琥珀の眠り編 1話
昔から人よりも、勘が鋭い方だった。
失せ物探しやちょっとした謎解きが得意だったり、物が壊れる直前を言い当てることもあった。
そして何より--嫌な気配に敏感だった。
大昔の例えで、炭鉱の中のカナリアというやつだ。不吉を前に、直感が働く。
違いはそれが籠の中の鳥なのか、空を羽ばたく鳥なのか。使役されたカナリアに選択の余地はないが、幸か不幸かこちらは人間だ。厄介ごとに首を突っ込むも、関わらぬよう逃げ去るも自由。選んだ先の後悔も、命の重さも、結局は自分次第だ。
特技と言うには後ろ向きで、こんな事で胸を張る気にはなれない。それでも、この勘には今まで何度も助けられてきた。
自分の生き方を決める上で、この力は大事な行動指針だった。
陽はまだ高くない。薄く白が混ざった青い空が鮮やかに目に映る。
街路樹が立ち並ぶ大通りで、僕はスクーターを走らせていた。
羽織ったジャケット越しに空気の冷たさを感じる。
通り沿いの商業施設はその殆どが、シャッターを下ろしている。閉ざされた店先が連なり、この場所の雰囲気には似つかわしくないバリケードを連想させた。自然との調和を謳い、家族連れや観光客で賑わうこの区画も、早朝の今は人通りが少ない。
街は未だ、微睡みの中にあった。
その中で寝る間も惜しんで働く観測ドローンが、鳥に紛れて上空を飛んでいるのが見えた。
街の至る所で見かける小型のドローン。区域毎に設置された観測塔と連携して周囲の環境情報を常に収集している。異常があれば即座に情報発信をしてくれる、いわばこの街の見張り役だ。
僕の勘はこの観測機器たちよりも少しだけ先に、異変に気付ける。それでも探索範囲、規模、精度、そして何より客観性において向こうが断然上だ。
一応、特定の凶事には前兆があった。地上に居ながら船酔いを覚える。それなのに、自分は確かに静止していると分かっている。そんな矛盾。
体の内側--魂とでも言うべきナニかが無理やり揺さぶられる感覚。
しかし、それはどこまで行っても主観でしかないのだ。こっちは曇り空を見て「雨が降りそうだ」と言っているだけだが、観測機器は雨雲の位置や降水確率までをも瞬時に弾き出す。人に話して信じてもらえるのは、言うまでもなく後者だ。
故に、人を助けなければならない僕にとって、感じた気配というものは到底無視出来ないものだった。
ドローンが悠々と僕を追い越し、街中へ消えていく。その姿が見えなくなる頃には、こちらも目的地に辿り着いていた。
駐車スペースにスクーターを止め、大通りに面した緑地公園に足を踏み入れる。広く、周囲はぐるりと木々が立ち並び、優しい緑の壁で区切られた憩いの空間。涼やかな風と共に、朝露に濡れた緑の香りを感じた。
無人であれば都合が良かったが、そう事は上手く運ばないらしい。早起きで健康的な街の住民が、少ないながらも公園に集っていた。
犬の散歩を楽しむ老夫婦、ベンチに座って気難しい顔で新聞を広げる背広の中年男性、東屋でぼーっと辺りを見回す女の子など。数える程の人間が、思い思いの朝を過ごしている。
「よし……」
僕は陣取るように公園中央の噴水の前で、肩から下げたバッグを下ろした。
普段なら心地良いはずの静けさが、今は逆に僕の鼓動を早くする。
これからする事を考えると正直、気が重い。それでも意を決して、用意した拡声器を取り出した。信じてもらえないかもしれない。それでもやらないよりはマシだと僕自身が信じるしかない。
一度深呼吸をしてから、周囲の人間に呼びかけた。
「みなさん、おはようございます! 朝からお騒がせして申し訳ありません!」
キーンとハウリングする拡声器に顔をしかめる。何事だと周囲の視線が集まった。少人数とはいえ、妙に圧を覚える。
羞恥心で顔が熱くなるのを感じた。
「民間で封界士をしています、アガクモ代行屋のユウ・アガクモと言います! これからこの公園を中心に遺界現象が発生する恐れがありますので、みなさんは速やかに避難してください!!」
『遺界現象』--その言葉に空気が騒ついた。
学者曰く『遺界』という世界があるらしい。
僕たちが住むこの世界とは別の、謎だらけの世界。分かっていることと言えば、時折この世界に発生しては大小様々な超常現象を引き起こし、嵐のように去っていく傍迷惑な隣人である。
こことは異なる自然環境や物理法則、文明があるとされていて、近年の発表では歴史の中で名前をつけられるような大災害も、遺界が関係していると考えられているようだ。遺界が関わる異変、それらを総称して遺界現象と呼ばれている。
「……すみません、今の話本当ですか? 避難しろって、検知アプリには何の反応もないですけど……?」
ベンチに座っていた中年男性が訝しむ様子で僕に近づき、自身の携帯端末の画面をこちらに見せる。そこには輝素濃度の検知アプリが表示されていた。
遺界現象が発生する直前、決まって異常値を叩き出すものがある。
『輝素』だ。輝素は自然界のあらゆる場所と、生命体の中を巡るエネルギーだ。消費しても時間と共に自然回復し、情報を記録するという特異な性質を持っている。かつて世界は火や水、風の力を利用してエネルギーを生み出していたらしい。しかし現在では、社会基盤のほぼ全てが輝素によって支えられている。
そのため街中の観測機器は、遺界現象の指標である大気中の輝素濃度を常に監視している。
さっき飛んでいたドローンも、その一つだ。
僕の場合はその観測結果よりも先に、あの嫌なブレを覚えた。
「実は今、試験運用中の新型輝素濃度検知機がありまして、そちらの方ではすでに輝素濃度に異常値が検出されているんです」
真っ赤な嘘である。
ここで何かが起きる。その予感だけはあるものの、証明できるものが何も無い。それらしい嘘をついて、信じて貰えたら御の字。最悪、おかしな奴が居ると思って何処かへ行ってくれるならそれでいい。
ただ、一番対応に困るのが--
少し考える素振りを見せてから男性は告げた。
「……私はインデックスで働いていますが、新型の検知機なんて話、噂でも聞いたことがないんですが……」
--この界隈に詳しい人が居る場合だった。
「こういうものです」と名刺を渡される。
肩書きにはインデックスの開発部主任と書かれていた。最悪だった。この手の嘘を貫くには、どう考えても最悪な相手だった。なぜこういう時に僕の勘は助けてくれないのか。僕は僕を恨んだ。
「イ、インデックスの社員さんですか。いつもお世話になってます、ははは……」
思わず声が上擦った。
株式会社インデックス。主に封界士向けのサポート用品を取り扱い、輝素濃度の検知機器についても開発、研究に携わっている大手企業だ。
この嘘は僕の鉄板ネタだったのだが、今回は完全に裏目が出た。動揺で顔が引き攣る。
「失礼ですがその検知機、どこが出してるんですか?」
「ちょっとそういう話は守秘義務がありまして……」
素人質問で恐縮ですが、という言葉が頭をよぎった。
不都合な質問には毒にも薬にもならない、無難な回答でカバーする。
「それもそうか……。じゃあ今の輝素濃度はいくらで表示されてますか? そのくらいは問題ないでしょう?」
「い、今の数値ですか? えー、今の数値は、ですねぇ、それも守秘義務でしてぇ……」
仕事柄なのか予想以上に踏み込まれる。細かい事は気にしないで、さっさと逃げて欲しい。
こちらが口籠ったのを見て、男性は眉を顰めた。
「輝素濃度も答えられないって……。最近、封界士を騙って北区の遺界研究所が襲撃された事件があったらしいんですが……失礼ですけど、あなたホントに封界士ですか?」
男性は手に持った新聞の一面を見せてくる。
『研究所襲撃、犯人は封界士!?』と大きく見出しが載っている。記事を流し読みすると、その手口は僕と一緒だった。とても不味かった。
男性が注意深く僕を見る。上から下にかけて視線が動く。黒と白が混ざった髪に右目の眼帯、義手の左手と腰に下げている僕の得物と順に見て、少し怯えた顔をした。こんな見た目にその事件だ、仕方ないと思う。
僕は僕で人助けの為とはいえ嘘をついてる罪悪感と、真実まで疑われた焦燥感で体が硬くなる。周囲の人たちも男性の言葉で不安そうに顔を見合わせていた。
「なに、あの人。犯罪者……?」
「でもこんな所になんの用だよ?」
「逃げた方がいいのかな?」
ひそひそとした声が耳に刺さる。
一度生まれた疑念が波紋のように広がる。
確かに逃げては欲しいが、それでこちらが犯罪者として通報されるのは流石に避けたい。
「えっ、ええ、本当に封界士ですよ! ちょっと待ってくださいね、今、免許証を--」
「ねえ」
不意に袖を引かれた。
東屋に居た女の子だった。
目を惹くのは白を基調とした服装と、淡く輝いて見える金の髪。人形めいた整った顔には、水晶のように純真無垢な瞳が備わっていて、こちらを見つめている。少女の姿は月夜、未踏の雪原を想わせた。
「封界士って、なに……?」
「………………えっ?」
見惚れていた訳ではない。いや、確かに彼女は綺麗なのだが。その言葉の意味を理解するのに、三秒ほどかかってしまったのだ。この場に集まった人たちは彼女を除いて、皆似たような顔をしていた。
「お嬢ちゃん、ホントに知らないのかい?」
犬の散歩をしていたお爺さんが目を丸くして訊ねている。
コクリと頷く少女。
どうやら聞き間違いじゃないらしい。
「封界士って、なに……?」
--『封界士』--
遺界現象の調査、収束、および発生した脅威への対処を主任務とする専門職だ。
年々増加する遺界現象に対応するため、国の遺界管理局と民間の封界士協会が設立された。まあもう一つ、特例的な組織があるのだが今は置いておく。
封界士は両組織のいずれかに所属し、互いが協力関係のもと活動することで、人々の生活圏を脅かす脅威を封じ込めるために日々奔走している。僕も一応その端くれだ。
彼女はそれを大真面目に訊いているようで、張り詰めた緊張が一気に抜けてしまった。
このご時世、良くも悪くもどこでも耳にする封界士を知らないとはどうしたことか。年齢も僕より少し年下な、見るからに学生ぐらいなのに。一体どんな生活を送れば--いや、今はそれよりも。
「封界士ってのは、簡単に言えば遺界現象の対処に当たる人のことだよ--って、そもそも遺界現象は分かる?」
「この前見た。あの変なのが出て来るやつ」
まあ流石にそれは分かるか。
「そうそう。その時、誰か来て戦ってたでしょ。その人たちみたいな事をするのが封界士だよ」
「じゃあ、あなたがその封界士?」
「そうだよ。はいこれ、免許証」
懐から出した免許証を彼女がじっと見つめる。微妙な写りの顔写真を見られているようで、なんだか気恥ずかしい。
「……うん、分かった」
彼女は満足したのか、ひとつ頷いてから僕から離れた。
「なんだ、やっぱり封界士なの?」
「まあ、こんな所襲ってもな?」
少女の様子を見て、今度は逆に安堵が広がる。
「はいっ! そういう訳でみなさん、念のためです! 遺界現象の恐れがありますので、速やかにこの場から避難してください!」
先程の追求が途切れたのを良いことに、ぱん、と手を打って話を無理矢理、結論に持っていく。少し前に、相手に何かを押し付けるときは勢いが大事だと、友人から学んだばかりだった。
しかし悲しいかな。時間切れだ。
タイミングが良いのか悪いのか、各々の端末から警報が鳴り響く。
遺界の断片が姿を現そうとしていた。




