第19話 職人街の黒鉄屋、鉄を超えし一振り
眩しすぎる白銀の輝きを背にして、僕たちは逃げるように大通りを通り抜けた。
さらに奥へ、迷路のような路地を潜り抜けた先に広がっていたのは、先ほどまでの華やかな喧騒とは無縁の場所だった。
絶えず響き渡る、重く硬い鉄を叩く音。
そこは「職人街」と呼ばれる一角で、立ち並ぶ家々の煙突からは、どす黒い煙が吐き出されている。
その片隅に、周囲の煤をそのまま塗り固めたような、一際古びた店が佇んでいた。
「ここじゃ。『黒鉄屋』。……アレン、ミレイユ。あまり余計なことは喋るなよ」
師匠は店に入る直前、さらに深くフードを被り直した。
カラン、と乾いたベルの音が鳴った。
「へい、らっしゃい。……見ない顔だな。冷やかしなら帰んな」
店内は薄暗く、鼻を突くような鉄と油の匂いが充満していた。
カウンターの奥から現れたのは、岩をそのまま削り出したような厳つい顔の初老の男だ。
その肌は煤で黒ずみ、太い腕には数え切れないほどの火傷の跡が刻まれている。
男の鋭い眼光が、僕たち一人ひとりを値踏みするように射抜いた。
師匠は何も言わず、腰に下げたボロボロの剣を、静かにカウンターの上に置いた。
鞘は幾多の戦いを潜り抜けた証である無数の傷に覆われ、柄を巻く革も握り手の形にすり切れている。
けれど、手入れだけは、狂気を感じさせるほど完璧になされていた。
華美な装飾はすべて削げ落ち、ただ「斬る」ことだけに特化したその無骨な佇まいは、まるで持ち主の生き様をそのまま写し取ったかのようだ。
店主がその「剣の柄」――そこに刻まれた、擦り切れて判別もつかないはずの小さな紋章に目を留めた瞬間。
ガシャリ、と彼が手に持っていた火箸が床に落ちた。
「……ッ!? その、細工。まさか、おまえ……生きて……」
「……声が大きい。久しいな、ガントン」
師匠の、低く、どこか静かな威厳を湛えた声。
その一言に、ガントンはハッと息を呑んだ。
彼は血走った目で慌てて出入り口に向かうと、表に人影がないことを執拗に確認し、重い鉄の扉を閉めて内側から鍵をガチャンと掛けた。
静まり返った店内に、逃げ場のない鉄の匂いだけが立ち込める。
ガントンは震える手で顔を覆うと、深く、肺に溜まった煤をすべて吐き出すような溜息をついた。
そして、信じられないものを見るような目で、フードに顔を隠した師匠を改めて凝視する。
「……十六年だ。死んだって噂を信じて、毎年酒を供えてたんだぜ。……この『死にぞこない』が」
ガントンの声は、先ほどまでのぶっきらぼうなものとは違い、どこか湿り気を帯びていた。
「お前こそ、少し見ない間に老けたな。肺が煤で詰まってくたばったかと思っておったわ」
師匠の無骨な皮肉に、ガントンは鼻を鳴らす。
彼は荒っぽく顔を拭うと、ようやく「職人の顔」を取り戻し、僕とミレイユさんを品定めするように鋭く睨みつけた。
「……で? 今日は何の用だ。まさか、その歳でまた現役復帰するわけじゃあるまい」
「まさか。……今日は、この弟子に剣を見繕ってやりたくてな」
師匠に背中を押され、僕は恐る恐る前に出た。
ガントンさんが、ギロリと僕を睨む。
「……ひょろいガキだな。こんなのが剣を振るのか?」
「見た目で判断すると痛い目を見るよ、親父さん。この坊主、結構やるからさ」
後ろからミレイユさんが口を挟むと、ガントンさんは鼻を鳴らした。
「ふん……。まあいい。予算は?」
「金貨二枚までじゃ」
「そりゃあ随分と奮発したもんだ。なら、そこら辺の棚にあるやつを見てみな。どれもそこらのなまくらと一緒にしてもらっちゃ困る一級品ばかりだ」
ガントンさんは顎で壁際の棚を指した。
そこには、薄暗い店内でも鈍い光を放つ剣が整然と並んでいる。
ただそこにあるだけで、周囲の空気をピリつかせるような「殺具」としての風格が漂っていた。
「……すごい」
並んでいるのは、美しい反りを持った長剣、重厚な造りの広刃剣、そして扱いやすそうな小剣。
どれもが僕のこれまでの常識を覆すほど洗練されていた。
僕は棚に並ぶ剣を、一本ずつ慎重に手に取っていく。
(……軽い)
一本目の長剣を振ってみる。羽のように軽い。
二本目の広刃剣。見た目の重厚さに反して、やはり手応えがない。
三本目。重心が手元に寄りすぎていて、空を切る感覚すらない。
ここ数年、魔物の硬い皮膚を叩き斬り、岩を砕くような師匠の地獄じみた修行を続けてきたせいだろうか。
普通の兵士が使うような剣では、頼りなく感じてしまうのだ。
「どうした坊主。気に入らねぇか?」
首を傾げる僕を見て、ガントンさんが声をかけてきた。
「あ、いえ……すごく良い剣だと思うんですけど、その……少し、僕には軽すぎて」
「軽いだと? お前、その身長の割に筋肉は引き締まってるが、それでもまだ子供だろ。そいつはバルディアの正規兵が音を上げる重さだぜ」
ガントンさんは怪訝な顔でカウンターを回り込むと、地響きを立てるような足取りで僕の前に立った。
彼の視線は、僕の顔ではなく、一点――フードの袖口から覗く、不自然なほど厚く巻かれた右腕に釘付けになっていた。
「……おい、その腕。怪我でもしてんのか?」
「えっ、あ、はい。ちょっと……昔に負った酷い火傷の跡が残っていて」
ガントンさんは「ふぅん」と鼻を鳴らすと、無骨な手を僕の右腕へと伸ばした。
「見せてみな。火傷の引き攣れがあるなら、それに合わせてグリップの太さを微調整してやる。それが俺の流儀だ」
その手が包帯に触れようとした瞬間、僕は弾かれたように腕を引き、背後に隠した。
「い、いいです! 大丈夫ですから、気にしないでください!」
「あ? なんだよ、客の手に完璧に馴染ませるのが職人の仕事だ。遠慮なんてしてんじゃねぇ」
「本当にいいんです! 触らないでください……っ!」
僕が悲鳴に近い、強い拒絶の声を上げると、店内に冷たい沈黙が降りた。
ガントンさんの眼光が、これまで以上に鋭く、細められる。
彼の手が空中で止まり、じりじりと焦げるような視線が僕の右腕に突き刺さった。
「……おいガルド。こいつ、何か『訳あり』か?」
「…………」
師匠は答えない。
フードの陰に顔を隠したまま、微動だにせず沈黙を守っている。
(まずい……変に怪しまれたかもしれない)
嫌な汗が背中を伝う。
しかし、ガントンさんは僕の怯えた目と、頑なな右腕の構えをじっと見つめると、やがて「……ふん」と短く鼻を鳴らした。
「ま、客の事情に首を突っ込むのは職人の仕事じゃねぇか」
彼はそれ以上追求することなく、僕から視線を外して店の奥へと引っ込んでいった。
張り詰めていた空気がわずかに緩んだのも束の間、彼はすぐに、ずっしりと重そうな「一本の剣」を抱えて戻ってきた。
ドンッ!
カウンターに置かれたのは、夜の闇をそのまま固めて切り出したような、漆黒の塊だった。
装飾も宝石もない。
ただ、その刀身は恐ろしく分厚く、見るからに頑丈そうな黒革の鞘に収まっている。
「うちの看板は『黒鉄』だが……こいつは違う。読みは同じでも、格が違うんだ」
「え……?」
「鉄を超えた最強の金属……『黒鋼』。そいつを、俺の持てる技術の全てを注いで鍛え上げた、俺の最高傑作だ」
カウンターに横たわったその剣は、窓から差し込むわずかな光さえも吸い込んでしまうような、底知れない闇を湛えていた。
ただそこにあるだけで、他の棚に並んでいた名剣たちが霞んで見えるほどの、圧倒的な「質量」と「殺気」。
それは、まるでもう一つの「僕の右腕」であるかのように、静かに、けれど激しく僕の魂を揺さぶった。




