表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第二章 継がれし希望

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/54

第37話 放たれた暴虐

 

 時は、少しさかのぼる。


  星も月も、厚い暗雲に飲み込まれた漆黒の深夜。

  かつて国境の要衝として栄えた要塞都市フェルゼンは、今や魔王直属四天王の一人が支配する、禍々しき『牙城』へと変貌を遂げていた。


  街路に人影はなく、聞こえてくるのは魔族たちの下卑た笑い声と、檻に閉じ込められた家畜のような人間たちのすすり泣きだけだ。


  街のどこからでも見上げられる、最も高い建物。

  かつては人々の祈りが捧げられていた「聖教会」の最上階へ、一羽のカラスが舞い降りた。


  死神ガラが放った、不吉を告げる使い。

 カラスは、魔力の汚濁で黒ずんだステンドグラスをくぐり、開け放たれた高窓の縁に音もなく止まった。


  そこから見下ろす大広間には、重苦しい冷気と、一軍隊を一人で壊滅させかねないほどの魔圧を放つ三体の高位魔族が控えていた。

 かつて神に捧げられていた広間は、今や彼らが人間から奪い取った戦利品や酒瓶が散乱する、不浄の空間へと成り果てている。


  カラスは身じろぎもせず、赤い瞳でその惨状と、奥に鎮座する絶対的な闇をじっと見つめた。


「あーん、退屈だわぁ。ねえ、いつになったら人間を壊しに行っていいのぉ?」


  妖艶な声を上げたのは、露出度の高い甲殻に身を包んだ女性型の魔族――『色欲のラミア』だ。


 腰にまで届く艶やかな深紫の長髪は、光を吸い込む重たい夜のとばりを思わせる不気味な光沢を湛え、長く切り揃えられた前髪が片目を秘めやかに隠すその佇まいは、甘い毒で男どもの理性をとろかし、奈落の底へ引きずり込む魔性の女そのものの気だるげな色香を漂わせていた。


 彼女は祭壇の近くに置かれた高級な椅子に深く沈み込み、退屈そうに自分の爪を眺めている。


「ケッ! 同感だぜ。 俺の爪が肉を裂きたがって疼いてやがるッ! 今すぐ突撃させろッ!」


 荒い鼻息とともに吠えたのは、全身に刺々しいスパイクを生やした巨漢、『暴虐のドバルガス』。


 三メートル近いその巨躯を支える鋼のような皮膚には、自らの骨を削って研ぎ澄ませたかのような、凶悪な棘の列が並んでいる。

  彼がわずかに身じろぎするたび、そのスパイク同士が擦れ合い、硬い金属を削り取るような嫌な音を周囲に撒き散らしていた。


「……静かにしろ、愚か者共。閣下の御前であるぞ」

 

 冷徹に二人を嗜めたのは、細身で知的な風貌の魔族、『策謀のジェイス』。


  彼は参謀であり、主の右腕を務める男だ。

  血の気のない青白い肌に、剃刀のように鋭く切り揃えられた白銀の短髪。


  感情を一切介在させないその瞳は、凍てついた冬の湖を思わせる氷蒼色に澄み渡っている。


 三者三様の凶悪な魔圧が衝突し、教会の空気がひび割れんばかりに軋む。


 コツ、コツ――。


  指先が肘掛けを叩く、冷ややかな音。


 三体の高位魔族は、その音一つで弾かれたようにその場へ跪き、深く頭を垂れた。


 三体が平伏し、その呼吸さえも凍りついた視界の先に、周囲の光をすべて飲み込むような圧倒的な「闇」を纏う、別格の存在があった。



  魔王直属四天王――ザディル。



  漆黒の魔石と強者たちの骨で組み上げられた『骸の玉座』に、片足を肘掛けに投げ出し、獲物を値踏みする猛獣のように身を乗り出している。


 あの『空白の十年』。


 ガルドの隣で『平和を願う誠実な臣下』を演じていた頃の、品行方正な面影はどこにもない。


 今ここにいるのは、理性で塗り固めた仮面を剥ぎ取り、破壊と闘争の本能を剥き出しにした「闘争の化身」だ。


「……ジェイス」


  ザディルは視線すら動かさず、ただ顎で窓枠のカラスを指した。


  ジェイスは深く一礼し、音もなく立ち上がると、カラスへ恭しく手を差し出した。


 カラスが羽を広げ、ジェイスの元へと舞い降りた――その瞬間だった。


「――っ!?」


  ジェイスの手に触れる直前、カラスの体がぶるりと震え、急激に形を失った。


 黒い羽毛は瞬時に粘り気のある不浄な液体へと溶け崩れ、バシャリと汚らわしい音を立てて、無残な泥水となって床にぶちまけられた。


  その汚濁の中から、カラスの足に括り付けられていた一本の書簡が、吐き出されるように、あるいは遺物のように、ぽつりと浮かび上がる。


「……ほう。ガラが逝ったか」


  ザディルが愉快そうに、喉を鳴らして笑った。


 自身の腹心が討たれたというのに、その声には悲しみも怒りもない。


 ただ、極上の娯楽を見つけた子供のような、純粋で残酷な愉悦だけが宿っていた。


「ジェイス、読んでみろ。どんな言い訳を遺したのか見てやろうじゃないか」


 ジェイスは一歩踏み出し、不浄な泥の中からその書簡を拾い上げた。


  泥を滴らせる紙面に目を落とした瞬間、冷徹な彼の眉が、ぴくりと跳ねた。


「……まず一点。バルディア要塞の南門が、空間ごと消滅いたしました。実行者は、先代ディオスの『忘れ形見』と断定。少年は『赤黒き稲妻』を顕現させ、重厚な要塞の門を、塵一つ残さず消失させた……とあります」


「……ほう?」


  ザディルの瞳の奥に、どす黒い好奇心の火が灯った。


 骸の玉座に投げ出していた足をゆっくりと下ろし、彼は獲物を値踏みするように身を乗り出す。


 一方、力に絶対の自信を持つドバルガスは、その「異常な報告」に一瞬、言葉を失った。


  全身に生えた鋭いスパイクが、本能的な戦慄に反応してチリ……と微かな音を立てる。


「……消失、させただと? 壊したんじゃなく、消したってのかよ……」


 ドバルガスが、絞り出すような低い声で吐き捨てる。


  その困惑を余所に、ジェイスは指先で泥を払い、次の一行へ視線を落とした。


「……そして、同行者についての記述です。少年の傍らには二名の同行者を確認。一人は身元のわからぬ女。もう一人は、騎士のような佇まいの初老の男。三名はバルディア南方の森へ逃走。これよりこれら三名を密かに追跡、捕捉の機会を窺う。どうやら聖教会の竜騎士団も追走を開始した模様。隙を見て少年の身柄を確保し、ザディル様への土産として持ち帰る所存。――これにて定時報告を終える……と」


 広間に、しんとした静寂が降りる。


「く……、くくく、あははははッ!」


  静寂を切り裂いたのは、ザディルの狂気じみた笑い声だった。


 骸の玉座の上で、彼は歓喜に肩を震わせる。


「……ガルド。ガルドだな。あの『忠義の騎士』が、まだ死ぬことすら許されず、あの日俺が与えた『傷』を抱えて生きていたというわけか」


 その名を口にするザディルの顔に、歪な愉悦が浮かぶ。


 かつて隣に立ち、自分を「信頼に足る同志」と信じて疑わなかった男。

 その純粋な信頼を内側から食い破り、絶望のどん底に突き落とした瞬間の感触を、ザディルは今でも何より愛していた。


「いい、最高だ……。それも、ディオスが遺したゴミを抱え、再起の夢でも見ているのか? くくく、滑稽すぎて反吐が出る。だが――それでこそ、壊し甲斐があるというものだ」


 ザディルは骸の玉座から悠然と立ち上がると、飢えた獣のように目をぎらつかせるドバルガスを見下ろした。


「……ドバルガス、行け。ガラの仕損じた『土産』を、貴様が代わりに回収してこい。ガルドを、そしてディオスの忘れ形見を、生きたまま俺の元へ引きずってくるのだ。今も暗い淵で俺を呪い続けているであろうあの男への、最高の供物にするためにな……」


「くかかかッ! せいぜい、壊さない程度に可愛がって連れてきてやるぜッ!」


 ザディルがジェイスにチラと視線を向けると、ジェイスは無言で一歩前へ出た。


 彼が床を軽く踏み抜くと、そこから幾何学的な紋様が奔流のように広がり、瞬く間にドバルガスの足元を飲み込む巨大な魔法陣が描き出された。


「……さすがはジェイスねぇ。やっぱり綺麗だわ、あなたの空間転移は」


 それを見たラミアが、うっとりと目を輝かせた。


 立ち昇る魔力の光が彼女の妖艶な肢体を照らし出し、ステンドグラスを汚していた不浄な空気が、高位魔法特有の鋭い鳴動に震える。


「こんな高位魔法、あなたの他に何人の者が使えるのかしらねぇ? 惚れ惚れしちゃう」


 ラミアが前髪の隙間から覗く瞳を細め、恍惚とした吐息を漏らす。


 だが、ジェイスはその甘く湿った言葉に、一切の反応を示さなかった。

  ただ、氷蒼色の冷徹な瞳をわずかに動かし、視線だけで彼女を冷たく突き放す。


  彼は一言も発することなく、再び指先を魔法陣の起点へと固定した。

  魔法陣の輝きが極限まで高まり、広間に爆発的な魔力の圧力が吹き荒れる。


「――転移」


  その短い一言とともに、ドバルガスの巨躯が光の渦の中に消失した。

 吹き荒れた魔力の残滓が、教会の高い天井へと吸い込まれていく。


 再び訪れた静寂の中、ジェイスは感情の読めない瞳をザディルへと向けた。


「……よろしいのですか、ザディル様。ドバルガス一人では、仕留めきれぬやもしれません。『赤黒い稲妻』……ガラの報告が真実ならば、奴一人には荷が勝ちすぎるかと」


  ザディルはふんと鼻で笑い、窓の外、黒い雲が渦巻く夜空へと視線を戻す。


「案ずるな、ジェイス。ドバルガスが勝てばそれでよし。……もし敗れたとしても、それはそれで『あの血』がそれほどの価値を示したということだ。どちらに転んでも、俺の愉悦には変わりない」


  ザディルの指先が、再びコツ、コツ、と肘掛けを叩く。


 そのリズムは、まるで獲物を追い詰める死神の足音のようだった。




 ———そして時は現在。



  師匠、ミレイユさん、そして僕が見つめる薄暗い森の闇の中。



 逆光の中に、三メートルを超える巨漢のシルエットが、ぬらりと浮かび上がった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ