第40話 呪われた腕を、誇りに
心臓が、高らかに鼓動を刻む。
僕の覚悟に呼応するように、指先からはナイフのような鉤爪が鋭く伸び、皮膚を漆黒の硬質な鱗へと塗り替えていく。
右腕の解放による、溢れんばかりの魔力。
僕はそれを淀みなく全身に巡らせつつ、その奔流のすべてを『黒鋼の剣』へと流し込んだ。
――キィィィィィィィィン……!
かつてのように魔圧に耐えかねて悲鳴を上げているのではない。
主の覚醒を祝福するように、黒鋼の剣は赤黒い閃光を纏って高らかに鳴り響いた。
変貌を遂げた右腕からは、猛烈な赤黒い稲妻が絶え間なく溢れ出し、周囲の空気をジリジリと焼き切っていく。
鼻を突くのは、大気が焼き焦げる鋭い臭い。
空間そのものが震えるような重圧は、もはや紛れもない、かつて世界を震撼させた『魔王の威圧』そのものだった。
吹き荒れる雷光と、絶望的な熱量。
その光の渦中で、僕はゆっくりと、戦慄に固まるドバルガスを見据えた。
「……こ、小癪な、ハッタリをォッ!」
恐怖を打ち消すように、ドバルガスが吼えた。
全身の棘から溢れ出すのは、今までとは比較にならない最大出力の禍々しい黒い稲妻。
「死ねェ、虫ケラがああああッ!!」
ドバルガスが絶叫し、逃げ場のない黒雷の嵐が僕を飲み込もうと迫る。
けれど、避ける必要もないと肌で感じていた。
僕はただ、静かに一歩を踏み出した。
――バチィィィィィィンッ!!!
迫りくる黒雷がアレンの放つ『真の雷鳴』に触れた瞬間、脆いガラス細工のように、いとも容易く粉砕された。
それは防御などではない。
格上の魔力が、格下の魔力を存在ごと「否定」し、消滅させたのだ。
「な……な、んだ……と……!?」
黒い嵐を割りながら、僕はただ、真っ直ぐにドバルガスを見据えて歩を進める。
恐怖に耐えかねたドバルガスが、狂ったように猛攻を仕掛けてきた。
「死ね死ね死ねェ! 消え失せろ、この化け物がぁッ!!」
黒い雷を纏った巨大な拳が、豪風を巻き起こしながら幾度も叩きつけられる。
だが、今の僕には、その一撃一撃が酷く緩慢で、そして「軽い」ものに感じられた。
僕は足を止めない。
頭上から降り注ぐ暴力の雨を、あるときは首を僅かに傾けて回避し、あるときは裏拳で無造作に弾き飛ばす。
――バチィィンッ!
僕に触れた瞬間に赤黒い閃光が弾け、ドバルガスのその硬質な皮膚を、容易く焼き焦がしていく。
「ガ、アァッ!? 腕が、オレの腕がぁっ!?」
攻めているはずのドバルガスが、接触するたびに悲鳴を上げ、後ずさる。
僕は止まらない。
一歩、また一歩と、死神のような足取りで距離を詰めていく。
最後に振り下ろされた最大の一撃。
その剛腕を、僕は左手で軽く受け流した。
「……終わりだ、ドバルガス」
僕は静かに一歩を踏み出した。
「ぐ、うおおおあああッ!!」
恐怖に塗りつぶされたドバルガスが、最後の手向けと言わんばかりに黒雷を爆発させた――はずだった。
だが、衝撃波も、轟音もない。
ただ、赤黒い閃光が世界を白く染めた、次の瞬間。
ドバルガスが放っていたすべての黒雷と、その巨体の半分が、赤黒い雷光の灼熱によって「切り取られた」かのように蒸発し、消え去っていた。
あとに残されたのは、微かな焦げた臭いと、すべてが終わったことを告げる死のような沈黙だけだった。
荒れ狂っていた赤黒い稲妻が、霧が晴れるように静かに収まっていく。
僕はゆっくりと振り返り、驚愕で目を見開いたままの師匠とミレイユさんのほうを、静かに見つめた。
「……待たせてごめんね。すべてを受け入れるのに、少し時間がかかっちゃった」
僕は右腕の黒い鱗を、愛おしむようにそっと撫でた。
かつては絶望の象徴だったこの腕も、今は、僕の大切な二人を守り抜くための、誇らしい僕の一部だ。
僕の明確な意志に従い、右腕の黒い鱗が、さらさらと砂のように崩れていく。
あとには、以前と変わらない僕の腕が残された。
二人の前に一歩踏み出し、僕は真っ直ぐに二人を見据えた。
その瞳に宿る光は、もう以前のような迷い子のそれではない。
「僕はもう、大丈夫。……これからは、僕が二人を守るよ」
まだ、世界なんて大きなものは見えていない。
けれど、この腕の中に宿る熱は、僕の目の前にいる「大切な世界」だけは何があっても守り抜けると、確かな誇りを持って脈打っていた。
「…………」
ミレイユさんは、呆然と僕を見つめた後、ふっと憑き物が落ちたように笑った。
そして一歩歩み寄ると、乱暴に僕の頭をかき回す。
「……ははっ。随分と生意気なこと言うじゃないか、アレン」
その掌から伝わってくる温もりは、僕の覚悟を優しく包み込んでくれるようで、何よりも心強かった。
師匠もまた、ボロボロの身体を支えながら、ゆっくりと頷いた。
その瞳には言葉にならないほどの感慨が滲み、教え子の眩しい背中を誇らしげに見つめている。
「……ええ。立派になられましたな、アレン様」
見上げれば、雲一つない真っ青な空がどこまでも広がっている。
降り注ぐ真昼の光を浴びながら、僕は黒鋼の剣を静かに鞘へと収めた。
僕たちの旅は、ここからまた始まる⋯⋯!




