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琥珀の眠り編 3話

 セヴェルマーレ共和国の南部に位置する湾岸都市--カステンヘイム。人口は約八十万人。古き街並みと新しき文化が混ざり合う雑多な街。そんな市街地の一角。数ある建物の中で、閑古鳥が我が物顔でのびのび鳴いているのが、二階建ての僕の事務所--アガクモ代行屋。封界士業務も請け負う何でも屋だ。


 その隣には対照的に、客足の絶えない喫茶ミュゲットが店を構えている。近隣住民や学生たちに親しまれる人気店で、僕にとっては自宅同然の馴染みの場所。事務所を留守にする時は決まって入口に「現在留守につき、御用の方は喫茶ミュゲットへ」と張り紙を貼ってから外出していた。

 朝の事後処理を済ませミュゲットに戻る頃、すでに陽は高く登っていた。


 カランカランと店のドアベルが甲高い音を響かせる。中に入るとコーヒーのどこか落ち着く香りが鼻をくすぐった。

 レトロ調な店内の客席はまばらに埋まっている。ランチを楽しみ、静かに読書に耽り、各々が穏やかな時間を過ごしているようだ。

 その中で、小さな店員が空いたテーブルを拭いていた。手を伸ばし、少し踵を浮かせながら店の手伝いをする姿が何処か微笑ましい。


「いらっしゃいま--あっ、ユウちゃん! おかえりー!」


 僕の姿を見つけるなり、少女はまだ幼さが残る顔をぱっと明るくした。花が咲いたように元気いっぱいな彼女はアイナ・グリムウッド。ここの店主の一人娘であり、ミュゲットが誇る看板娘だ。


「ただいま、アイナ。朝は急に飛び出して行っちゃってごめんね」


 このミュゲットは僕の事務所と同じく一階が店舗、二階が居住スペースの店舗住宅だ。グリムウッド一家はそのままここに住んでいる。

 七年前、僕が十五歳の時に隣に越した時から大変お世話になっていて、朝食はいつも一緒に摂っていた。今朝は遺界現象の気配もあって、朝のひとときを途中で切り上げて現場に向かったのだ。


「ううん、だいじょぶ! そんなことより、ユウちゃんとカナっちは怪我とかしなかった?」


 アイナの大きな瞳が不安に揺れている。僕の服をギュッと掴んで見上げる彼女の姿に、ちくりと胸が痛んだ。

 まったくもって不甲斐ない。天真爛漫な彼女にそんな顔は似合わないというのに。


「鼎さんは疲れて眠っちゃったけど大丈夫だよ。僕の方もほら、この通り。だからどっちも問題無し!」


 そう言って僕はアイナの不安を蹴散らすように、彼女の頭をぐりぐりと雑に撫でた。


「よかっ--ぎゃーっ! 私の髪ー!」


 少しクセのある栗色のサイドテールは左右に揺れ、コロコロと表情が変わる。僕の手の動きに合わせて何度か頭を振ったところで、アイナはその手を払いのけた。

 女の子の髪はデリケートなんだからっ--と、頬を膨らませる少女。プリプリと怒りながら店の手伝いに戻る姿がおかしくて笑みが零れた。


「おかえり、ユウくん。朝から大変だったね」


 少し遅れて、カウンターの奥から大柄な男性が顔を出した。アイナの父親。ミュゲットの店主を務めるハンソンさんだ。

 クセのある茶髪。眼鏡の奥には少し垂れた、つぶらな瞳が見える。丸みを帯びた顔は人の良さそうな柔和な笑みを浮かべていた。まるで絵本に出てくる森のクマさんのような、朗らかな人だ。


「ハンソンさんもただいま。無事に怪我人ゼロで解決出来ました。その後はまあ、いつもの通りで……」


 店の入り口近くのカウンター席に座り、リーシャさんの言葉を思い起こす。


 --いっつも無茶ばっかして!

 --朝の連絡なにアレ!? 「これから遺界現象起きます」とか一方的に送って来て!

 --牽制だけにしろって言ってんのに!

 --私たちが来るまで待ちなさいっての!


 苦笑いが浮かぶぐらいには、それはもうたっぷり搾られた。なんなら、いつもより剣幕が凄かった気がする。虫の居所が悪かったのかもしれない。それでも僕に詰め寄りながら、テキパキと仕事をこなす姿は流石の一言だった。


「仕方ないよ、リーシャさんも君のことが心配なんだ。僕だって出来ればユウくんには危険な事してほしくはないけど、君が選んだ生き方だ。それに助けられてる僕らが強くは言えないしね」


 ハンソンさんはその大きな手でコーヒーを淹れていく。挽いた豆にお湯を細く注ぐ姿は実に手馴れている。


「けどね、ユウくんは若いんだから、いくらでも道はある。辛くなったらいつでも辞めて良いんだし、気が済むまでやってみればいいさ。どんな道だって僕たちは応援するよ。ま、何はともあれ怪我人がでなくて良かった。はいどーぞ、駆けつけ一杯ってね」


 ことん、と目の前に労いのコーヒーがお茶目なウインクとセットになって用意された。僕は「ありがとう」と言ってそれに口をつける。ナッツのような香ばしい香りが鼻を抜け、雑味のない苦味が口に広がった。味わい深く、その温かさが疲れた身体に染み入る。飲み慣れたこの味に、家族の温もりのようなものを感じた。


「あ、そうだ。帰りに見かけたから買って来たよ。ロドス・レヴィタスの新刊」

「え、ほんとにっ!?」


 優しい父親のような表情から一転、無邪気に喜ぶ子供のような顔を見せる。その顔はアイナによく似ていた。


「おぉー! ありがとー! 店が終わったら探しに行こうと思ってたんだよこれ!」

「ふふ、どういたしまして」


 ハンソンさんはいわゆる本の虫と言うやつだ。暇さえあればコーヒーをお供に読書に耽る。

 今も手渡したその場で表紙を開き、すぐに閉じては「おぉぉ、早く読みたい!」と泣いていた。

 上機嫌な彼の姿を見て、なんだか僕も嬉しくなった。


「ユウちゃんユウちゃん」


 そんな父親の姿を横目に、アイナが高椅子に座る僕の服の裾を引く。


「どうしたのアイナ?」

「さっき言いそびれちゃったんだけど、ユウちゃんが出掛けてる間にお客さん来てたよ」


 口を付けたコーヒーでむせそうになる。依頼人だとしたら、あまりにも久しぶりだ。


「ほんとにっ!? 連絡先とかって--」

「ううん、帰ってくるまで待つって言って、お店の奥にいるよ。ほら、あの人」


 僕を手招くアイナに着いて行く。彼女が指差すテーブル席には客受けを狙った巨大なパフェが、その挑戦を受けていた。トレイで口元を隠し、アイナが小声で、けれど興奮気味に語る。


「ユウちゃんあの人凄いよ! もの凄い綺麗なのはそうだけど、さっきから店のメニュー片っ端から食べてるの。その上であの巨大パフェ! 恐ろしい、底なしの胃袋だよ!」


 あまりの光景に目を疑った。うず高く積み上げられたクリームがすごい勢いで消えて行く--ことではなく。それを消している張本人の姿に驚愕した。金の髪に白い服は記憶にも真新しい。テーブル席に近づくと彼女は僕に気が付いた。


「ん。待ってた、ユウ」


 ペロリと唇を舐め、ノアは座ったままに僕を見上げた。



 ◇◇◇



「なんて言うか、まさかこんな早くに再会するとは思わなかったよ。よくここ……というより事務所の場所わかったね」


 僕は席を移し、ノアの向かいに座った。

 彼女は顔色ひとつ変えずに巨大なパフェを攻略している。あっという間にコーンフレークを残すのみとなった。パフェスプーンがザクリと音を立てながら、お菓子の地層を掬っていく。


「さっきの。免許証を見た時に場所を覚えた」


 どうやら彼女の記憶力は良いらしい。


「なるほど。それで、僕に何か依頼かな?」

「…‥依頼?」


 ノアは小さな顔で首を傾げる。


「えっと、違うの? というかそもそも、僕が普段何やってるか知ってる?」

「……封界士じゃないの?」

「それはそうなんだけど、同時にアガクモ代行屋って便利屋もやってるんだ。お客さんが自分の代わりにして欲しいことを、お金を貰って僕がやる仕事」


 名刺を渡す。こういうさりげない営業が事業継続に活きるのだ。

 ノアは興味深そうにひとしきり眺めると、一度それをテーブルに置いて、僕に視線を戻した。


「私はただ、ユウのことが気になったから会いに来た」


 控えめに言って、アイナの言葉通りノアは綺麗だと思う。それこそ百人に訊いて、百人が同じ答えを出すぐらいには。

 まるで神様の手で造られた、正しいカタチを持って生まれた人形。

 僕だって男だ。きっと普通の出会い方をしていれば、その言葉にときめいたのかもしれない。


 --朝の出来事が脳裏をよぎる。

 真面目な顔で分からないと訊ねる彼女。今のノアは朝と同じ顔をしている。


「パパー! ユウちゃんが彼女候補連れて来たー!」


 ただし、アイナはそんな事知らなかった。

 テーブルに水のお代わりを置いて、お気に入りのデニム地のエプロンを翻し、ロケットスタートで消えて行く。声はずいぶんはしゃいでる。


「アイナちょっと待とうか!? 違うよ! 全然違うよ!! あー……聞いてないなこれ……」


 そんなに喜ばれると、普段どんな風に見られているのか気になってしまう。確かに浮いた話なんてないけども……。

 アイナの誤解を気にもせず、ノアは話を続ける。


「ユウって何者なの? 普通の人とはなんだか違う気がする」


 悲しいかな、予想通りのシリアスな質問だ。そしてひどくマイペースな質問だ。

 しかし、まさか彼女の方からそれを訊かれるとは思わなかった。


「それをキミが言うか。何者って、ただの人間だよ。こんな見た目してるけど、至って普通の一般人。腕とか目とかは、遺界現象でちょっと、ね……」


 ノアの視線がチラリと僕の患部に移る。

 この身体になったのは、この街に来るよりも前のこと。十年前の遺界現象が原因である。その時に僕は本当に多くのものを失った。腕も目も、当然、大切な人たちも。立ち直るまでには長い時間がかかったけれど、幸運にも僕は周囲の人に恵まれた。


「--痛かった?」


 ノアの一言はまるでこちらを見透かしてるようだった。

 それは肉体そとがわのことか、うちがわのことか。彼女の瞳が真っ直ぐ僕を見ている。


「……痛かったよ。とても痛かった。辛すぎて、きっと僕独りなら、生きていることに耐えられなかった」


 少しの沈黙。しかし気が付けば言葉が漏れ出ていた。


 --ただ、その言葉が全てではない。


 視線を落として自分を見つめる。

 現在いまが夢であるのならと何度も願った。けれどこの歪な体が何度でも僕に現実を突き付ける。

 今までの価値観が決定的に変わってしまった十年前。年相応の無邪気さはあの時を境に捨てるしかなかった。

 時間は経った。立ち直りもした。ただそれは、生きる事に妥協したようなものだ。

 僕は未だ、僕を許せていない。ただ生きる事を許さず、ただ死ぬ事を許さず。--きっとそれは、これからも。


「そっか」


 カランとグラスに入った氷が音を立てた。


「私はユウに会えて良かったと思う。どうしてだろ?」


 染み入るような言葉だった。

 慰めとは違う。リップサービスとも思えない。きっと、純粋な彼女にそんな余分は無いだろう。ノアは今、本当にそう感じていて、本当にその理由が分からない。


「……それは、僕には答えられないよ。第一、互いのことをよく知らないだろう? なんなら今はキミだけが僕のことを知っているじゃないか」


 不思議なことだが、彼女から質問をされる度に、自然とそれに答えてあげたいと思うのだ。彼女の願いには可能な限り応えてあげたいと。それはどこか好意に似たナニか。ともすれば、彼女の命令には従わなければと本能が訴える。

 けれど、こちらだけが一方的に質問されるのは不公平というものだろう。

 僕はグラスの水を一気に煽る。


「だから僕からも質問だ、ノア。キミは一体--何者だ?」

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