第六章
六 西暦二二七二年 —カイ—
それからの数年間、カイが「ユートピア」の白い沈黙の中で積み上げたのは、禁じられた「人間らしさ」の密造であった。
官僚としての冷徹な事務処理能力は、いつしか、子供たち、特に001という少年の微細な感情の揺らぎを読み取るためだけに費やされるようになった。カイは、子供たちに徹底して「選ばせる」ことを強いた。朝、目覚めの時間や、目覚めて最初に網膜に投影する壁紙の色。散歩のBGMに選ぶ古典音楽。そして何より、今日一日の彩りを決めるお菓子の献立。
「……バニラアイス。カイ、いっしょに食べよう」
四年の歳月は、血の通わぬ「石像」だった001を、鮮やかな「感情を持つ少年」へと作り変えていた。言葉の端々にはまだ幼い訥々さが残るが、その瞳には確かな色彩が宿っている。カイが職務の合間にオフィスから持ち込むお菓子は、二人の間にある「共犯関係」の象徴であった。とりわけ好物のバニラアイスは特別だった。冷たく甘い感覚を共有するその刹那だけ、彼らは巨大な管理システムから切り離された、ただの人間へと還ることができた。
研究所の顔ぶれもまた、時代と共に変遷していた。
閑馬宗一の息子——閑馬研二が、博士後期課程を終えて正式にプロジェクトへと合流した。宗一と研二、二代の天才は、神の設計図を弄るかのように、次々と新たなデザイナーベビーの試作を産み落としていく。
「カイ君、新しい実験体だ。識別番号:107。経過を記録してくれ」
成長促進剤によって、七歳相当の肉体を与えられた有望な個体たちが、実験資材としてカイのもとへ送り込まれる。閑馬親子にとって、カイは「実験体に外部刺激を与え、脳組織を成熟させるための調教師」に過ぎない。
「世話役のカイだ。よろしくね、107」
107は眉を顰め、横目でこちらを見た。001とは全く違う、群れない狼のような鋭い雰囲気を纏う少年。とても培養セクションを出たばかりとは思えなかった。107は何も言わず、悠然と去って行った。
「カイ!今日は何をする?」
子供たちの居住空間に入ると、001は真っ先にカイを見つけて駆け寄ってきた。部屋の中をぐるりと一周見回すと、006がいつもの椅子に座って天井を眺めていた。他にも、オフラインのゲームをする子、テレビを見る子、絵を描く子など、それぞれが思い思いのことをしていた。しかし、107だけが見当たらなかった。
「ちょっと待っていてね」
聞き分けの良い001の頭を撫で、一つ微笑む。仕事があるとき、001は決して我儘を言ったりしない。こういったところから、彼らの知能の高さと、彼らがデザイナーベビーであることを思い出させられ、暗い気持ちになった。
居住空間には、大部屋のほかに音楽室、コンピュータ室、図書室がある。順番に覗いていくと、図書室で分厚い本を読む107を見つけた。
「ひとりでいるのかい?」
107を引き渡されてから、注意深く彼を観察しているが、彼が誰かと関わるところは一度たりとも見かけなかった。ひとりを好む107は大抵、図書室かコンピュータ室にいた。001と遊んでいると、たまに視線を感じるけれども、声をかけても、一度も返事はもらえていなかった。
「どうしてその本を読んでいるの?」
過去に彼が読んでいたのは工学系の本ばかりだった。それに対して、今日彼が手にしている心理学系の本は珍しいように思えた。
「どうして実験体を構うんだ?」
返事は期待していなかったので、唐突な107の問いに驚きで反応が遅れる。雰囲気とは裏腹に、彼の声は年相応に高く、しかし、有無を言わさぬ威圧感があった。
「それは……。そうするべきだと思ったからだよ」
他の子供たちに比べ、彼の知能は頭一つ抜けていることを知るカイは、どんな返しが来るのか、緊張して待った。
「徒労に終わってもか?」
107は、本を眺めたまま顔を上げずに問う。
「みんな、前より楽しそうなんだ。それで十分だろう?」
107は読み終わった本を閉じ、席を立った。それが、会話終了の合図だと察し、カイは図書室を後にした。子供たちは、確実に生き生きとしてきている。確かな成果を感じていたカイの足取りは軽かった。最初は閑馬親子にばれやしないかとひやひやしていたが、定時報告さえ滞らなければ、閑馬親子がカイの私的な「教育」に干渉することはなかった。カイはその無関心を盾に、より深く、子供たちの「人間らしさ」を耕すことに没頭していった。




