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【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第二章 継がれし希望

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第51話 語られる十六年、その入り口


 パチッ、パチチ……。  

 先ほどまで心地よい子守唄のように聞こえていた焚き火の爆ぜる音は、今はもう、止まってしまった時間を刻む残酷な音にしか聞こえなかった。


 戦友の死を知らされた師匠は、膝の上で握りしめた守り刀――ライアン・ハルフォードの遺志を、ただ無言で見つめ続けていた。  

 その拳は白く震え、鋭い隻眼は深い闇の底を覗き込んでいるかのようだ。


 シオンはそんな師匠に痛みを分かち合うような眼差しを向けた後、意を決したように僕を見据えて、静かに口を開いた。


「……エレナ様がお亡くなりになり、国中が深い悲しみと混乱に沈んでいた、そのわずか数日後のことです。聖教会は彼女の死を、周到に用意された『物語』へと書き換えて公表しました」


 シオンの声には、隠しきれない苦みが混じっていた。


「『魔族は聖女の清廉な祈りを畏れ、その命を絶つべく王都に奇襲を仕掛けた。突然現れた卑劣な魔物たちが、エレナ様の命を奪ったのだ』と。そして、『王都を護る祈りが失われた今、魔族との戦いは避けられない……民よ、聖戦の準備をせよ』とあおったのです」


 シオンは一度言葉を切り、夜の闇を見つめた。


「……教会は彼女の肖像画を『救世の聖女』として祀り上げることで、民の悲しみを一瞬にして猛烈な『魔族への憎悪』へと作り替え、自分たちの支配を正当化する道具にした。それが、この十六年に及ぶ地獄の始まりでした。……いえ、『始まっていた』と言ったほうが正しいかもしれません」


「それって、どういうこと……?」


 僕の問いに、シオンは焚き火の爆ぜる火花を見つめたまま、重く首を振った。


「魔族の進攻はガルド団長とアレン様が王都を脱出した時と同時に起きていたのです。しかし聖教会は、国境沿いの要塞や村々、近隣の街が魔族に蹂躙じゅうりんされている事実を知っても、一切の軍を動かしませんでした。それどころか彼らは、一つの冷酷な『神託』を下したのです。……魔法の才を持つ者のみを、至急王都へ呼び寄せよ、と」


「……っ。それじゃあ、魔法が使えない人たちは……」


 嫌な予感が、冷たい汗となって背中を伝う。  

 最後まで問いを形にできなかった僕の震えを、シオンは沈痛な面持ちで肯定した。

 その瞳に宿る絶望の深さが、何よりも残酷な答えとなって僕を貫く。


「……はい。抗う術のない民を、彼らは文字通り切り捨てました。魔法を使えぬ者に、生き残る権利はない。……彼らにとっての民とは、その程度の価値しかなかったのです」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、師匠の大きな体が、目に見えてガタガタと震え始めた。

 膝の上で握りしめられた拳から、爪が食い込んだ血が滴り落ちている。


「……そ、そんなこと、王が……あの御方が、許すはずがないだろうッ!!!」


 師匠が吠えた。


 それは教会の非道に向けられた怒りであると同時に、自分が不在だった十六年間に起きた信じがたい現実への、拒絶の絶叫だった。


 師匠の悲痛な叫びを正面から受け止めながら、シオンは銀色の瞳の奥に、隠しきれない沈痛な色を沈ませた。


「……陛下は、その時にはもう、息を引き取られていました。魔族の蹂躙が始まってから、ひと月も経たぬうちのことです。公式には心労による急死とされていますが……真実は闇の中です。教会の暗殺を疑わぬ者は、今の王宮には一人もおりません」


「死んだ……? 陛下が……?」


 その言葉を繰り返した師匠の喉が、ひゅっ、と小さく鳴った。  

 その巨体が岩のように硬直する。

 膝の上で握りしめられていた拳は、震えを通り越して白くなり、ミシミシと骨が鳴るほどの力で固められていた。


「今、玉座に座っていらっしゃるのは、エレナ様の妹君――アステリア殿下です。十五歳という若さで、彼女は独り、あの冷え切った玉座に座らされました。……周囲をすべて聖教会の息のかかった者たちに固められ、心許せる味方は一人としていない、孤独な玉座に」


「あのアステリア様が……教会の言いなりになっているというのか!?」


「いいえ」


 シオンの言葉が、わずかに熱を帯びた。


「彼女は今も戦っています。……教会が『魔力を持たぬ者は不要』と王都から民を追い出そうとするたび、彼女は己のすべてを賭して、その惨殺を、虐殺を、食い止めておられる。権力など形ばかり。それでも彼女が玉座を降りないのは、自分が降りれば、その膝元に残された王都の民までもが、本当に皆殺しにされると知っているからです」


 アステリア。  

 かつては勝気で、誰よりも民を愛していた姫。  


 彼女は今、教会の監視という檻の中で、自分の心を削りながら民を守る「盾」となっていた。


 師匠はまだ信じられないという風に、力なく首を振った。


「……そんなことが。まさか、そんなことになっていたなんて……っ」


 師匠の声は、目に見えて震えていた。  


「……ミレイユから、外の世界の惨状は聞いておった。だが……わしは信じていたのだ。あの御方であれば、教会の横暴を許すはずがないと。必ず立ち上がり、民を救う号令をかけてくださる……」


 師匠はそこで言葉を切り、絞り出すような声で続けた。


「……それに、ライアンや騎士団の連中だって、きっと上手くやってくれているはずだと自分に言い聞かせておった。あいつらなら大丈夫だ、わしやアレン様が戻るまで、教会の暴走を内側から食い止めてくれているに違いないと……。結局、わしはそう思い込みたかっただけなの、か……」


 師匠は天を仰ぎ、弱々しく自嘲の笑みを浮かべた。  


 十六年間、逃亡生活という暗闇の中で彼が握りしめていたのは、アレンを守るという使命感と、「あいつらなら、まだやれる」という根拠のない祈りだった。


「……信じていたものが、何一つ残っていない。親友を、仲間を、主を……。わしは彼らを見捨てて逃げ、その死に目すら知らぬまま、今日までぬくぬくと生きていたというわけか」


 膝の上で、師匠の拳がみしりと音を立てる。

 その震えは、もはや怒りではなく、己の無力さへの絶望そのものだった。


 シオンはそんな師匠の痛みを真っ向から受け止めるように、静かに、しかし断固とした口調で口を開いた。


「……あなたが情報を得られなかったのは、仕方のないことなのです。聖教会は十六年間、王都の情報すべてを完全に遮断し、自分たちに都合の良い『真実』だけを加工して流し続けてきましたから」


 シオンは焚き火の火花を追いかけるように視線を動かした。


「バルディア要塞での民の様子、そしてここへ来るまでに通った村はどうでしたか? 魔族の影がすぐそこまで迫り、国境が血に染まっているというのに、彼らはまるで遠い異国の出来事のように笑っていたはずです。……自分の身に、今にも死が降りかかろうとしていることなど、想像だにせずに」


 それは、教会の手によって盲目にされた羊たちの姿だった。


「魔族の進軍はすさまじいものです。一人として人間を逃さない。だからこそすべてを知っている王都が情報を流さなければ、他の地域の者は目の前まで魔族が来ていても知る由もないのです」


「……ああ、そうだ。そいつが一番最悪なところさ」


 ミレイユさんが、焚き火に薪を叩きつけるようにくべた。

 火の粉が激しく舞い、彼女の苛立ちを象徴するように踊る。


「前にも言ったろ。アタシはその地獄の最前線を見たことがある。魔族の軍勢が目の前に迫り、仲間が次々に殺されていく。……アタシは運良く生き残ったが、あの時の光景は今も夢に見るよ」


 ミレイユさんは、苦々しく顔を歪めて言葉を継いだ。


「やっとの思いで近くの村に逃げ込み、必死に伝えたさ。『魔族がすぐそこまできてる!今すぐ逃げろ!』ってな。だが、どいつもこいつもアタシを憐れむような目で見やがるんだ。『傭兵風情が酒の飲みすぎで幻でも見たのか』ってな。更には村の聖教会の司祭が、ニコニコ笑いながらこう抜かしやがった」


『教会の定期連絡では、国境での戦いは続いているものの、状況に異変はないと届いています。神の守護があるこの国で、あなたが語るような悲劇など起こるはずがありません。……これ以上、不確かな嘘を広めるのはおやめなさい』


 ミレイユさんの拳が、怒りに、そして底知れぬ悔しさにガタガタと震えている。


 あの時、自分の言葉が届いていれば。

 教会の『嘘』よりも、自分の『真実』を信じてもらえていれば。  


 救えたはずの命、繋げたはずの手。  

 彼女の脳裏に焼き付いているのは、自分を狂人として追い出した司祭の背後で、何も知らずに笑い、そして数日後に魔族の餌食となった村人たちの無垢な顔だった。    


 握りしめた爪が手のひらに食い込み、彼女は血を吐くような思いで、その震えを抑え込んでいた。


「……無理もありません。真実を知るのは、王都の中枢に座る人間だけなのですから。各地の末端にある支部の司祭や信徒たちは、本部から届く『綺麗な嘘』を今も本気で信じています。彼らにとって聖教会は、今なお民を救う唯一の希望であり……自分たちが、中枢に利用され『共犯者』にされていることなど、夢にも思っていないでしょう」


 シオンの言葉が終わり、再び重い静寂が訪れた。  

 焚き火の爆ぜる音が、先ほどよりも鋭く、冷たく響く。


 僕は、膝の上で自分の震える手をじっと見つめていた。  


 母さんが守りたかった人たちが、母さんの名の下に、教会の『嘘』を信じ込まされている。  

 十六年という歳月の重みが、目に見えない巨大な壁となって僕たちの前に立ちはだかっているようだった。


 ふと視線を上げると、師匠が、掌の中の守り刀を壊れ物を扱うような手つきで握りしめていた。  

 その横顔には、かつて最強と謳われた騎士の面影はなく、ただ友を想い、己の不甲斐なさを悔いる一人の男の悲しみが刻まれている。



 夜の闇は、まだ深い。  



 語られるべき空白の十六年は、まだ、その入り口をなぞったに過ぎないのだから。


 


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