きながら壁を這い、
吹き抜けの天井には演算雲が立ち込める。
雲の内部では金色の雷光が幾重にも層を成し、
時折、鱗や角、爪などの像がホログラムとなって浮かび上がる。
磨き上げられた床板は、鏡のように冷たく無機質だ。
建国府本丸・最上層「雲龍の間」。
水鏡が中央に据えられ、機堂イツカの演算歴が幾層にも投影される。
周囲に集うのは、白黒の裃を纏った八人の幹部たち。
「異経37XX-6329640と類似。よりによって妖狩改方から出るとはのう……」
そこには認証照合の揺れや、重複演算「虚渡り」の発動記録も浮かんでいる。
本来交わるはずのない履歴が、一つの個体に押し込まれている。
「因果を上書きするとは、流石に捨て置けまい」
老いた幹部は記録をそう読み、指先で水鏡を爪弾いた。
ぴしり、と薄氷を割るような音に続き、波紋に沿って文字列が組み替わる。
《対象:要監視》
《Lock/封》
「此度残ったのは旧版と聞く。妖怪化の兆候もない」
「確かに戦果はある。だが、暴発する確率と損失はどう読む?」
「データ不足故、算定不可」
「本人から申告は?」
「ない」
妖狩改方は万年人手不足だ。
追加人員の手配はそれなりのコストを要するが、
先の読めない危険因子を受容し続けるのも抵抗がある。
「頭数とするには危うい。至急、身柄の確保を……」
「待て。表立って動き、『虚渡り』の履歴が露見すれば、余計な憶測を招く」
「しからば、どうする?」
「なに、死者や負傷者を回収するのは当然のことであろう」
会議は長引かなかった。
水鏡の上で一人の武者を項目と値に分解し、使えるか使えないかの境界へ再配置したまでだ。
イツカのことを惜しむ者などいない。
最終的に残ったのは、以下の一行だった。
《機堂イツカ:運用後回収 → 隔離》
◇
妖狩改方、屯所奥の御用部屋。
夜気を含んだ風が障子の隙間から入り込み、行灯の火を微かに揺らした。
定時報告まで、あと半刻。ヤクモは一人で文机の前に座っていた。
――あの夜のことを、まだ誰にも話していない。
現場へ辿り着いた時、既に戦闘は終わっていた。
石畳の目地には青い残滓が薄く溜まり、空気そのものが微かに帯電していた。
中心で倒れていたのは機堂イツカ。
周囲には多重に走った斬撃痕があった。
それも一、二箇所ではない。
同じ座標を、異なる角度から、ほぼ同時刻に通過した刃。
通常の戦闘記録では説明がつかない斬痕だった。
膝をつき、路地に残ったコバルトブルーの飛沫へ指先を近づける。
検出用の薄紙が淡く燃え、照合失敗を示す灰色へ変わった。
《照合:該当なし》
《妖怪エフェクト検知:否》
《推定:異経37号・亜種》
《未登録干渉体:可能性あり》
妖怪ではない。
正規の武者でもない。
それでも、確かに誰かがここにいた。
報告書にそのまま書けば、機堂イツカは即日隔離される。
隔離で済めばまだいい。
だが、判断できないことを理由に裏へ隠された場合、
表へ戻ってこられる保証はない。
ヤクモは記録項目の一つを指定した。
《未登録干渉体:可能性あり》 → 削除。
代わりに、こう記す。
《異経37号亜種による一時的認識混濁の疑い》
《対象:機堂イツカ/自力帰投不能》
《処置:回収後、経過観察》
嘘ではない。
だが、全てでもない。
指先がわずかに冷える。
かつて自分を支えてくれた者を庇いたかったのか。
それとも、自分だけが把握している状態に置きたかったのか。
――おそらく、両方だ。
文机の前で、ヤクモの指先が止まった。
障子の向こうから衣擦れの音がする。
風もないのに壁際の行灯が揺れ、黒い影が音もなく膝をつく。
建国府の諜報部隊、除零番である。
ヤクモは書きかけの報告書を伏せ、差し出された書状を受けとった。
肉眼では白紙に見えるが、HUDを通すと燐光の如き文字が浮かび上がる。
『機堂イツカの身柄を確保し、異経37号亜種の接触状況を確認せよ。
状況に応じた回収処理への移行も許可する』
曖昧な文言は、確保とも、保護とも、処分とも読める。
そして回収処理の許可とは、最早生死を問わないことを意味する。
ヤクモは書状の端を指で押さえた。紙が小さく歪む。
「正式な命令は確保。回収処理はあくまで補足という認識で宜しいですか?」
「是。上は斯様な騒ぎで現場を混乱させたくないのだ」
「騒ぎ、ですか」
イツカは罪人ではない。妖怪とも断じられていない。
だが、秩序の中に取り込めないものは隠される。
現場を混乱させず、被害を最小化し、原因を特定する。その理屈は正しい。
だが、そこには統治者としての体面を最優先に守るという思考が透けて見える。
故にたちが悪い。
「本人には――」
言いかけて、ヤクモは口を閉ざした。
伝えてどうなる。機堂イツカは従うだろうか。
否。回収対象にされたと知れば、あらゆる手段を使ってでも抵抗する。
命令違反も反逆も恐れない。どんな修羅場であろうと生き延びる。
かつて、その背中に守られ、その背中を見てきたが故の確信。
そうなれば、もう自分の手では庇えない。
「機堂は前線から外し、異経37号亜種の検査名目で隔離する。
処分ではなく、僕の指揮下で経過観察として扱います。拘束の必要はありません」
声は思ったより平静だった。少しの間を置き、影の奥から視線が届く。
「公の拘束命令は不要と?」
「はい」
「貴殿が判断することではあるまい」
忍の声には温度がない。
それでもヤクモは動じない。
「いいえ。現場指揮官として、僕が預かる範囲です」
沈黙が落ち、行灯の火が再び揺れる。
忍は否定しなかった。それは肯定とも限らない。
無言とは、時に最も強力な命令になる。
「では、貴殿の指揮下にて必ず確保されよ。
ただし、回収処理への移行が許可されていることも、努々忘れなさるな」
その言葉を最後に影は薄れ、足音もなく板戸の向こうへと消える。
忍が消えた後も、ヤクモはしばらく書状を見下ろしていた。
『機堂イツカの身柄を確保し、異経37号亜種の接触状況を確認せよ。
状況に応じた回収処理への移行も許可する』
自分の指揮下に置く限り、勝手に処分されることはない。
検査の名目で休暇を出し、復帰の道を残す。それが最も安全だ。
足音が一つ。
顔を上げると、外を二人の兵が横切っていった。
妖狩改方の者ではない。
所属紋が伏せられ、歩幅だけが不自然なほど揃っている。
ヤクモが呼び止めるより先に、二人は屯所裏へと消えた。
《処理区分:保留》
《対象:機堂イツカ》
《指揮権限:逆鬼ヤクモ》
建物の外で強さを増した風が唸る。
雨の前触れを含んだ空気が、机上の書類を微かに鳴らした。
◇
その数時間後。
都の南で演算圧が跳ねた。
薄暗い屯所の広間に地図盤が置かれ、赤い筋が神経のように分岐しながら走る。
異常値によって、七つある切り通しの一つが墨を垂らしたように染まった。
《虚算領域:顕現確率98.2%》
いち早く主力部隊の派遣を手配したものの、恐らく間に合わない。
このままでは心艮町方面へ妖怪が雪崩れ込む。
そこから夜明け前の市街に流れれば、被害は読めない。
報告を受け、ヤクモは舌打ちした。
この数では、並の武者を置いたところで圧し潰される。
逃げずに粘り、地形を読み、周囲の弓兵と連携できる者が要る。
候補者の名簿が展開された。
《候補一:負傷》
《候補二:通信断》
《候補三:旧式/演算耐性不足》
《候補四:機堂イツカ》
白い文字がそこで止まった。
除零番の書状が脳裏をよぎる。
休暇。検査。経過観察――前線から外すと決めたばかりだ。
「機堂は休暇中です」
副官が言った。
その声に確認以上の意味はない。命令を待つための空白だった。
ヤクモは一度だけ目を閉じる。
瞼の裏に、青い残滓の路地が浮かんだ。
倒れていたイツカ。報告書から削った一行。白紙に浮かんだ文字。
「……機堂を呼び戻してくれ」
口にした瞬間、喉の奥がわずかに乾いた。
「任務は主力部隊到着までの時間稼ぎ。
交代の目処が立った時点で、後方へ下げる。医療班は検査準備を」
副官が頷き、伝令が走る。
「万一に備え、確保班を待機させる。ただし、僕の命令があるまで動くな」
確保班を待機させられるのは、イツカが交代地点へ下がるまで。
そこから外れれば、書状に記された既定の回収手順へ戻る。
回収処理には移行させない。
それが、休暇中のイツカを再び前線へ立たせるために、ヤクモが自分へ課した最低条件だった。
第二幕「侵食する自我」――終了。
次回より、第三幕「死の主導権」。Chapter1.13「無用者の挽歌」
この戯作は、人を資源にする制度と、数えられなくなった者の物語です。
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本作品はnote、カクヨム、Tales等でも掲載しています。




