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【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第二章 継がれし希望

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第49話 王の器、騎士の選別


 静寂が、夜の森を支配していた。    

 宙を舞っていた瓦礫はすべて地に落ち、荒れ狂っていた極彩色の魔力も霧のように消散した。  


 残ったのは、焦げ付くような空気の匂いと、真っ赤に焼けた黒鋼の剣を握る僕。


 そして――折れた槍を手に、膝を突くシオンの姿だけだった。


「……はぁ、はぁ、はぁ……っ」


 僕は激しい息を吐きながら、感覚の消えた右腕をゆっくりと下ろした。  

 赤熱していた刀身が、夜風に触れてジジィ……と音を立て、黒い色を取り戻していく。


「……なぜだ」


 不意に、シオンが低く、掠れた声を漏らした。  


「……今の最後の一撃。そなたの魔力なら、槍を折るついでに私の首を撥ねることも容易かったはずだ。……その右腕の力は、そうやって敵を殲滅するためにあるのではないのか」


 シオンがゆっくりと顔を上げる。  


 背後では、主の敗北を悟った白銀の竜が、翼を閉じて静かに僕らを見下ろしている。

 そのアメジスト色の瞳は、夜闇の中で怪しくも美しく発光し、まるで僕という人間の深淵を覗き込んでいるかのようだった。


「……情けをかけたわけじゃない」


 僕は一歩、シオンへと踏み出した。  

 感覚の消えた右腕は重く垂れ下がっているけれど、心は驚くほど凪いでいた。


「あなたには、あなたの守るべき正義がある。聖教会の騎士として、あなたがこれまで守ってきた人々や、積み上げてきた誇りがあるはずだ。……僕に、それを奪う権利なんて、ない」


 僕はシオンの眼前に立ち、その銀色の瞳を真っ向から見据える。


「命を奪えば、その人が歩んできた時間も、これから歩むはずだった未来も、すべて消えてしまう。そんなこと、誰にも許されていいはずがない」


 僕は金色の瞳に優しさを灯し、シオンに微笑んだ。


「それに、あなたも僕を殺すつもりなんて……なかったはずだ」


「…………なッ!?」


 シオンの銀色の瞳が、今日一番の激動に揺れた。  

 図星を突かれた――。

 そんな幼子のような動揺が、教会の最高戦力であるはずの彼の顔に張り付いている。


「何を……根拠に、そんな出鱈目を……」


「――槍が、迷ってたよ」


 僕は折れた槍の破片をそっと指差し、言葉を継ぐ。


「あなたの槍は、鋭くて重かった。でも、僕の心臓を貫こうとする瞬間にだけ、ほんのわずかに魔力の『揺らぎ』があったんだ。……あなたは、僕を試してた?」


「…………っ」


 シオンは一瞬声を失ったが、次に僕を見る銀色の瞳には、冷徹な中にもあたたかな光がわずかに宿っていた。  

 彼は折れたアメジストの破片を静かに見つめ、それから——おもむろに、半分になった槍をその場に置いた。


 カラン、という軽い音が、静寂に響く。


「……否定はしません。ただ、殺そうと思っていたのは、事実です」


 シオンは伏せていた銀色の瞳を上げ、まっすぐに僕を見据えた。

 そこにはもう、迷いも殺気もない。


 ただ、凍てつくような「誠実」だけがあった。


「殺すつもりで、あなたを試した。……我らの、いや、彼らの命を預けるに値する人物なのか。そして、この泥濘ぬかるみに沈んだ国の民を救える力と、素質があるのかを」


 シオンは立ち上がり、そして――王にひざまずくかのような所作でアレンの前に頭を垂れた。


「アレン・グランディオス・エルディアーナ様。……数々の無礼をお許しください」


 その言葉が響いた瞬間、僕の耳元で空気が爆ぜるような錯覚を覚えた。  


 後ろで静かに話を聞いていた師匠が弾かれたように僕の前に躍り出る。


「貴様……。今、なんと……なぜその名を知っている……!」


 剣を素早く構えるその隻眼の奥には、冷徹で、苛烈な殺気が宿っている。

 そこにあるのは、かつて大陸全土にその名を轟かせた『鉄血の騎士団長』の顔だ。


 シオンは、師匠の放つ凄まじいプレッシャーを受けながらも、その銀色の瞳でまっすぐに師匠を見つめ、静かに頭を垂れた。


「騎士団長ガルド・アイゼン殿。……王に対する無礼、どうかお許しください」


 その言葉に、師匠の突きつけていた剣先が、微かに、けれどはっきりと震えた。


 ガルド・アイゼン。  

 かつて最強の名を欲しいままにし、十六年前に歴史の表舞台から消えたはずの名。

 それを教会の若造が口にした。  


 師匠の隻眼の奥で、鋭い殺気と、引き裂かれるような動揺が激しく火花を散らす。


「どういうことだ。貴様はいったい……。なぜその名を知っている。誰の差し金だ」


 師匠の問いは、もはや怒号ではなかった。  

 自分の過去に土足で踏み込まれた者の、切迫した、掠れた声だ。


「……あなたはバルディアに入る時、その名を衛兵に告げたはずだ。⋯⋯偽名を使いたくても使えぬ状況だったのも記録を読み、理解しています。我ら教会がその聞き取り記録を確認した時、そこに『ガルド・アイゼン』の名を見つけ、私の心臓は止まるかと思いました」


 師匠が、目に見えて息を呑む。  

 シオンは伏せていた銀色の瞳を上げ、その強い光で師匠を射抜いた。


「私は物心ついた頃より、あなたの話を……『王国最強の騎士団長』の武勇伝を、父から何十回、いえ、何百回と聞かされて育ちましたから。……聞き慣れたその名を、見落とすことなどあり得ません」


 シオンの声には、鋼のような確信が宿っていた。  


 それは、彼が人生のすべてを懸けてその名を、その背中を探し続けてきたことの証明でもあった。


「父、だと……?」


 師匠が一瞬、言葉を失い動揺するも、対するシオンは剣先が喉を裂くのも厭わず、さらに深く頭を垂れた。


 そして、自らの心臓の上に右手を置き、王国最高位の騎士のみに継承される、主への絶対の忠誠を示す礼を捧げる。


「……私の名は、シオン・ハルフォード」


「ハルフォード……? まさか……!?」


「はい。かつての騎士団副団長、ライアン・ハルフォードの息子です」


 その名を聞いた瞬間、一点の曇りも、震えもなかったはずの剣先が、まるで魂を直接揺さぶられたかのように、微かに、けれどはっきりと揺らいだ。  

 だが、師匠は即座にその動揺を塗り潰すように、隻眼の奥の光を一段と鋭く、苛烈なものへと変える。


「……あいつに、子供はいなかった」


 その声は、一滴の熱も持たない氷の刃だった。  

 突きつけられた剣先は再び静止し、死神の指先のように冷たくシオンの喉元を指している。


「嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつけ。ライアンは生涯独身を通し、守るべき王のためにその身を捧げた男だ。……泥を塗るような真似は、この私が許さん」


 師匠の言葉は、かつての戦友への深すぎる敬愛ゆえの拒絶だった。  

 けれど、シオンは静かに、その氷のような瞳に自嘲気味な笑みを浮かべて答えた。


「……はい。ガルド団長も知っての通り、竜騎士というだけでわかるはずです。……私は孤児でした」

 

 シオンの告白は、静かだが重かった。


 その一言で、師匠の脳裏に「竜騎士」という過酷な宿命と、かつての副団長ライアンが密かに抱いていたであろう「次代への備え」が結びついていく。


 師匠の隻眼に、明らかな迷いが生じていた。  

 突きつけた剣先はまだシオンに向けられているが、そこにあった苛烈な殺気は、困惑と……そして、旧友の影を追うような切ない眼差しへとすり替わっている。


 その、張り詰めた静寂を――。


「――はいはいはい! ストップ、そこまでだ!!」


 場違いなほど明るく、けれど有無を言わせぬ豪快な声が響いた。  

 ミレイユさんが、酒場で荒くれ者どもの乱闘を仲裁するような手慣れた様子で、二人の間に堂々と割って入ったのだ。


「まぁまぁまぁ、一回落ち着きな!」


 彼女は腰に手を当てると、まずは師匠の剣先をひょいっと指で押し下げた。


「ガルドも、そんな怖い顔しなさんな。教会のエリート様がわざわざ膝を突いて、あんな大層なお辞儀まで披露してんだ。嘘だとしたら、あまりに手が込みすぎてるだろ?」


 彼女は呆れたように肩をすくめ、ガルドの鋭い殺気をさらりといなしてみせた。


「それにさ。……その『ライアン』ってのが、わざわざ血の繋がらない息子を迎えた理由、あんたには何か心当たりがあるんじゃないのかい?」


「……ミレイユ、お前……」


 図星を突かれたのか、師匠の言葉が詰まる。  

 そこに宿っていた氷のような拒絶は、ミレイユの言葉によって確実に熱を帯び、揺らいでいた。


「それに、見てみなよ。主役の王様は、今にも倒れそうなんだよ?」


 ミレイユさんが顎で示した先――そこには、右腕の感覚を失い、青ざめた顔でフラフラと立っている僕がいた。  


 極限の集中と魔力の制御を終え、僕の体力はもう限界をとうに超えていた。


「昔の話も大事だろうけどさ、まずはこのボロボロの状況をどうにかするのが先だろ。……おい、白銀の騎士さん。あんた、本気で味方だってんなら、まずはその怖い竜をなだめな。さっきからあの竜の睨みのせいで、空気が重くて呼吸もしづらいんだよ」


 ミレイユさんの豪快な物言いに、シオンはハッとしたように背後に控える巨大な銀竜を見上げた。


「……失礼した。私の未熟ゆえ、眷属への制御が疎かになっていたようだ」


 シオンがそっと、祈るように両手を差し伸べる。  

 すると、それまで周囲を威圧していた白銀の竜が、まるで甘えるように小さく鼻を鳴らした。


 次の瞬間、銀竜の巨体が淡いアメジスト色の光に包まれ、瞬く間に収縮していく。


 光が収まったあと、ふわりと羽ばたき、シオンの肩へと降り立ったのは、かつての威容をそのまま縮小したような、手のひらサイズの小さな銀竜だった。  


 それは小さな爪でシオンの肩に掴まると、宝石のような瞳で僕らを興味深そうに見つめ、それから一鳴きして翼を畳んだ。


 巨大な質量が消えたことで、森を支配していた重苦しい圧迫感が嘘のように霧散し、心地よい夜風が吹き抜ける。


「……これで、いいだろうか」


「へぇ、便利だねぇ。それならアタシの懐にも入りそうだ」


 ミレイユさんが感心したように、まじまじとその肩を覗き込む。  

 シオンの肩に乗ったその小さな相棒は、白銀の鎧に初めからそういう装飾が施されていたかのように、完璧に溶け込んでいた。


 静止していれば、誰もそれが生きている竜だとは気づかないだろう。  

 そのアメジスト色の瞳だけが、時折瞬きをして、宝石のような光を放っている。

 

 けれど、僕はもう、そのやり取りに言葉を返す力も残っていなかった。


 視界が急激に狭まっていく。  


 ……あぁ、そうか。僕は、もう限界だったんだ。


 黒鋼の剣が手から滑り落ち、乾いた音を立てた。


「アレン!」


 師匠の焦ったような声と、ミレイユさんの温かい手が僕の身体を受け止める。

 意識が闇に落ちる寸前、僕は見た。


 シオンが、ハルフォードの名を継ぐ騎士が、僕を「怪物」としてではなく、敬意を込めた眼差しで見つめているのを。


(……父さん……母さん。僕は……間違って、なかったよね……)


 深い安堵と共に、僕の意識は朝焼け前の暗闇へと溶けていった。





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