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【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第一章 呪われた右腕

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第31話 ガルド・アイゼン、明かされる正体

 

 どれくらい走り続けただろうか。  

 蒼白く染まっていた空は、次第に薄明るいオレンジ色へと溶け出し、森の木々を逆光で黒く縁取っていく。


 ――ガサリッ!!


 不意に、頭上の枝から長い腕を揺らした「キラーエイプ」が、鋭い爪を光らせて僕を目掛けて飛び降りてきた。


(……っ、しまっ……!?)


 先ほどまでの死闘で体力が底をついている僕は、反応が遅れる。  


「……邪魔だ」


 低い声が響いた。  

 次の瞬間、視界が銀色の閃光で塗りつぶされる。


 ――ヒュンッ。


 たった一呼吸。  


 抜き放たれた師匠の剣が、飛びかかったエイプを空中で無残に両断する。  


 それだけではない。


 ここまでの道中に現れた数体のゴブリンも、背後から突進しようとしていたイノシシの魔物、ファングボアまでもが、断末魔を上げることもなく師匠に一瞬で斬り伏せられていた。


 一切の慈悲を排した、冷徹なまでの武。  

 師匠はエイプの返り血を払うことさえせず、再び走り出した。


 その背中から立ち昇る殺気は、いつも以上だった。


 森での修行中、死ぬほど厳しくしごかれたことは何度もあった。

 けれど、こんな師匠は一度も見たことがない。


 そこにいるのは、僕を育ててくれた優しい師匠ではなく、ただ敵をほふるためだけに研ぎ澄まされた、一振りの刃のようだった。


「立ち止まるな。明るくなる前に距離を稼ぐぞ」


 僕はなまりのような体を引きずるようにして、その恐ろしいほどの背中を必死に追った。



 ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※   ※



「……このあたりなら、大丈夫だろう」


 先頭を走っていた師匠が足を止め、周囲を鋭く警戒しながら告げた。  

 そこは、切り立った岩壁の根元に隠れるようにして広がる、小さな洞窟だった。

 入り口は生い茂るつたに覆われ、外からはまず見つからない。


「はぁ、はぁ……っ……」


 足を止めた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように全身の力が抜けた。  

 膝から崩れ落ちそうになる僕を、同じく肩で息をしていたミレイユさんが支えてくれる。


「……よく頑張ったね、アレン。まずは座りな」


 彼女に促されるまま、僕はつたを掻き分けて薄暗い洞窟の中へと入り、冷たい岩の壁に背中を預けた。

 岩肌のひんやりとした感触が、死ぬほど走って熱を持った背中に、今はただ、ひたすらに心地よかった。


 アドレナリンが引いていくのと同時に、全身を切り刻まれた無数の傷が、火がついたように熱くうずき始める。


 けれど、それ以上に僕の意識を支配していたのは、「右腕」だった。


 今はもう、元の僕の腕に戻っている。  

 けれど、皮膚の内側にまだあの「赤黒い熱」がくすぶっているような、得体の知れない違和感が消えない。


 僕は震える左手で、その右腕をぎゅっと 掴んだ。


「ミレイユ、肩を見せろ。手当をする」


 師匠の低く落ち着いた声が、洞窟の壁に静かに反響した。

 ミレイユさんは小さく頷くと、苦悶に眉を寄せながら、矢で射抜かれた左肩の鎧下をゆっくりとはだけさせた。


 あらわになった肩は、どす黒い血に汚れ、矢尻が深く食い込んでいる。  

 周囲の肌は変色して腫れ上がり、それは彼女がこれを抱えたままどれほどの無理をしてきたかを物語っていた。


 師匠は腰のポーチから、使い込まれた革巻きの道具入れを取り出した。

 中には清潔な布や数種類の薬瓶が整然と並んでいる。


「……っ!!」


 師匠が迷いのない手つきでやじりを引き抜くと、ミレイユさんが短く息を呑み、わずかに体を震わせた。  

 どろりと溢れ出した鮮血を、師匠は清潔な布で無造作に拭い去る。


 間髪入れず、師匠はあらかじめ用意していた小瓶から、すり潰した薬草を練り合わせた薬をすくい取った。  


「少し沁みるぞ。……だが、しっかり消毒しておかんと後で傷が腐る。我慢しろ」


 手際よく傷口に塗り込まれたのは、森での修行中、僕も幾度となく世話になった止血と殺菌の薬だ。


 直後、鼻を突くようなその独特で苦い香りが、洞窟の冷たく湿った空気の中に広がっていく。  

 それは、僕にとって幼い頃から慣れ親しんだ「師匠の薬」の匂いだった。


 師匠が次に道具入れの奥から取り出したのは、銀色に光る湾曲した針と、細い絹の糸。


 ミレイユさんはそれを見ると「ふぅ」と軽く覚悟を決めるように息を吐き、近くにあった手頃な太さの枝を口に咥えた。


 師匠の指が迷いなく、針を動かす。


 プツリ、と皮膚を貫く生々しい音。

 僕は思わず目を逸らしそうになったが、必死に耐えてその光景を焼き付けた。


 針が肉を通るたび、ミレイユさんの肩が小さく跳ね、咥えた枝にミシミシと歯が食い込む音が響く。

 けれど彼女は、最後まで一言の悲鳴も上げなかった。


 数分後、師匠は手際よく糸を切り、仕上げに新しい包帯をきつく巻き付ける。

 師匠の節くれ立った指は、驚くほど器用に包帯を操り、ミレイユさんの肩を的確に固定していった。  



 沈黙。



 聞こえるのは、自分たちの荒い呼吸と、遠くで鳴き始めた朝の鳥の声だけ。  

 つい先ほどまで死神と切り結んでいたことが、まるで悪い夢だったかのような静寂だった。


「……師匠」


 僕はたまらず、口を開いた。  


 聞かなければならないことが、山ほどあった。


「教えてください。ザディルって、何者なんですか? ガラは僕を……この腕を、『忘れ形見』だと言った。師匠のことも、『あの夜の生き残り』だって」


 僕は顔を上げ、正面に座る師匠を真っ直ぐに見据えた。


「師匠は、全部知っているはずだ。……僕は、何なんですか。僕の本当の正体を……隠さずに、全部、話してください」


 絞り出すような僕の声に、師匠の手が一瞬止まった。


 師匠はミレイユさんの肩に包帯を巻き終えると、膝の上に置いた自分の拳をじっと見つめ、深く、重い溜息をついた。


「……この日が来るのを、わしは一番に恐れていた。本心では、お前が真実を知る日など永遠に来なければいいと……ただの『アレン』として、このまま光の下で笑っていてほしいと、わし自身が一番、そんな叶わぬ願いにすがっておったのじゃろうな……」


 師匠はそこで一度深く目を閉じ、溢れそうになった感情を押し殺すように強く拳を握った。

 そして意を決したように、僕の正面に座り直した。


 その瞳には、今まで見たこともないほど重い覚悟が宿っている。


「アレン。その右腕に宿る力の正体、そしてお前の血に流れる、あまりに過酷な真実を――今ここで、すべて話そう。……いや、その前に。まず正しておかねばならぬことがあったな」


 師匠は懐から、バルディアの門番に見せたあの古びた黒鉄の認識票を取り出した。


「わしはこれを『王都西門守備隊の分隊長』のものだと言ったな。……嘘ではない。だが、それはわしがまだ若かった頃の、遠い過去の話じゃ」


 師匠は認識票を握りしめると、次は懐から別のものを取り出した。  


 それは、鈍く、けれど確かな威光を放つ銀のペンダントだった。


 そこに刻まれているのは、勇猛に咆哮する『獅子』を中心に、武を象徴する『王剣』と、信仰を象徴する『聖杖せいじょう』が背後で交差する、緻密ちみつで美しい紋章。


「……その紋章、見たことある」


 僕は思わず息を呑んだ。


「村の教会の、一番高いところにあったエレナ様の肖像画……。その胸元に飾られたブローチに、同じ紋章が描かれていました」


「……左様。これは王家の血筋と、それを支える二大権威の証。エルディアーナ聖王国の正統な紋章じゃ」


 師匠はペンダントを握りしめ、かつての武人としての鋭い光をその瞳に宿した。


「わが名はガルド・アイゼン。かつてこのエルディアーナ聖王国において、王を支える二大巨頭……『聖教会』と並び称された『騎士団』。その頂点たる『王都近衛騎士団』の団長を務めておった」


「――こ、近衛騎士団……団長……っ!?」


 隣でミレイユさんが、信じられないものを見る目で絶句した。  


 騎士の頂点。


 教会の枢機卿と対等に渡り合える、文字通りの国家最高権力者の一人。


 僕らのような平民が一生を費やしても、その姿を拝むことさえ叶わない。

 想像もつかないほど遠い世界の住人だ。


「信じられんのも無理はない。だが、その立場にいたからこそ、わしはすべてを知り、見てきた。……そのすべてを、お前に話そう」



 師匠は静かに、けれど逃れられぬ宿命を告げるように、まっすぐ僕を見据えた。



「心して聞くがいい。お前の血に流れる、あまりに過酷な真実を」




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