第52話 捨て石の英雄
ミレイユさんが叩きつけるようにくべた薪は、冷え切っていた場を拒絶するように、凄まじい勢いで炎を吹き上げている。
シオンの肩に乗った白銀竜――シルヴァリウスが、ふわりと白銀の翼を広げた。
激しく舞い上がる火の粉をその身に浴びながら、小さな竜は、静かにその場にいる「人間」たちの姿を映し出していた。
宝石のアメジストを削り出したような、深く、澄み渡った双眸。
その瞳は、絶望に沈む師匠の背中、苛立ちに震えるミレイユさんの拳、そして戸惑う僕の心――その奥底にある「魂の震え」をすべて見透かしているかのような、神秘的な静謐さを湛えていた。
シオンは、燃え盛る炎をその銀色の瞳に宿し、かつてないほど鋭く、凛とした光を宿して師匠を見据えていた。
「……これが今の、エルディアーナ聖王国の全貌です」
逆巻く炎の熱気に晒されながらも、シオンの声は氷のように透き通り、そして鋼のように硬く響いた。
「ガルド団長。先ほどあなたは、何一つ残っていないと仰いました。ですが……何も残っていないなどということは、決してありません。あなたはこの十六年、この国の最後の希望であるアレン様を、その命を賭して守り抜いてこられた。それ以上に価値のあるものが、この国にまだ残っているとでも?」
師匠の肩が、びくりと跳ねた。
シオンは一歩、師匠の方へと歩み寄り、言葉を重ねる。
「父ライアンは、あなたのことをずっと信じていました。……必ず、この国を救うために団長はアレン様を連れて戻ってくる。その時、あなた方の剣となり、盾となる者がいなければならないと」
シオンは一度言葉を切り、自分の掌を見つめた。
「だからこそ、父は私を養子に迎えたのです」
「……何だと?」
師匠の喉が、掠れた音を漏らした。
シオンは静かに、自らの出自を語り始めた。
「先ほども言いましたが、私は孤児でした。ですが父に、ライアン様に育てられたといっても過言ではありません」
その言葉に師匠の瞳に僅かな光が宿った。
「……シオン。そなたは、ライアンの出た、あの孤児院で育ったのだな」
師匠が、低く、押し殺したような声で口を開いた。
「はい。『銀木犀の家』。……物心ついた時から、そこにはいつもライアン様がいました。来るたびに両手いっぱいに抱えていた、食料や、おもちゃ、お菓子……。あの人は、身寄りのない私たちにとって、いつだって眩しいほどに輝くヒーローだったのです」
シオンは慈しむように目を細め、かつての温かな記憶を噛みしめる。
その言葉を聞いた瞬間、師匠はシオンの顔を、特にその「銀色の瞳」を、射抜くような鋭さで見つめた。
「……金髪に、その銀の瞳。……ライアンの後ろに隠れて、震えていた……」
何かに気づいたように、師匠の声から険しさが消え、驚きが混じる。
「……待て。もしかして、お前……あの時の子か? ライアンの服の裾を握りしめて、俺の顔を見るなり『怖い熊が来た』と言っていつも泣き出しそうになっていた、あのチビか?」
不意を突かれた師匠の言葉に、シオンはどこか誇らしげに、けれど照れくさそうに口角を上げた。
「……本当に『大熊』でしたよ。ガルド団長。ライアン様の後ろで、いつも不機嫌そうな顔をしながら、山のような荷物を運んでいたあなたのことを、幼心によく覚えています。……あの頃から、あなたは少しも変わられませんね」
師匠は一度だけ、呆然とシオンを見つめ、それから遠い記憶の温かさに身を委ねるように、大きく吐息をついた
「……そうか。あんなに小さかったガキが、今や銀翼の竜騎士団長か。道理で見覚えがあると思ったわ。……あいつにとって、あの場所はただの孤児院じゃなかった。あいつの『命の根っこ』だった。戦場でどれほど泥を啜り、血を浴びても、お前たちの顔を見れば自分を人間に戻せると言ってな。あいつは……自分の魂を、お前たちという未来に託して、必死に守り抜こうとしていた」
それは、親友の「献身」を一番近くで見ていたガルドだけが知る、ライアン・ハルフォードの真実だった。
師匠の語る思い出に、シオンは一度だけ、愛おしそうに目を細めた。
だが、その瞳に宿った微かな熱はすぐに冷ややかなものへと変わり、彼は再び、厳しい現実へと意識を戻す。
「……十六年前の、あの夜のことです。窓からは、とても心地のいい夜風が流れ込んでいました。けれど突然、王宮の方角から……すべてを白く塗り潰すような閃光が差し込んだ。 その直後でした。地を揺らす轟音が響き、王都の空が、炎で紅く染まったのは。 何が起きたのかも分からず、僕たちは先生や他の子供たちと、ただ震えて身を寄せ合い……朝が来るのを待つことしかできなかった」
シオンはそこで一度言葉を切り、遠い空を見上げるように目を細めた。
その横顔には、当時の幼い自分が見た「理解を超えた現象」への恐怖が滲んでいる。
「……後から知ったことですが、あれはエレナ様がアレン様を守るために、その命を灯火に変えて放たれた極大魔法だったのですね」
アレンの体がビクッと震えた。
母が自分を生かすために振り絞った最期の輝き。
それが遠く離れた場所にいた人々にまで届き、そして今は目の前のシオンの記憶と重なっている。
そんなアレンの心の痛みを包み込むように、シオンは優しく彼を見つめ、静かに言葉を継いだ。
「その数日後です。王都はまだ混乱のさなかでしたが、ライアン様が銀木犀の家にいらっしゃいました」
シオンの視線が、ふと遠くを見つめる。
その脳裏には、鮮烈すぎる記憶が焼き付いているようだ。
「……あの時のライアン様の表情は、今も忘れられません。いつもの豪快な笑みは影を潜め、唇を血が滲むほど強く噛みしめておられた。……まるで、一番大切なものを守るために、自ら地獄の門をこじ開けるような……そんな、見ていられないほど悲痛な覚悟が、その瞳に宿っていました」
師匠は重苦しい吐息をつき、膝の上の守り刀を指でなぞった。低く、地這うような声が漏れる。
「……竜騎士のことか。あいつは、その一番つらい決断を、孤児院に持ち込んだのだな」
シオンは静かに、一度だけ深く頷いた。
その拍子に、肩の上のシルヴァリウスが主の感情に共鳴したのか、何かを察したように細い喉を震わせて「キュイ……」と鳴いた。
火の粉が夜空へ吸い込まれていく中、それまで黙って話を聞いていたミレイユさんが、我慢ならんとばかりに眉間に皺を寄せた。
「……ちょっと待ちな。さっきから『竜騎士』と『孤児』を当たり前みたいにセットで話してるけどさ、アタシにゃさっぱり分からないよ」
ミレイユさんは焚き火を囲む僕たちを順番に見回し、最後に師匠へと視線を止めた。
「竜騎士なんて言やぁ、この国じゃ泣く子も黙るエリート中のエリートだろ? 国を護る英雄様が、なんで身寄りもねぇガキの集まりから出てくるんだい? そんな名誉ある仕事、貴族様や魔法自慢の連中が放っておくはずがないだろうに」
彼女の問いは、この国の表向きの「常識」そのものだった。
だが、その言葉を聞いた師匠の顔に、どす黒い忌々しさが滲み出る。
「……名誉だと? フン、笑わせるな」
師匠は地を這うような低い声で吐き捨てた。
「ミレイユ、貴様は知らんのだろうな。竜騎士は、死と隣り合わせの修行の末に辿り着くものなのだ。……だが、魔法の素質を持つ者は千人に一人と言われる選ばれた存在。そんな貴重な、いわば『神の恩寵』を受けた自慢の我が子を、どこの親が、いつ死ぬかも分からん地獄へ差し出すというのだ?」
「……死ぬかも分からん……? そんなに危ないのかい?」
予想外の答えに、ミレイユさんの目が驚きに見開かれる。
師匠は構わず言葉を続けた。
「それだけではない。竜と共鳴するということは、己の魔力を『魔』である竜の魔力と混ぜ合わせるということだ。神を自称する聖教会にとって、それは魂を汚す『不浄』そのものなのさ。……つまり奴らはな、自分たちの手は汚したくないが、竜の力は利用したい。だからこそ、代わりがいくらでもきく、魔法の才を持った『身寄りのない子供』を拾い上げ、竜を御するための使い捨ての道具に仕立て上げてきたんだ」
焚き火の火が、師匠の怒りに呼応するように大きく爆ぜた。
「……そうです。私は、死ねば次の予備を補充すればいい、ただの『駒』に過ぎません」
シオンの静かな、けれど鋼のような響きを持つ声が重なる。
ミレイユさんは言葉を失い、シオンと、その肩でアメジストの瞳を輝かせるシルヴァリウスを、ただ呆然と見つめることしかできなかった。




