第53話 魂に刻まれた牙
ミレイユさんは信じられないものを見るようにシオンを見つめていた。
「使い捨ての、駒……」
その声が、かすかに震えた。
「……聖教会にとって竜は、ただの強大な兵器に過ぎません。そして、その兵器を動かすための『鍵』が、私たち孤児なのです」
シオンは肩の上のシルヴァリウスを、細くしなやかな指先で優しく撫でた。
竜はそれに応えるように目を細め、喉を鳴らす。
その光景はあまりに慈愛に満ちていて、彼らが「汚れた道具」として扱われているなど、到底信じがたかった。
師匠も暗い顔で口を開いた。
「昔からその悪しき風習はあったのだ。だがわしも含め、その事実を知った者は見て見ぬふりをしていた。……当時の騎士団は聖教会の決定に逆らえるほど強くはなかったのだ。奴らの決定を、国を守るための『必要な犠牲』だと飲み込むしかなかった」
師匠は苦い記憶を噛み締めるように、言葉を絞り出した。
「だが、その理不尽にたった一人で立ち向かったのがライアンだった。子供たちを使い捨てにするのは、どう考えてもおかしいとな。それに、運命の巡り合わせか、時機も味方したのだ。アレン様の父君、ディオス様が作られた『空白の十年』……戦がないこの十年の間に、竜騎士の必要性が薄らいだ。聖教会も権力争いに現を抜かし、管理が疎かになっていたからな」
師匠は焚き火の火花を見つめながら、ライアンの背中を追うように言葉を続けた。
「ライアンはその隙を逃さなかった。あいつは自分の出身である『銀木犀の家』を強引に聖教会の管理から切り離したのだ。そして周辺にあった小さな孤児院をすべて銀木犀の家に統合した。自分を唯一の支援者としてな……あいつは騎士団副団長としての報酬、その金のすべてを孤児院に注ぎ込んでいたよ」
「……全部、ですか?」
僕の問いに、師匠は深く頷いた。
「ああ。贅沢一つせず、自分の服すらも売り払う勢いだった。あいつは言っていたよ。『俺には、すべてを救う力はない。だからこそ、せめてこの手が届く範囲だけは、何があろうと守り通してやる』とな」
その言葉を聞いたシオンは、一瞬だけ目元を緩めた。
しかし、すぐにその表情を引き締め、銀色の瞳を僕へと向けた。
「……ですが、その平和も十六年前のあの夜に終わりました。あの日、ライアン様は一つの『魔力探知の石』を握りしめ、鬼気迫る覚悟を持ち銀木犀の家にいらっしゃいました」
シオンの脳裏には、当時の煤けた空気と、ライアンの鬼気迫る表情が鮮明に蘇っていた。
「ライアン様は言いました。『魔族との戦が始まった。聖教会はまたなりふり構わず魔力を持つ子供を探し回るだろう。……ここも俺がいつまで守り切れるかわからない。お前たちの中に魔力がある者がいるか、今のうちに俺が知っておかねばならない』と」
シオンは自嘲気味に口角を上げた。
「……結果は非情なものでした。銀木犀の家には私を含め、三人が魔力を持っていることがわかったのです。残りの二人は、まだ私の背丈にも届かない小さな弟と妹でした」
焚き火の爆ぜる音が、当時の動悸のように響く。
「……ライアン様は、その石が光るのを見て、泣きそうな顔で……けれど、地獄の業火でも消えないほど強い覚悟をその瞳に宿して、私たちを抱きしめました。魔力があることが分かれば、教会に『鍵』として奪われる。ならば……その前に自分の手で、『意志』を持った騎士に育て上げるしかないと」
シオンは自分の掌を見つめた。
「私の魔力は三人の中でもとても強かった。ライアン様が仰るには、放っておけば私は聖教会の魔道兵として連れていかれるだろうと。……本来なら、それはこの国では神に選ばれし者の証であり、輝かしい栄光の座です。ですが、聖教会の中枢に入れば、私は彼らの教義に染まり、都合のいい人形にされてしまう」
シオンの言葉に、師匠が鋭く目を細めた。
「……だから、あいつはお前を自分の養子にしたのか」
「……はい。父は言いました。『聖教会の奴らは俺への当てつけに、お前を不浄の竜騎士へ突き落とすだろう。……奴らのその悪意を利用するんだ』と。それに、竜騎士として連れていかれるであろう弟たちを守るため、そしていつの日か戻る団長とアレン様のためにも、自らの意志で動ける軍事力――竜騎士の地位が必要でした」
ミレイユさんが息を呑む音が聞こえた。
誰もが羨む『約束された栄達の道』から、あえて「使い捨て」の竜騎士へと、ライアンは我が子を突き落としたのだ。
「……シオン。お前は、ライアンを恨まなかったのか?」
師匠の問いに、シオンは穏やかに首を振った。
「一度も。……ライアン様が、その話をしてくれた日、私を抱きしめ泣いてくれたのを知っていますから。『許してくれ、お前に地獄を歩ませる俺を、どうか呪ってくれ』と。……その涙の熱さを知っていたから、私はどんな過酷な試練も耐えられました。私が銀翼の竜騎士団長になったのは、父の愛が正しかったことを証明するためです」
シオンは顔を上げ、かつてライアンが見せたであろう「鬼気迫る覚悟」をその銀色の瞳に宿した。
「そうして父は、私だけでなく魔力が判明した弟妹たちも含め、三人全員を自分の養子にされました。……それからの一年間は、まさに壮絶な日々でした。今まで触ったこともなかった剣の扱い方。そして、父が副団長にまで上り詰めるために編み出した、『生き残るための術』のすべてを、私たち三人に叩き込みました」
シオンは焚き火の熱を掌に受けながら、遠いあの日々を回想した。
「敵のわずかな呼吸の乱れから次の一撃を読む方法。飢えや寒さに耐え、毒を食らってもなお剣を振るうための精神力。そして何より、父は私に『冷徹な仮面』の被り方を教えたのです。聖教会の奴らの前で、決して心の内を見せず、ただの便利な道具であると信じ込ませるための、嘘のつき方を」
師匠が、深く、深く頷いた。
「……ライアンらしいな。あいつは誰よりも観察眼が鋭かった。お前がどんなに追い詰められても、心だけは教会の色に染まらぬよう、あいつは自分の『牙』をその魂に刻み込んだのだな」
「はい。父は毎日、痣だらけになった私たちを抱きしめ、耳元で呪文のように繰り返しました。『シオン、カイン、ネイサ。お前たちは道具じゃない。俺の自慢の子供たちだ。いつか、アレン様が戻られるその日まで、絶対に死ぬな。どんなに惨めに地獄を這いずっても、最後の瞬間にあいつらの喉笛を食い破るために、何があっても耐えるんだ』と」
シオンの語る「壮絶な日々」は、しかしライアンの深い慈愛に満ちていた。
誰に蔑まれ、どんな闇に身を沈めてでも、その瞳に宿る光だけは絶やさぬ騎士であれという、父の凄絶なまでの願い。
「父の息子として過ごしたのはたったの一年でした。ですがその短い間に、父は私だけに、その胸にある『すべて』を託しました。エレナ様とディオス様の真実。アレン様の宿命。……そして、聖教会の歪んだ理を。それらを一言も漏らさぬよう魂に刻み込まれ、ちょうど一年が過ぎたころ。……運命の、あの日を迎えたのです」
シオンの銀色の瞳が、焚き火の光を撥ねのけるように夜の闇へ沈んだ。
その声の温度が、一段と低くなる。




