第18話 交わらぬ光と、刻まれた記憶
宿を探す前に、僕たちは師匠の案内で「武器屋」へ向かうことになった。
バルディアのメインストリート。
そこにある光景は、僕が育った『リムル村』や、途中で立ち寄った『マルカ村』とは、何もかもが違っていた。
まず、視界に入りきらない。
左右に並ぶ建物はどれも灰色で、見上げるほど高い石積みだ。
万が一、魔物が壁を越えて侵入してきても、建物そのものが「砦」になるように造られているらしい。
リムル村のような木の温もりや、のどかな畑なんてどこにもないけれど、代わりにここには「むせ返るような人の熱気」があった。
煤けた石造りの窓枠からは、くたびれた洗濯物が幾枚も旗のようになびいている。
道端には色とりどりの野菜や、どこか出所の怪しい肉を焼く露店が隙間なく並び、商人たちの怒号に近い威勢のいい声が四方八方から飛び交っていた。
「さあ買った買った! 今朝獲れたての岩イノシシだ! 兵隊さん、精がつくぞ!」
「どけっ、どけ! 荷車が通るぞ、命が惜しけりゃ道を空けな!」
「おい、そこの田舎者! 道の真ん中で突っ立ってんじゃねぇ、邪魔だ!」
行き交う人々は皆、生きるために必死で、どこか殺気立っている。
漂ってくるのは、鉄の錆びた匂いと微かな石炭の煙、それから――安っぽい油で肉を焼く、食欲をそそる匂いだ。
「……ふぅ、喉が渇くねぇ。おっ、親父さん、一番きついやつを一本!」
僕の隣を歩いていたミレイユさんが、鼻を鳴らしながら、ふらりと酒樽を積んだ露店に吸い寄せられていった。
彼女は慣れた手つきで銅貨を放り投げると、受け取った小瓶の栓を前歯でパキィッと器用に引き抜き、そのまま喉を鳴らして豪快に飲み干した。
「ぷはぁっ! やっぱり酒はこれだね。喉が焼けるようなこの安っぽさがたまらないよ!」
「……ミレイユ。貴様……。これだから『これ』は……」
師匠が足を止め、心底嫌そうな顔で振り返る。
けれどミレイユさんは「いいじゃないか、景気づけだよ」とケラケラ笑い、少し赤くなった顔で再び僕たちの隣に戻ってきた。
師匠の深い溜息が、街の喧騒に虚しく消えていく。
鉄の匂いと石炭の煙に包まれた道を、さらに奥へと進む。
すると、乱雑な灰色の街並みの中で、そこだけが周囲の汚れを拒絶するように神聖な静寂を保っている場所が姿を現した。
「……あ」
思わず、足が止まった。
高くそびえ立つ白銀の外壁と、雲を突くような鋭い尖塔――。
バルディアの空を支配するように鎮座する、聖教会の大聖堂だ。
煤に汚れた服を着た職人や、長旅の疲れを滲ませた商人が、次々とその白銀の建物の前で足を止め、吸い込まれるように中へと入っていく。
その厳かな正面入り口の傍らには、白く輝く一体の聖像が立っていた。
像の足元には、老若男女を問わず多くの人々が群がり、一心に祈りを捧げている。
病気が治るようにと、震える手で石像の足元にしがみついて祈るお婆さん。
親に手を引かれ、見よう見まねで一生懸命に手を合わせる小さな子供。
誰もがその姿に、縋るような、切実なまなざしを送っていた。
穏やかに目を閉じ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、すべてを包み込むように手を差し伸べる美しい女性。
この国の誰もが敬う、エルディアーナ聖王国の象徴。
そして、暗い戦時下を生きる人々の、たった一つの光。
「聖女……エレナ様……」
その名を呟いた瞬間、胸の奥がキリリと痛んだ。
『まるで聖女様の子のようだ』
そう言って僕を愛してくれた人たちは、右腕の正体を知った途端、豹変した。
聖女と同じ金の瞳を持っていることが、何よりの「罪」であるかのように――。
『汚らわしい! その瞳で、中身は魔族だったのか!』
耳の奥で、あの日投げつけられた罵声と石の衝撃が蘇る。
祝福だったはずのこの瞳は、あの日を境に、僕を縛り付ける呪いになった。
(エレナ様のような清らかな人が、この腕を見たら……きっと、悲しまれるだろうな)
右腕の「禁忌の力」を隠すように、僕は無意識にマントを強く握りしめた。
光そのものである聖女と、闇を宿した僕。
天と地ほども離れた、決して交わることのない存在だ。
「……アレン。いつまで突っ立っておる。行くぞ」
師匠の声が、驚くほど低く響いた。
見れば、師匠はフードを深く被り、眩しい聖像に背を向けて立ち尽くしている。
その拳は、関節が白く浮き出るほどに強く、強く握りしめられていた。
「あ、すみません……。やっぱり、聖女様ってすごいですね。あんなに綺麗で、みんなに愛されてて……」
僕が素直な感嘆を漏らした、その時だった。
「…………反吐が出る」
心底、汚らわしいものを見るような声だった。
「……行くぞ。ここに長居しても、ロクなことにはならん」
師匠は吐き捨てるように言うと、僕の背中を強引に押す。
眩しすぎる白銀の大聖堂から逃げるように、僕たちは足早にその場を後にした。
その足取りは、まるで何かに追われているかのように焦っている。
僕には、師匠が何をそれほどまでに怒っているのか、この時の僕にはまだ、判らなかったんだ。




