第41話 絶望を待ち望む者
今や魔王直属四天王ザディルの牙城と化している、要塞都市フェルゼン。
その中心にそびえる元聖教会の最上階では、四天王ザディルが飢えた獣のごとき眼光で骸の玉座に鎮座していた。
そのすぐ傍らには、感情を一切排した氷蒼色の瞳を持つ右腕、ジェイスが音もなく控えている。
天窓から降り注ぐ真昼の強烈な陽光は、ステンドグラスにこびりついた魔力の淀みに歪められ、どす黒い極彩色の光となって広間を不気味に照らし出している。
その重苦しい静寂を破ったのは、ジェイスが手に持っていた古い魔導書を、乾いた音を立てて閉じた瞬間だった。
「……ザディル様。ドバルガスに施した転移の術式、および魔力の連結が完全に消失いたしました」
ジェイスの氷蒼色の瞳が、感情を排したまま主を捉える。
「転移先での魔力反応も、塵一つ残さず沈黙。……ドバルガスは、敗死したものと思われます」
ジェイスの声は、事務的な報告を淡々と述べるかのように冷徹だった。
ザディルは肘掛けを叩いていた指を止め、ゆっくりと視線を上げた。
「……くくく。やはり、ドバルガス程度では力不足であったか」
吐き捨てられた言葉に、怒りは微塵も含まれていない。
そこにあるのは、最高級の獲物が期待通りの、いや、それ以上の牙を持っていたことを確信した、どす黒い歓喜だった。
「はい。私が繋いでいた『転移の楔』ごと、焼き切られたように消滅しております。……このような芸当、並の人間や魔族にできることではありません」
「あはは……。そうよねぇ、あんなの普通じゃないわ」
粘りつくような妖艶な声が、玉座の右側から響いた。
一段低くなった場所に置かれた、深紅の豪奢な長椅子。
そこに深く沈みこんでいたラミアが、まるで美味しい蜜を舐めた後のような恍惚とした表情で声を上げた。
「見たわよ、ジェイス。ドバルガスの棘に忍ばせておいたアタシの『目』がね。……凄かったわぁ。赤黒い、最高に不吉で綺麗な稲妻が……あいつを、一瞬で『無』に変えちゃったの」
ラミアが自分の肩を抱き、ゾクゾクと震えながらザディルを見つめる。
「ザディル様。あの子、本物よ……。あの日、あなたが地獄へ落としたあの方と同じ……、いいえ、それ以上の『格』を持った、本物の化け物だわ」
ラミアの熱っぽい言葉に、ザディルは骸の玉座からガタリと身を乗り出した。
肘掛けを掴むその指先は、抑えきれない歓喜に小刻みに震えている。
「く……、くくく、ははははははッ! ディオス以上か! 実に、実に素晴らしい……ッ!」
その瞳にはどす黒い熱が宿り、剥き出しの殺意と歓喜が混ざり合った異様な魔圧が広間に吹き荒れる。
十六年もの間、退屈で凍りついていた彼の血が、今、マグマのように沸き立っていた。
「ねぇ、ザディル様。次は私が行ってもいいかしら? あの赤黒い光……近くで、じっくり、一滴残らず味わってみたいの」
ソファーの上でしなやかに身を震わせ、ラミアが請う。
だが、ザディルは興味なさげに手を振った。
「いや、必要ない。……奴らは、必ずここへ来る。あのガルドという男、主君の忘れ形見を日陰に隠したまま腐らせるような真似はせん。いずれ、俺の首を求めてこの牙城を仰ぎ見るはずだ。……それまで、気長に待とうじゃないか」
その言葉に、控えていたジェイスの眉がぴくりと動いた。
「……ザディル様。よろしいのですか? 魔王ヴァイス様への報告はどうなさるおつもりで。これほどの脅威、本来ならば即刻軍を動かし、根絶すべき事案かと」
ジェイスの至極真っ当な進言。
だが、ザディルは冷ややかな一瞥でそれを切り捨てた。
「報告だと? そんなもの、するわけがないだろう。ヴァイスに知らせれば、奴は臆病風に吹かれて『今すぐ殺せ』と喚き散らす。……それでは、せっかくの愉悦が台無しではないか」
ザディルは再び骸の玉座に深く背を預け、歪んだ笑みを浮かべて天井を見上げる。
「十六年だ。この時をどれほど待ちわびたか……。さあ、来い、アレン。お前がその身に宿した血が、俺の絶望をどこまで塗り替えてくれるのか……。
……ああ、楽しみだ―――」




