琥珀の眠り編 2話
「ッ--!?」
その場に居た人々は一様に、自身の端末を取り出した。僕を含め、その画面には『緊急遺界速報』と表示され、観測機器の測定結果が表示されている。
「ホントに来た!?」
「やばいじゃん!」
「みなさん、落ち着いて避難して下さい!」
声を上げるや否や、彼らは慣れた様子でそそくさと逃げていく。
遺界現象の脅威度は観測された輝素濃度値でレベル0から5までの六段階で評価される。レベル5は都市機能を停止させる超抜級の災害で、レベル0は昼寝している猫ほどに無害な迷い人。
今回はレベル2の上限近く。僕らでギリギリ対処可能な範囲だった。
観測ドローンは状況確認のために文字通り飛んで来るだろう。封界士協会、遺界管理局も警報が鳴った時点で誰かしらこちらへ向かっているはず。ここで僕がするべきなのは避難誘導とお客さんの足止め、可能であれば撃破だ。
「ねぇ」
くいっ、と裾を引かれる。
先程の白い女の子だ。その姿は場違いな程落ち着いている。
「どうしたの? キミも早く避難しないと--」
「なんでみんな、慌ててるの……?」
「ッ--冗談だろっ!? 一体何を言って--」
同じだった。
心底分からないという風にこちらを見ている。じっくりと周囲を観察している。音を聞いて、人の動きを見て、学習するように見渡している。
そこでようやく、この子の異常性に気が付いた。箱入り娘なんて非じゃないくらい、本当に何も知らない。記憶喪失とも少し違う、生まれたばかりの赤子のような。この現代社会においてそれは明らかに異質な存在だ。彼女のことがまるで分からない。
しかし不思議なことに、彼女から嫌な気配はしなかった。むしろ--
「何者なんだ、キミは……?」
「私? 私は--」
距離にしておよそ十メートルの地点。
その言葉を遮るように、僕らの前にキラキラと光る粒子が漂って来た。不安定で高濃度な、目に見える程の輝素だ。瞬く間にその量は増え、やがて渦を描いて空間が歪んだ。そこから黒い泥が溢れ出て、粒子を押し固めるように巻き込んで、一つの形を成した。
遺界現象の代表例。
それは『遺界種』。
遺界の情報と、現世の輝素が組み合わさり、生み出される異形の存在。その姿形、性質も様々だ。
現れたのは大柄が一体、細身が二体。単眼の歪んだ人型……嫌なカタチをしていた。
腰のホルスターから得物を引き抜き、庇うように少女の前へ出た。
その見た目はギミック付きの片手剣。刃は落とされ、その主は切るのではなく叩くため。持ち手にはトリガー、刀身に当たる部分には回路のような刻印が施された武器。対遺界種用の輝導警棒だ。
僕は自分の身体に最低限の術を施す。『輝導術』だ。
術式を構築し、輝素を消費して世界へ干渉する技術体系で、これはその中でも資格取得者のみが使用を許される『戦闘輝導術』だ。
遺界種との戦闘を前提とした危険な術式群。今使用したのは戦闘輝導術の中でも初歩の初歩、身体強化。それは僕がかろうじて使える、唯一の術だった。
『--ユウ』
脳内に声が響いた。
その声は僕にしか聞こえない相棒--鼎さんのものだ。
『鼎さん、状況は?』
『現状、遺界種は目の前の三体だけだ。そこの少女以外、全員公園から避難している。遺界は……落ち着いたようだ。追加の遺界種は無し。局が来るのは、おそらく五分後だろう』
『了解。このまま戦闘に入るよ』
『承知した』
素早い情報発信。相変わらず頼りになる相棒だった。
念話を切り、後ろの少女に声をかける。
「もう知ってると思うけど、僕は結・阿賀雲。キミの名前は?」
「ノア」
彼女は短く答える。怯えを感じない声だった。
理由は分からないが、きっと遺界種を脅威として見ていないのだ。
先ほどの話からして、彼女が封界士とは思えないし、一体どうして--。
疑問はいろいろあるけれど、今は意識を切り替える。
いつも通りだ。いつも通りに仕事をしよう。
「ノア。僕が奴らを引きつけるから、キミはその間に避難するんだ。分かった?」
「……ユウは強いの?」
暗に一人で大丈夫か? と訊かれているのだろう。こういう時、胸を張って答えられたらと思う。その方がなんとなく格好良さそうだ。けれど--
「どうだろ。僕の知ってる人たちに比べれば全然弱いかな。それでも--」
細身の一体が間合いを詰め、振りかぶった。空だったはずの手には、そこから生えるように歪な剣が瞬時に生成され、勢いのままに振り下ろされる。
「ここで死ぬほど、柔じゃない」
高い音が鳴り、輝導警棒の腹で遺界種の一撃を左に流す。瞬間、逃しきれない衝撃が全身を駆け巡った。体格差は同じくらいだが、人間ではあり得ない膂力から繰り出される斬撃。しかし、未熟な術とはいえ身体強化された体はその強度を増している。そう簡単には潰されない。
お互いの体勢が崩れる。捻った身体の回転は殺さず、その流れのままに強化された脚で遺界種を蹴り飛ばした。
遺界種は後退り、僕との距離が空く。
その隙を逃さず、懐に忍ばせた輝導拳銃を引き抜いた。相手の胸部目掛け、自身の輝素を帯びた弾丸を撃ち込む。
一発目で肉が抉れ、二発目で核が露出する。三発目がそれを砕き、遺界種はその場に崩れ落ちた。
遺界種には共通して、遺界核と呼ばれる弱点が存在する。彼らがこの世界に出現する際、遺界情報と遊離状態の高濃度輝素が結び付くことで生成される結晶体。この核部分を輝素を用いて破壊する事で消滅する。
人型の場合は大抵、人間で言うところの心臓付近に核が存在しているのだが……。
砕けた遺界核を残し、風の流れに煽られ消滅する遺界種を見る。
「……」
胸が詰まる。
それは人ではない。
分かっている。
分かっているのに--どうしても慣れない。
「ユウ……?」
顔に出ていただろうか。ノアの心配そうな声が聞こえる。
「いや、何でもないよ。とりあえずキミは早く行きなさい」
気を取り戻して遺界種と向き合う。
彼らにどれほどの知性と感情があるかは分からない。しかし倒された仲間を見て、残った二体がこちらを警戒しているのは分かった。
「……わかった。またね」
ノアがそう言い残し、避難した人に習って公園出口へと駆けて行く。
遺界種の一体が彼女を追いかけようとしたが、弾丸でそれを制した。
またね、か。また会う事はあるんだろうか?
呑気にそんな事を考えてしまった。
二体の遺界種がそれぞれ前後に分かれる。前衛の大柄が大盾と片手剣を作り出し、後衛の細身が長杖のようなものを作り出す。
見るに、剣士と魔法使い。まるでゲームに出て来るパーティだ。
前衛の遺界種は盾を構えつつ、こちらに突進してきた。シールドバッシュ。銃弾を数発撃ち込むが、盾がそれを容易く弾いた。
--硬い!
転がるように横へ飛び込むと、遺界種はその勢いのまますぐ近くのベンチを粉砕した。間髪入れず、後衛の遺界種が杖をこちらへ向ける。次の瞬間、杖の周りがキラキラと輝きだした。
--ヤバいッ!
『ユウ! 走れ!』
鼎さんが叫び、反射的に体勢を立て直して僕は駆け出す。
直後、背後で冷たい空気が爆ぜた。
どごんっ、どごんっ、と連続した衝撃を後ろに感じる。
「なんだよそれ!?」
思わず叫んだ。
振り返る暇はない。
脚を止めず、駆け抜ける。目指すは噴水の影。
走り様に輝導拳銃で杖持ちの遺界種を狙い応戦した。こちらの一撃が肩を抉り、相手が怯む。それをカバーするように盾持ちがすかさず割り込んで、残りの銃弾は弾かれた。
「ちっ--!」
舌打ちを漏らす。
続くかと思われた追撃が不意に止んだ。互いの射線が途切れたためか。その瞬間、僕は腰のポーチから発煙弾を取り出し、敵目掛けて投げ入れた。
地面に落ちた瞬間、ばんっ!と弾けた。両者を遮るように煙幕が広がる。
その隙に噴水の影に滑り込んだ。
「ハァ、ハァ、厄介だな……」
ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。
落ち着かせるために思考を回す。
最低限の連携を理解していそうな動き。なかなか居ないタイプだ。
『盾持ちと杖持ちは移動せず、そのままこちらの様子を見ているようだ』
鼎さんからの状況報告が入る。
やはり人を模しているだけあって、多少の知性はあるのだろうか?
最悪、局員たちが来るまでの遅滞戦闘でも構わないのだが、報酬のこともある。出来ることなら全て仕留めてしまいたい。しかし--
「……」
盾持ちは見た目通りの近接型。膂力はありそうだが動きは猪のようで直線気味。先程の攻撃を見るに大盾をメインに据えて、隙を見せた相手には剣を見舞うのだろうか。
一方、杖持ちは固定砲台じみた遠距離型だ。
噴水までの軌跡を見る。地面は抉れ、周りには砕けた氷が散らばっている。先程の光は氷塊を作っていたのだ。数秒の溜めがあるものの連射可能。氷が透明な分、攻撃が見えづらい。
対してこちらは警棒と拳銃で、発煙弾はあれっきり。拙い身体強化の輝導術とただの直感。あとは戦闘力は高くない鼎さんのサポートがある。
--決めた。
『鼎さん、先に杖持ちを倒す。フォローお願い』
『承知した』
今度はこちらの番。
呼吸を整え、飛び出した。
奴らとの距離を詰める。
反応した杖持ちが氷塊を作り出そうとする。僕はすかさず銃を放ち、互いの射線上に盾持ちを引き摺り出して凶弾を制した。
盾持ちが近づく。半身を隠しつつ、僕の胴体目掛けて横薙ぎに振るわれる剣。
それをスライディングで躱した。顔にかかる風圧が身体を萎縮させようとするが、気合いで恐怖心を押さえ込む。そのままの勢いで盾持ちを抜いた。
--冷たい空気を感じた。
抜いた先、奴の得物はこちらを向いていた。氷塊は既に生成されている。杖持ちはそれを撃ち出すだけで事が済み、こちらは未だ体勢を立て直しきれていない。
当初の予定は、盾持ちを射線上に貼り付けることで氷塊射出をキャンセル。そのまま盾持ちを抜き去った後、氷塊が作られる前に速攻を仕掛けるはずだった。
目論見が外れる。向こうが一手先を行っていた。
意識が延びる--。
思考は加速する--。
一秒先の--自分を視た。
意趣返しと言わんばかり射出された、回転する氷塊。唸り、猛り、風を巻き込み、直進する。回避は間に合わず、未熟な術は食い破られて、為す術もなくそれを受け入れる。池に岩を投げ込むように血飛沫を上げ、弾け飛ぶ肉片。見るも無惨で無様な姿。
--いや、違う。計算式を間違えている。この結末はあり得ない。
思い出すのは自分の罪。走馬灯なんて優しいものではない。僕にとって過去とは刑罰だ。いつまでも終わらない火刑だ。
それ故に拒絶する。この未来は容認出来ない。こんな所で死んではいけない。そんな簡単に死ぬ事なんて許されない。僕は死んでも生きねばならない。
--カァーと高く、鳥が鳴いた。
意識が戻る。
現在が始まる。
氷塊は今もそこにある。
瞬間、僕は銃を手放した。
体勢は不安定。狙いも定まらない今の状況下で銃撃という選択肢を切り捨てる。代わりに、杖持ちに向けて放り投げた。
理解している。そんな事でこの遺界種を倒せる訳もなく、氷塊が止まるはずもない。求めた結果はそれじゃない。
一つしかない眼で杖持ちは銃を見る。
ただ一瞬、敵の注意がソレに逸れるだけで良かった。
何故なら僕は一人じゃない。
--急降下する影がある。
まるで彗星。願いを叶える一条の流れ星。
爆発的な勢いはそのままに、一羽の鳥が杖に堕ちてきた。
三本足の白鴉--鼎さんによる突進だ。
意識外からの強襲に杖持ちは反応出来ない。
鋭い鉤爪が敵の手元を狂わせた。
照準をずらされ、杖持ちは明後日の方向に氷塊を撃ち出す。
『今だ! ユウ!』
「うおぉぉぉぉぉぉッ!!」
僕は飛び掛かるように杖持ちを押し倒し、その胸へと輝導警棒の鈍い先端を叩き付ける。
トリガーががちり、と音を鳴らした。
持ち手のカートリッジに充填された輝素が刀身に流れる。刻印が光り輝き、刃先に纏う電撃が放たれた。
びくんっ、と跳ねる遺界種の身体。馬乗りのまま押さえつける。
体組織がそこまで硬くないのは、今までの銃撃で確認済みだ。
ぼろぼろと遺界種の体が崩れていく。崩れて。崩れて。やがて輝素電撃が遺界核まで辿り着き、耐え切れずに砕け散った。
発声器官がないのか悲鳴も断末魔もない。それは僕にとって、せめてもの救いだった。
音もなく遺界種が消滅する。それを見て全身の力が抜けた。
「ハァ……」
思わずその場に座り込んだ。
まだ一体残っている。
背後から盾持ちが迫っているのを感じる。
分かってはいるが、武器を構える気にはなれなかった。僕の役目はどうやらここまでのようだ。
盾持ちの歪な剣が僕の顔に影を落とす。
『ユウ』
『大丈夫、分かってるよ。鼎さん』
けれど、死の気配はもうどこにも感じない。
「時間だ」
次の瞬間、遠方から放たれた蒼い斬光が公園を横断した。
一閃--。
盾ごと、剣ごと、遺界核ごと。
盾持ちの遺界種は何が起きたかも理解できぬまま両断される。その剣を振り下ろす事なく、盾持ちの遺界種はこの世界から消滅した。
遅れて、駆け込んできた人影があった。
青い制服に身を包んだ赤髪の女性。
遺界対策局機動三課所属、リーシャ・クロウェル。日頃より、大変お世話になってる人だ。
「助かりました、リーシャさん!」
感謝を述べたが彼女から反応は無い。リーシャさんは鋭い目つきで辺りを見回す。やがて手に持った輝導刀を納めると僕の前までやってきた。
「いやぁ、いつ見ても凄いですね、あの輝導斬撃! こう、ズバーーンって!」
愛想よく笑いかける。疲れすぎて語彙が死んでいる。それでもとにかく笑顔は大事だ。笑顔は人間関係の緩衝材だ。クッションを挟む事でこの後の衝撃に備える。
リーシャさんの綺麗な顔が近づく。彼女はすぅーっと息を吸って--
「いい加減にしなさいっ、このバカーーー!!」
人は限界を超えると言葉が単純になるらしい。
僕は思いっきり怒られた。




