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【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第一章 呪われた右腕

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第35話 歴史の空白と、託された希望


 ミレイユさんは重いため息をつくと、意を決したように口を開いた。


「これから話すのは、生涯誰にも明かさないと心に決めていたことだ。……たとえアタシが死んだとしても、それを忘れないで、最後まで聞いてほしい」


 彼女は一度言葉を切り、どこか遠くを見つめるような目をした。


「……あんたたちは、人間と魔族が手を取り合って暮らしている場所があるって、どう思う?」


 その言葉に、師匠の眉がピクリと動いた。


「……まさか、実在すると?」


「アタシがそこの生まれだからね」


 ミレイユさんはどこか吹っ切れたような笑みを浮かべ、僕たちの正面に座り直した。


「そこは『灰色の聖域』って呼ばれてる。深い山奥の、結界に守られた小さな盆地にあるのさ。今はもう、とうに血が混ざり合っちまって、人間も魔族も区別なんてなくなってるけどね」


「………それって、…どういう……。じゃあ、僕と同じってこと……? その聖域の人たちも、……ミレイユさんも。僕と同じ『血』が流れてるってこと?」


 震える僕の声が、狭い洞窟の中に消えていく。

 僕を見つめるミレイユさんの瞳には、いつになく温かい光が宿っているように見えた。


「ああ、そうさ。アタシも混血だ。……見た通りアタシは人間の方が強く出ちまってるがね。けれど聖域じゃあ、家の軒先で薬草を干してる婆さんに角が生えてたり、広場で遊ぶガキに翼が生えてたりするのが、当たり前の『日常』だったんだよ」


「…………っ」


 衝撃だった。

 そんな場所が、この世界にあったなんて。


「信じられん。魔族と人間が共存している……? それどころか、血まで混じり合っているというのか。……騎士団団長としてこの国の情勢はすべて把握してきたつもりだが、そんな場所があるなど、一度として聞いたことすらない」


 師匠の言葉は、困惑と、そしてどこか自分への憤りを孕んでいた。


「そりゃそうさ。三百年もの間、聖域の結界を潜り抜けた者なんて一人もいない。入り込んだ者もいなけりゃ、ましてや外に出た者だって一人もいないのさ。……アタシが、掟を破って飛び出すまではね」


 ミレイユは表情を固くした。


「聖域の掟は『絶対』だ。聖域のことは『絶対』に外に知られてはいけない。だから、外の世界へ出ることは『絶対』に許されない。それが、三百年繰り返されてきた『絶対』の掟……。だけど、アタシには我慢できなかった。あの狭い空の下だけで死ぬなんて真っ平だったのさ。外が見たかった。だから十五の時、すべてを捨てて外に飛び出したんだ」


 ミレイユさんは、過去の自分を笑い飛ばすようにフッと笑った。


「アレンには悪いけど、アタシは昔、この見た目が本当に嫌いだったんだ。里の誰よりも『人間』が濃く出ていたからね。……でも、今となっちゃよかったと思ってるよ。皮肉なもんだ。聖域を捨てて人間界に来たアタシを、この忌々しかったはずの『人間の皮』が助けてくれてるんだからね」


 ミレイユさんは自嘲気味に笑ったが、僕はそれをどんな顔で受け止めればいいのかわからなかった。


 思わず、自分の右腕に触れる。


 十二歳のあの日、この腕が異形へと変じ、どす黒い魔力が暴れ出した時の恐怖は今も消えていない。


 あの時は、その絶望から死すら受け入れた。


 ――隠し通したかった僕と、人間であることを嫌った彼女。


 同じ混じり合った血を持ちながら、僕たちは正反対の痛みを抱えて生きてきたんだ。


 そんな僕の表情を見て、ミレイユさんは少しだけ眉を下げ、決まり悪そうに頭を掻いた。


「……すまないね。無神経に古傷を突いちまったか。でもさ、あんたみたいに魔の姿を自在に制御できる奴なんて、聖域にだって一人もいやしないよ。あそこじゃ、生まれ持った姿で一生生きていくのが当たり前なんだ」


「えっ……聖域の人たちでも、できないの……? ミレイユさんも?」


「ああ、アタシだってそんな芸当はできやしない。だからあんたのその腕を間近で見た時は、アタシも肝を冷やしたよ。混血の中でも、あんたはとびきり『特別』だってことさ」


 彼女はそう言って、悪戯っぽく片目を細めて見せた。


「実を言うとさ。あんたのその右腕……初めて会った時から、薄々は気づいてたんだよ。漏れ出してる魔力がほんのわずかだったから、最初は確証が持てなかったんだけどね」


「えっ……会った時から……?」


「ああ。でも、バルディアの検問で確信に変わった。正体がバレないか冷や汗をかいて、必死に腕を隠そうと慌てふためいてるあんたの姿を見てね。……あぁ、こりゃ決まりだ。このガキは間違いなく『混血』だって、確信したのさ」


 僕は、溜め息とも苦笑ともつかない吐息を漏らした。  

 あの時、心臓が口から飛び出るほど張り詰めていた僕の必死さが、なんだか酷く滑稽こっけいに思えてくる。  


 そんな僕の様子がおかしかったのか、ミレイユさんは「ひっひっひ」と、意地の悪い、けれどどこか慈愛に満ちた声をあげて肩を揺らした。


「そんな顔するんじゃないよ。……いいかいアレン。あんたが『混血』だって気づいた時点でさ、アタシにとってあんたを見捨てるなんて選択肢は、あり得なかったんだよ」


 彼女はそこで笑いを収め、真剣な眼差しを僕に向けた。


「あんたを見てたら、どうしても聖域のみんなの顔がちらついてしょうがないんだ。……怯えて、世界から隠れるようにして震えてるあんたを見てさ、放っておけるはずないじゃないか」


 ぶっきらぼうな言い方だったけれど、その声は微かに震えているようにも聞こえた。


 ミレイユさんは、僕の中に「敵」や「化け物」ではなく、自分の愛した「故郷」を見てくれていたのだ。


 師匠は、静かに目を閉じて僕たちのやり取りを聞いていた。

 そして、ゆっくりと立ち上がると、ミレイユさんに向かって深く、静かに頭を下げた。


「……ミレイユ。アレン様を見守ってくれたこと。そして実際に、その命をして主を守ってくれたこと……。さらには今、隠し通すべき己の正体を明かしてくれたこと。一人の老いさらばえた騎士として、心から礼を言う」


「よ、よしてくれよじいさん。柄じゃないだろ。……それに、この話には続きがあるんだ」


 ミレイユさんは、その眼差しをナイフのように鋭くした。


「聖域の成り立ち……あそこを創り上げた『始祖』はね。三百年前、聖教会で教皇だったやつの娘さ」


 洞窟の空気が、凍りついたように静まり返った。


「馬鹿な……。聖教会の、教皇の娘だと? そんな事実はどの記録にも――」


「あるはずないさ。当時の教皇の名は、……ヴァレリウス。大教皇ヴァレリウス。それが、その男の名前さ」


 ミレイユさんは苦虫を噛み潰したような顔で、その名を口にした。


「ヴァレリウス……。歴代の教皇の中でも、最も苛烈に『人間至上主義』を唱えた狂信者か。記録では、彼は魔族の進軍を幾度も退け、人類の版図を広げた『聖王国の礎』とされているが……」


 師匠の言葉を、ミレイユさんの冷笑が遮った。


「礎、ね。……笑わせるよ。今の聖教会の、あの反吐が出るほど排他的な教えの土台を創り上げたのは、他でもないその男さ。そいつは『純潔なる人間の世界』を作るために、魔族だけじゃなく、魔法の素質がない『無能な民』までもを、汚れとして切り捨てようとした。……その男の愛娘だったのが、アタシたちの先祖……セシリア様だ」


 ミレイユさんは遠くを見つめ、三百年の時を遡るように語り継ぐ。


「セシリア様は、父親の瞳の中に『信仰』じゃなく、ただの『選民意識』と『支配欲』を見たのさ。父親が掲げる『光』が、周りのすべてを焼き尽くす残酷な炎だってことに気づいちまった。……だから彼女は、すべてを投げ打って逃げ出したんだよ」


 ミレイユさんの瞳に、強い光が宿る。


「セリシア様は、父親が『滅するべき悪』だと断じた魔族の男と手を取り、光の届かない深い山奥へと逃げ込んだ。追っ手を差し向ける教皇の手から逃れ、自分たちが自分たちでいられる場所……『灰色の聖域』を創ったのさ。教会が血眼になって探しても見つけられなかった、『自由』の地だ」


 ミレイユさんは熱を逃がすように短く息を吐き、さらに瞳の光を鋭くした。


「『外の世界に、我らの存在を漏らすことなかれ。外の光に、我らの平穏を晒すことなかれ』。……だからこそ、聖域には絶対の掟がある。始祖であるセリシア様は、嫌というほど聖教会の恐ろしさを知り尽くしていたからね。……その教えは三百年経った今でも、ある者は呪いとして、ある者は祈りとして、大切に語り継がれているんだよ」


 ミレイユさんはそこで一度言葉を切ると、僕の両肩を折れそうなほど強く掴み、ぐいと顔を近づけてきた。


 その瞳の奥には、燃えるような熱い期待が宿っている。


「だからね、アレン。あんたの存在は、聖域の連中が聞いたら泣いて拝むくらいの、とんでもない『奇跡』なんだよ。魔王の力と、王家の血筋。その両方を完璧に継ぐ者が現れるなんて……。あんたなら、この国を覆う偽りの光をぶち壊せる。そして、アタシたちを、あの狭い空の下から連れ出してくれる。――あんたは、アタシたちの希望なんだ」


「僕が……希望……?」


 掴まれた肩から、ミレイユさんの震えるような熱量が伝わってくる。    

 それは、三百年もの間、狭い空の下で息を潜めてきた者たちの、切実な祈りそのものだった。


 めまいがするほどの期待。

 けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。  


 右腕の奥で脈打つ熱が、彼女の言葉に呼応するように、ドクンと強く、誇らしげに跳ねた気がしたから。


「……ミレイユ。アレン様に、これ以上の重荷を背負わせるか」


 師匠が、どこか僕を庇うように、けれどその瞳には隠しきれない期待を滲ませて呟いた。


 ミレイユさんはパッと僕の肩から手を離すと、照れ隠しのように鼻を鳴らした。


「ふん、重荷だろうがなんだろうが、背負ってもらうよ。そのためにアタシもすべてを打ち明けたんだ。……さあ、夜が明けるよ。ここからは時間との勝負だ」


 洞窟の外、地平線の彼方から真っ赤な太陽が顔を出し、荒野を血のような色に染め上げていく。  



 アレン・グランディオス・エルディアーナ。  



 僕の本当の名が、新しい世界の始まりを告げるように、胸の奥で高らかに鳴り響いていた。





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