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【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第二章 継がれし希望

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第36話 慈愛の像、狂気の杖


 バルディア大聖堂。

 

 その厳かな正面入り口の傍らには、穏やかに目を閉じ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる一尊の聖像が佇んでいる。  

 この国の誰もが敬う慈愛の象徴――聖女エレナ。


 その指先は、まるで訪れる者すべてを祝福するかのように優しく差し伸べられていた。


 一歩その重厚な扉を潜れば、そこには地上の喧騒を拒絶するような、神聖で、どこか懐かしさすら覚える温かな静謐せいひつが横たわっている。  

 天を突くほどに高い天井は、神の偉大さを誇示するように遥か高みで柔らかな光を湛え、整然と並ぶ無数の長椅子には、安らぎを求める多くの人々が静かに腰を下ろしていた。


 壁一面に嵌め込まれたステンドグラスからは、神の慈愛を謳う極彩色の光が惜しみなく差し込んでいる。  

 床に落ちる万華鏡のような光の紋様は、まるで色とりどりの花が咲き乱れているかのようで、そこを歩く人々の足元を優しく包み込んでいる。

 空気はどこまでも清浄で、微かに薫る百合の香りが、訪れる者の心を解きほぐしていく。


 大聖堂の正面、祭壇の最奥には、主神ルミナス神の巨大な石像が鎮座していた。

 見上げるほどに巨大な白大理石の瞳は、慈悲深く皆を見つめ、その掌は迷える子羊を包み込むかのように差し出されている。  


 誰もが「この場所なら救われる」と信じて疑わない、完璧なまでの天国がそこにはあった。



 だが――。  


 そのルミナス神の石像のさらに奥。


 本来であれば、この街の信仰を預かる大司祭が執務を行うための、質素ながらも厳かな奥室。  

 その扉の前には、聖教会の誇るエリート――『聖騎士』たちが、音もなく立ち塞がっていた。


 彼らは重い剣を帯びる代わりに、魔力を練り上げるための鈍い銀の光を放つ杖を手にし、繊細な装飾が施された白銀のライトアーマーの上から、汚れなき純白の法衣を纏っている。

 その瞳に宿るのは、一切の迷いを排した冷徹な信仰の光だ。

 微動だにせず扉を守るその佇まいは、安らぎを説く聖職者というよりは、主の敵を葬ることだけを目的とした『粛清の番人』を思わせた。


 今、その部屋を支配しているのは、バルディアの安寧とは無縁の、凍てつくような「王都の闇」。


 高い窓にめ込まれたステンドグラスから、極彩色の光が室内に長い影を落としている。

 

 その光と影が交差する執務室の中央で、一人の男が深くひざまづいていた。


 白銀の甲冑に身を包んだその顔は、一輪の百合のように端正で、美しい。

 年は二十代半ばといったところか。

 さらりと流れる金の髪に縁取られたその瞳は、獲物を射抜く氷の切っ先のように鋭く、一切の温度を宿していなかった。


「申し訳ございません、フォルカス猊下げいか。……深い森の闇に阻まれ、見失いました」


 男の声は、自身の失策を報告しているとは思えぬほど、淡々と、そして冷徹に響いた。


 言い訳も、許しを乞う響きもない。


 それはただ、『獲物を仕留め損ねた道具』が発する無機質な事実の羅列に過ぎなかった。


 王都から「魔法の資質に秀でた精鋭」を徴用するため、この地を訪れていた枢機卿フォルカス。

 そして、その護衛として王都から随行してきた竜騎士長シオン・ハルフォード。

 

 現在、王都を囲む諸都市は、次々と魔族の手によって飲み込まれ、地図からその名を消し続けていた。  

 だが、魔王軍は獲物を弄ぶ獣のように、王都だけをあざ笑うかのように放置し続けている。  


 いつか来る、最後の審判の日。  

 その瞬間に備えるべく、聖教会は辺境バルディアにまで手を伸ばし、魔法の芽を持つ若者を根こそぎ徴用しようとしていたのだ。


 一段高い高座に置かれた、本来は大司祭の椅子であるはずの場所に、枢機卿フォルカスが深く腰掛けている。    


 その顔立ちは、アレンの師、ガルドと同じほどの年月を刻んでいた。

 だが、その皺の一本一本には、慈悲を削ぎ落とし、権力という名の冷徹な刃で研ぎ澄まされてきたような険しさがある。    

 窓から差し込む極彩色の光を背負い、逆光の中に浮かび上がる彼の輪郭は、救いの神というよりは、罪人を裁く断頭台の死神を思わせた。


 彼は白く細い指先で、法杖の頭に埋め込まれた不気味な輝きを放つ魔石をなぞりながら、冷徹な眼差しを足元の騎士へと向けていた。


「……竜の目と『聖痕の刻印(スティグマータ)』を以てしてもか。竜騎士長シオン、貴公にしては、随分と無様な報告だな」


 フォルカスは、シオンの透き通るような銀色の瞳を覗き込むように、低く、刺すような声で言い放った。


「……弁解の余地もございません。ただ、逃亡者に加担していた『二人の手練れ』が想定外でした。一人は、十六年前に死亡したとされている――かつての近衛騎士団長、ガルド・アイゼン」


 シオンの口からその名が零れた瞬間、魔石をなぞっていたフォルカスの指先が、ぴくりと震えた。


「そしてもう一人は、並の騎士では足元にも及ばぬ身のこなしを見せた、傭兵崩れの女です」


 沈黙が部屋を支配する。


 背後のステンドグラスから差し込む刺すような白光を浴び、フォルカスの姿は巨大な漆黒の影となってシオンを圧迫した。  


「ガルド、だと……。あの、王家への忠義に狂った老いぼれが、まだ泥をすすって生きていたというのかっ⋯⋯!」


 フォルカスの声は、低く、地這うような殺意を孕んでいた。

 その豹変ぶりを、伏せた瞳の奥でじっと見つめていたシオンが、鈴の音のように静かな声で問いかける。


「……ガルド・アイゼン。記録上では死したはずの騎士団長の名が、これほどまでに猊下のお心を乱すとは。よほどの『因縁』とお見受けしますが?」


「うるさい! 余計な詮索はするなッ!」


 フォルカスは激昂し、手にしていた法杖で激しく床を叩きつけた。  

 石床を打つその乾いた音は、外で安らぎの祈りを捧げる民衆には決して聞こえぬ、醜悪な拒絶の響きだった。


「シオンよ。これ以上の失敗は、神への冒涜ぼうとくに等しいと心得よ。バルディアの城壁を汚し、神の法を破った者たちを、一刻も早く浄化せねばならん。……たとえ、その森を根こそぎ焼き払ってでもな」


 逆光に照らされたフォルカスの瞳には、もはや信仰の光など宿っていない。

 そこにあるのは、過去の亡霊を強引に葬り去ろうとする、狂気的な執着だけだった。


「……御意のままに。次は、その首をルミナス神の足元へ捧げましょう」


「二度目の失敗は許されぬぞ。次にその口を開く時は、吉報のみにしろ」


 フォルカスは冷たく突き放すと、表情を険しくして言葉を続けた。


「私はこれより、精鋭を連れて王都へ戻る。……シオン、貴公はこの地に残り、必ずや奴らを始末しろ。二度と、私の耳にその忌々しい名が届かぬようにな」


「……はっ」


 シオンは静かに一礼すると、冷たい瞳の奥に鋭い殺意を宿し、颯爽と立ち上がった。  


 ひるがえる白銀のマントが空気を切り裂き、その乾いた音だけが、不気味な余韻を残して静まり返った奥室に反響する。


 シオンは、重厚な扉の向こう――温かな偽りの光が満ちる礼拝堂へと歩みを進めた。




 重いオークの扉が、低い残響を残して閉ざされ、再び訪れた、窒息しそうなほどの静寂。


 フォルカスは、窓から差し込む極彩色の光を忌々しげに睨みつけ、地を這うような声で独り言を漏らした。


「ガルド……。聖教会の歩みを知り、王家の不名誉を知る汚物が。ましてや、あの『忌むべき血』を連れて逃げ回るとはな。これ以上、我らの神聖を、この秩序を汚させてたまるものか」


 逆光に照らされた彼の横顔には、救済を説く聖職者の面影など微塵もない。    


 そこにはただ、過去の亡霊を闇に葬り、自らの正義を完遂しようとする、狂気的な執着だけが渦巻いていた。



 ※     ※     ※   



 そのどす黒い殺意が、自分たちに向けられているとは知る由もなく――。



 日は昇りきっているというのに、このバルディア外縁の森は、差し込む光をことごとく飲み込むほどに深く、暗い。

 その静寂を、肉を裂く鈍い音と、耳を刺すような魔物の断末魔が切り裂いた。


「……っ、はあぁッ!」


 僕は黒鋼の剣を両手で握り締め、目の前の亜人オークに向けて、渾身の力で剣を振り下ろした。

 

 ずしりと手に伝わる、命を断つ不快な感触。  

 倒れ伏した巨体から噴き出した鮮血が、頬を熱く濡らす。


 僕は、黒鋼の剣を構えたまま、額に張り付いた髪を無造作に掻き上げた。  

 光を一切反射しない、夜の闇を切り取ったような漆黒の髪。

 父ディオスから受け継いだその色は、この薄暗い森の闇に溶け込み、僕という存在を不気味に際立たせている。


 だが、その髪の隙間から覗く瞳は、それとは対照的な輝きを放っていた。  

 母エレナから受け継いだ、吸い込まれるほどに綺麗な黄金の瞳だ。


 その瞳はかつての穏やかさを捨て、戦士としての鋭さを帯びながらも、決して濁ることのない強い光を宿していた。


 洞窟を出てから、数刻。  

 僕たちには、一瞬たりとも立ち止まることは許されなかった。  

 まるで森そのものが僕たちを吐き出そうとしているかのように、深い茂みの奥から魔物たちが次々となだれ込んでくる。


「アレン様、お下がりください!」


 鋭い一喝とともに、師匠の銀閃が空を舞った。  

 一太刀で三体のオークを両断した師匠は、返り血を拭う間もなく僕の前に立ち塞がる。


 僕の視線を遮るのは、もはや体の一部と化したかのような、装飾の一切ない無骨な鉄鎧だ。

 数えきれないほどの傷と凹みに覆われ、ところどころに錆が浮いたその大きな背中は、まるで動く要塞のような圧倒的な重量感を放っている。


 鉄錆のような色をした短く刈り込んだ髪には白髪が混じり、その額には、かつての栄光を削り取ったかのような深い傷跡のある鉄の額当て《ヘッドガード》が鈍く光っている。


 左目を覆う厚い革の眼帯と、その奥から覗く岩のように鋭い右目。

 師匠は一切の隙を見せず、ただ静かに目の前の驚威を見定めていた。


「師匠、その『アレン様』ってやめてって言ってるのに……。いつも通り、アレンって呼んでよ」


 剣を構え直し、荒い息を吐きながら僕は苦笑混じりに応える。


「ひっひっひっ、ガルドも困ったもんだねぇ。アレンのことはまだ隠さなきゃいけないんだから、師弟関係のままがいいと思うけどね」


 ミレイユの茶化すような笑いと、僕のまっすぐな視線。


 二人に挟まれる形になった師匠は、ぐうの音も出ないといった様子で、大男に似合わず肩をすぼめた。


「……すまぬ」


 ミレイユさんはそんな師匠を豪快に笑い飛ばすと、肩に担いだ身の丈ほどもある大剣を軽く回した。


 燃えるような真っ赤な髪を、高い位置でポニーテールに結い上げた彼女は、この薄暗い森の中でもひどく華やかに見える。  

 整った美しい顔立ちをしているが、その紅玉ルビー色の瞳には、獲物を狙う獣の鋭さが宿っていた。


 しなやかな肢体を包むのは、動きやすさを重視した、露出の多い革の鎧だ。

 鍛え上げられた無駄のない肉体のラインが、健康的な色香と、不用意に触れれば一瞬で斬り伏せられそうな、剥き出しの刃のような危うさを同時に漂わせている。


 そんな彼女が、ふいに真面目な顔で辺りを見渡した。


「ったく、それにしても魔物が湧いて出てくるね……」


 彼女は、愛用の大剣にこびりついた魔物の脂を、転がっているオークの死体で無造作に拭い去る。


 ――そして、ぴたりと、その足が止まった。


 視線は、僕たちが進むべき道の先――ではない。

 つい先ほど通り過ぎてきた「背後の森」の暗がりに、その鋭い眼光が向けられている。


「……ミレイユさん?」


 僕が声をかけるより早く、彼女の喉が小さく鳴った。  


 その顔から、余裕の笑みが消える。


「……ねえ、ガルド。さっきからぶつかってくる魔物たち、様子がおかしいと思わないかい? 獲物を探してるんじゃない……こいつら、必死に『逃げて』るんだよ。まるで、もっと『とんでもない何か』に追い立てられてるみたいにさ」



 その言葉に、森の空気が一瞬で凍りついた。




 ――その「絶望」は、すぐそこまで迫っていた。






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