第12話 凸凹な旅路、バルディアへの第一歩
ミレイユさんは師匠の猛抗議を柳のように受け流し、霧が晴れる麓まで僕を担いだまま一気に山を駆け下りてしまった。
ようやく地面に降ろされたところで、師匠は僕の体の惨状――全身の打撲に加え、肋骨までもが折れていることを知った。
それを確認した瞬間、師匠の顔面は見る間に沸騰し、凄まじい「雷」が落ちた。
「この大馬鹿者がッ! 無茶をするなとあれほど言っただろう! 自分の身も守れん奴が、他者を守ろうなどと百万年早いわッ!!」
草むらの上で正座させられ、項垂れて説教を受ける僕。
そのすぐ傍らでは、どこから取り出したのか、ミレイユさんが酒瓶を片手に、さっきからずっと楽しそうに喉を鳴らして笑っていた。
「ガハハハ! いいねぇ爺さん、もっと言ってやりな! 坊主も、そんな腕でウサギなんか守るからさ」
夕日に照らされた彼女は、説教される僕をまるで酒の肴にでもしているかのようだ。
怒髪天を衝く勢いの師匠と、上機嫌で酒を煽る女傭兵。
……僕の旅の初日は、前途多難なんて言葉じゃ足りないくらい、とんでもない賑やかさで幕を開けた。
「とにかくだ、爺さん。この坊主は当分、まともに動けやしないよ。……あんた一人で、手負いのガキを守りながらバルディアを目指すのは、少々骨が折れるんじゃないかい? アタシがいたほうが、何かと『安全』だと思うけどねぇ」
ミレイユさんは酒が回ってきたのか、さらに上機嫌な様子で師匠に視線を向けた。
その言葉は挑発的だったけれど、悔しいかな正論だ。
今の僕は、一人で歩くことさえままならないのだから。
師匠はしばらくの間、険しい表情で考え込んでいたが、やがて忌々しそうに大きく舌打ちを漏らした。
「……ええい、認めよう。貴様を『傭兵』として雇う。正当な報酬も支払おう。その代わり、金を受け取る以上はわしの指示に絶対に従ってもらうぞ。いいな?」
「はいはい。了解しましたよ、ボス。……ところで、あんたたち、あんな山奥で何をしていたんだい?」
「……アレンの修行だ」
師匠は余計な詮索を封じるように、短く、突き放すような声で答えた。
「へぇ、山籠もりってやつかい。一区切りついたから街に出ようってことか。
……でもさ、爺さん。あんた、指導者としてはなかなかやるね。確かにこの坊主の腕はまだまだだが、すごく『いいもの』を持ってるよ」
ミレイユさんは手近な岩にどっかりと腰を下ろしたまま、酒瓶を傾けてニヤリと僕を見た。
「ただの我流じゃない。あんたが叩き込んだ『基礎』の硬さ。それに――死に際でも濁らなかった、あの真っ直ぐな『目』だ。あれは、付け焼刃の修行で手に入るもんじゃない。いい素材だねぇ、アレン坊主は」
プロの傭兵からの、思いがけない高評価。
僕は正座したまま、照れくささと気恥ずかしさで、思わず俯いて地面の草を見つめた。
「……ふん。褒めても報酬は上げんぞ」
師匠は素っ気なく鼻を鳴らしたが、その視線はどこか誇らしげに、僕の頭の上をかすめていった。
結局、その日は山を下りきった河原で野宿することになった。
師匠が不機嫌そうに火を熾し、ミレイユさんは「雇われ仕事の第一弾だね」なんて言いながら、手際よく仕留めた魔猪『ワイルドボア』を捌いていく。
夜、焚き火の爆ぜる音を聞きながら、師匠が僕の傷を改めて診てくれた。
折れた肋骨を固定し、新しい包帯を巻くその手は、いつもより少しだけ優しかった気がする。
「……バルディアまでは、まだ距離がある。道中、お前は余計なことを喋るな。いいな?」
蚊の鳴くような小声で念を押す師匠の視線は、焚き火を挟んだ向こう側――大きな岩を枕にして、豪快に寝息を立てているミレイユさんに向けられている。
彼女が熟睡している隙を狙った、切実な警告だ。
僕はただ、その厳しい瞳を見つめ返しながら、小さく頷くことしかできなかった。
翌朝。
朝靄が晴れ、小鳥のさえずりが響く中で、僕たちの旅が再開された。
「よっと。ほら坊主、今日も特等席だ。しっかり捕まりなッ!」
ミレイユさんは昨日と同じように、僕をひょいと背負い上げた。
寝起きの体には彼女の背中の硬さが少し響いたけれど、歩き出すと同時に伝わってくる一定のリズムが、心地よい揺り籠のように、不思議と体の痛みを和らげてくれる。
「おい、ミレイユ! アレンをあまり揺らすなと言っておろうが! もっと慎重に歩け!」
後ろから馬の鼻息のような勢いで、師匠の怒鳴り声が飛んでくる。
「わかってるって、爺さん。アタシを信じなよ。これでもプロなんだ、揺れちゃいないさ」
ミレイユさんは呆れたように肩をすくめると、僕を背負い直して前方を指差した。
「……あと二日も歩けば、街道沿いの村に着く。そこでバルディア行きの定期馬車に乗せてもらえば、歩くよりずっと早く、楽に着けるよ。まずはその村を目指す。文句はないね?」
彼女の迷いのない言葉に、師匠は忌々しそうに鼻を鳴らしたものの、僕の顔色を見てそれ以上の抗議を飲み込んだ。
相変わらず騒がしくて、ちぐはぐな僕たちの足取り。
けれど、ミレイユさんの背中越しに見える景色は、森の中で師匠と二人だけで過ごした四年間とは、まるで違う色をしていた。
木漏れ日が揺れる鬱蒼とした深い森。
その先に待っているのは、僕がまだ知らない「外の世界」だ。
ズキズキと痛む脇腹をこらえながら、僕はミレイユさんの逞しい肩に、そっと顎を乗せた。
伝わってくる体温が、朝の冷たい空気を忘れさせてくれる。
――僕を背負うこのリズムが、心地いい。
師匠の叱責と、ミレイユさんの笑い声。
その二つが混ざり合う不思議な調べを子守唄代わりに聞きながら、僕はバルディアへと続く未知の道へと、ゆっくりと踏み出していった。




