第48話 不殺の衣
シオンが呼気を吐き出した瞬間、白銀の槍にその魔力が絡みつき、穂先はアメジスト色の結晶に覆われた、巨大な竜の牙そのものへと変貌した。
結晶の内部では極彩色の魔力が激流となって渦巻き、ただ構えているだけで周囲の空間がガラスのようにひび割れていく。
凍てつくような熱圧がアレンの頬を焼き、大気が悲鳴を上げた。
(……すごい魔力だ。まるで、森そのものが襲いかかってくるみたいだ)
しかし、その凶悪な威圧を前にしても、僕の心は驚くほど穏やかだった。
右腕から溢れ出す、膨大な魔力。
本能が教えてくれている。
この力をすべて解放すれば、目の前の騎士を跡形もなく消し飛ばせる。
勝つのは、僕だ。
けれど、それは同時に、相手の「死」を意味していた。
(この人は……人間だ。聖教会の騎士として、自分の正義を貫こうとしているだけなんだ。……僕に、それを奪う権利なんて、ない。
だから――僕は、僕のやり方で、あなたに勝つ)
僕は今日学んだ「制御」の糸を、さらに細く、鋭く紡ぎ上げた。
異形の右腕から漏れ出す奔流を、無理やり細流へと変える。
その熱を、右手に握った『黒鋼の剣』へと、そっと流し込んだ。
ジィィ……ッ。
漆黒の刃が、わずかに赤黒い燐光を帯びる。
それは破壊のための力ではなく、相手の槍を受け流し、無力化するための、繊細な力の衣。
(制御しろ。……あの小さな灯火みたいに……!)
シオンが踏み込んだ。
それはもはや「速い」という言葉すら生温い。
銀竜の魔力によって加速されたその体躯は、光の筋となって僕の視界を塗り潰した。
「――シッ!!」
鋭い呼気と共に放たれたのは、アメジストの結晶を纏った神速の連撃。
一突きが岩山を穿つ威力を持ちながら、その速度は音速を超えている。
ガギギギギギッ!!!
火花が夜の森を真昼のように照らす。
僕は「衣」を纏わせた黒鋼の剣でそれを受けるが――その瞬間、腕の骨が軋むような衝撃に視界が歪んだ。
(――ぐっ、重い……ッ!)
制御は、完璧じゃない。
右腕から溢れ出す「赤黒い奔流」を細い糸に紡ぎ直す作業は、猛り狂う猛獣の首輪を素手で掴み続けるような極限の緊張を強いた。
剣を握る右手の感覚は、凄まじい振動ですでに麻痺している。
「衣」の厚さがわずかに揺らぐたび、漏れ出した稲妻が周囲の空間を爆ぜさせ、ひび割れた大気が焦げ付くような、鋭い匂いが鼻を突いた。
「……これだけの出力を、これほど精密に殺ぐか。だが、いつまで持つッ!」
シオンの槍がさらに加速する。
背後の銀竜が翼を羽ばたかせ、周囲の重力が狂い始めた。
足場が浮き上がり、宙を舞う瓦礫の中で、シオンの槍は自由自在に軌道を変え、僕の死角から襲いかかる。
(……制御しろ。離すな、意識を逸らすな……ッ!)
僕は奥歯が砕けるほど噛み締め、爆発しようとする魔力を「不殺」の細流へと無理やり押し込めた。
視界の端で、剣に纏わせた赤黒い『衣』が激しく明滅し、暴発を拒むように黒鋼の刃が真っ赤に赤熱していく。
逃げ場を失った熱が剣を灼き、漆黒の刀身が折れんばかりの悲鳴を上げた。
上、左、右後ろ――同時に三点から迫るような、残像を伴う多重突き。
けれど、なんとか見えている。
指先に「極小の火」を灯し続けたあの極限の集中力が、逆巻く魔力の奔流の中に「攻撃の起点」を鮮明に描き出していた。
僕は宙を舞う瓦礫の一片を強く蹴り、弾丸のようにシオンの懐へ飛び込んだ。
三方向からの刺突が、僕の漆黒の髪を数本散らし、背後の大気を爆ぜさせる。
「――そこだ!!」
僕の突撃を予測していたのか、シオンは槍を引き戻し、最短距離での零距離射撃にも等しい突きを放つ。
アメジストの結晶が太陽のように輝き、白銀の閃光が僕の視界を真っ白に染め上げた。
ガギギギギィィィィンッ!!!
真っ赤に赤熱した黒鋼の刃と、極彩色の魔力を纏った結晶の牙が、真っ向から衝突する。
耳を刺すような金属の悲鳴。
衝突点から放たれた衝撃波だけで、足元の瓦礫が粉々に粉砕され、霧散していく。
(……っ、まだだ、まだ……負けるなッ!!)
僕は折れそうな腕を必死に支え、剣に纏わせた「衣」の出力を一点に集中させた。
破壊するためじゃない。
シオンの魔力の「流れ」を読み、その激流のど真ん中に、僕の「赤黒い魔力」を楔のように打ち込む――。
ピキッ
それは、雷鳴の中でもはっきりと聞こえる、小さな亀裂の音だった。
「な……ッ!?」
シオンの目が見開かれる。
僕が打ち込んだ魔力が、シオンの放った冷徹な魔力と衝突し、結晶を内側から「焼き切った」のだ。
パキィィィィィィィンッ!!!
極彩色の魔力が爆ぜ、周囲の重力が一瞬で解放される。
宙に浮いていた岩や木々が次々と地面に落下する中、シオンの銀槍は――その半ばから鮮やかに、粉々に砕け散った。
「…………っ、はぁ、はぁッ……!」
槍を伝って魔力を逆流させられた衝撃で、シオンが大きく後退する。
彼は折れた槍の柄を杖のように突き、苦しげに膝を突いた。
背後の銀竜が主人の危機を察して咆哮を上げるが、シオンはもう動けない。
真っ赤に焼けた剣を構えたまま、肩で息をする僕の姿――ボロボロになりながらも、決して自分を殺そうとしなかった「奇妙な怪物」の姿に、彼は言葉を失っていた。




