第十二章
十二 西暦二三二六年 —陽—
幼いころの夢を見た。
国立高度感覚最適化研究所、その一角にある白亜の施設は、選ばれた子供たちだけが住むことを許された、清潔で静かな箱庭だった。七歳の陽は、父の大きな手に引かれてその長い廊下を歩いていた。高い天井、磨き上げられた床。そこには世界の最先端が詰め込まれているはずなのに、陽の目にはどれも同じような、退屈な風景に見えた。
けれど、「彼女」を一目見た瞬間、陽の足が止まった。
教室の隅。騒がしい他の子供たちから切り離されたかのように、一人の少女がぽつんと座っていた。彼女は、陽がそれまで見てきたどんな挿絵のお姫様よりも、あるいはどんな精巧なホログラムよりも整っていた。
(綺麗……)
陽の胸が高鳴った。デザイナーベビーの極致。一切の無駄を排し、計算され尽くした骨格と、透き通るような肌。伏せられた長い睫毛が、難解な教材の上に影を落としている。彼女はまるで、この不完全な世界に間違えて紛れ込んでしまった、汚れ一つない天使のようだった。
「お父様、あの子」
陽は父の袖を強く引き、美しい少女を見つめる。父は、娘の視線の先にいる少女を、冷徹な研究者の目で確認した。
「識別番号:392。通称:識、と呼ばれている個体だよ。知能指数は測定不能、我が研究所の最高傑作だ」
父の説明など、陽の耳には入っていなかった。陽はただ、あの綺麗な造形を自分のものにしたかった。触れてみたい。自分の隣に置いておきたい。その瞳が自分だけを映す瞬間を見てみたい。それは、幼い子供が一番美しい宝物を見つけたときに抱く、無邪気で、それゆえに底知れない独占欲だった。
「お父様。お願い。私、あの子が欲しいの」
父に我儘を言うのは、生まれて初めてだった。父は少し考えてから、いつもの優しい瞳を私に向けた。
「わかった。でも、少し時間をくれるかい」
父はそう言って私の手を引き、その日はその場を後にした。
*
しばらくしても、父は自分と識を引き合わせてはくれなかった。しびれを切らして催促すると、識と同じ教室で過ごすことを許可してくれた。しかし、まだ識に話しかけることは許されなかった。
自由時間には、識以外の子供たちと遊んだ。みんなどこか識の面影があるけれど、やはり識を一目見た時のような衝撃は受けなかった。横目で観察することしかできないけれど、同じ空間にいられなかった頃より、ずっと心躍る日々だった。
待ち望んだその日は突然やって来た。父が識に話しかけることを許してくれたのだ。陽は舞い上がる心をぐっと抑えて、周りの子供たちの視線も構わず、識に近づいた。
「識ちゃん」
「なに」
上げられた端正な顔。向けられた視線。その瞳は、深海のように静かで、何もかもを見透かしているようだった。陽は人好きのする、春の陽だまりのような満面の笑みを浮かべた。
「ずっとお話ししてみたかったの」
識の瞳に拒絶の色がないことを認めると、さりげなく識の横に腰を下ろした。
「識ちゃんは、いつも何を読んでいるの」
「先生に渡された教材」
そっけない声色とは裏腹に、識は陽の側に少し教材を寄せてくれた。
陽は、突き刺すような識の視線に気づかないふりをして、教材をのぞき込む。
「量子力学かあ。識ちゃんはすごいね」
そう言って陽が識の方に顔を向けた瞬間、識の瞳に花びらが舞った気がした。
それから毎日、陽は徹底して識の隣を陣取った。識は、普段誰とも関わろうとしない様子だったけれど、陽にだけはいつも返答をくれた。陽は、自分が識にとって特別みたいに感じて、嬉しく思った。
*
陽が、識の隣で楽しそうに笑いながら、識の肩に頭を預ける。識は、なぜこの少女の隣にいると、胸の奥が締め付けられるような、不可解な衝動に駆られるのかを理解できなかった。何も知らない識の脳で、一つのプログラムが走る。専従プログラム:『Dedication_00』。やがて識は陽への感情を「好意」だと認識し、陽へ執着を、自らの「愛」として受け入れた。
「ずっと一緒にいようね。識ちゃん」
陽は、自分の隣で静かに寄り添う識の、その整った横顔を見つめ、満足げに微笑んだ。




