第九十七滴 矛先の行方
「君はここに来る前、検査を受けただろう?」
「確かに受けましたが……何か問題でも?」
血液検査と、医師の診察。どれも異常はなかったため、天璃はファンタジアへの転入を許された。
しかし、学園長の話を聞く限り、初めから天璃の入学を拒むつもりはなかったようだ。
「問題、か。事故により記憶を失っていることや、身寄りがなく一時的に保護されていたことは知っていた。提出された資料にも書いてあったからな。ただ、それがしは予言のこともあり、どうにも違和感が拭えなかった。それゆえ、調べさせたのだ」
普通の人間が、予言の対象になるだろうか。
一度芽生えた疑念は、そう簡単になくならない。さらに詳しい検査を行うため、学園長は天璃から採取した血液を、信のおける研究者へ送ることにした。
「君の血液は、どうやら特別性らしい。それも、吸血鬼たちが求める実験体の条件を、完璧に満たしている」
研究者を除けば、学園長と結解しか知り得ない情報だ。
「君たちが、吸血鬼のことを探っているのにも気づいていた。もちろん、咎めるつもりはない。信じてもらえるかは分からないが、たとえ黙認権がなくとも、それがしは容認するつもりでいた」
真剣な表情の学園長を、天璃が黙って見つめる。
「予言の内容は、すでに始まっている。現に、君を中心として多くの生徒たちが動いた。それがしは──この機を逃すつもりはない」
一癖も二癖もある者ばかり。けれど、天璃という存在を通じて、反発しそうな関係も不思議なほど成り立っている。
あの幻想種さえ動かした天璃を見て、学園長は予言が正しかったことを確信したのだ。
「君が目的を遂げられるよう、我々も協力しよう。その代わり、それがしの目的にも手を貸してほしい。それが、それがしからの提案だ」
悪い話ではない。元々、霊藻は吸血鬼たちの実験を違法だと話し、珠羅や兎々も良く思っていなかった。
だからこそ、地下の根城にも踏み込むことを決めたのだ。
「具体的には、どんなことを望んでいるんですか?」
風向きが変わったのを感じ、学園長が微笑む。
静寂に包まれた室内に、カチリと秒針の音が響いた。
◆ ◆ ◇ ◇
薄暗い室内に、黒いローブが溶け込む。
男の前に跪いた配下は、奥にもう一人立っていることに気づくと、戸惑った表情を浮かべた。
「そちらの方は……」
「私の客人だ」
男の客人は、少女とも女性とも取れる容貌をしていた。美しさの中に無邪気さを秘めたような、何とも言えない魅力を漂わせている。
時間を改めようと立ち上がりかけた配下を、男が手で制した。
「構わない。このまま続けなさい」
「……かしこまりました」
穏やかでありながら、逆らうことを許さない響きに、配下が姿勢を正す。
「学園にいる真祖が動き出した件ですが、やはり例の生徒が関係していたようです。それと……楪舞宵の死亡が確認されました」
「死亡? 人間にしては優秀な子だと聞いていたが、いったいどんな先祖返りの不興を買ったのかな?」
「……先祖返りではなく、真祖のようです」
柔和な男の空気に、ピリリとしたものが混じる。
「例の生徒──御門天璃の傍には、常に阿留多伎珠羅の存在があります。祝福の影響で催眠の類が効かないとなると、無傷での捕獲は困難だと判断しました。そのため、御門天璃を重症にすることで一時的に二人を切り離し、隙を突いて捕える算段だったのですが……」
失敗したどころか、使える駒を失う事態にまでなってしまった。叱責を覚悟し頭を下げる配下の耳に、鈴を転がすような声が届いた。
「あめり……今、あめりと言ったの?」
「前に話した、神血と呼ばれる者の名だよ」
困惑する配下に代わり、男が口を開く。
「ふふ、ふふふっ。ようやく実験が完成しそうだと言うから来てみたら、ミゼルってばまさかそんな……」
「なにがおかしいんだい、ノア」
男をミゼルと呼んだ女性──ノアは、笑いが止まらないのかクスクスと声をこぼしている。
「いいえ。あなたが気づけないのも無理ないわ。そうね……彼女を捕まえたいなら、わたしが手伝ってあげる」
軽やかな足取りで、ノアがミゼルへと歩み寄る。
楽しげに笑うノアの瞳は、血のように赤く染まっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
痛い、苦しい、悲しい。もう、終わりにしたい。
ひどく疲れ果てた感情が、波のように押し寄せてくる。
叶えられない願いの矛先は、自分か他者、どちらかを傷つけることでしか止められないと思っていた。だからいっそ、全てを“無かったことに”してしまえたらと願ったのだ。
しかし、天璃に向けられた矛が珠羅を貫いた時、空っぽの心に強烈な痛みが走った。パズルのピースのように、天璃の欠けた場所には、いつの間にか珠羅の存在がはまっていたらしい。
戦うための剣、身を守るための手段として珠羅を選んだ。ペットが飼い主を守るのは、契約としても正しいあり方のはずだと。そう、思っていたのに──。
「天璃ちゃん」
身体を揺すられる感覚に、意識が浮上する。
視界に映り込んだ姿に、天璃はふと息が吸いやすくなるのを感じた。
「うなされてたから、起こしちゃった」
「……」
「泣いてるの?」
ぼうっと珠羅を見つめる天璃の目尻に、冷んやりした指が当てられる。
「……泣いてないよ。泣き方も、よく分からないから……」
「ふーん。私と一緒だね」
寝起きのせいか、余計なことまで話してしまった。口を閉じた天璃に、珠羅が目を細める。
「ねえ、ゲームの続きしにいかない?」
「今から?」
「うん。だめ?」
まだ夜明け前だが、もう一度眠りたいとは思えなかった。そんな天璃の気持ちを知ってか知らずか、珠羅は笑顔で首を傾げている。
「だめじゃない。……珠羅ちゃん」
「んー?」
「ありがとう」
守ってくれて。傍にいてくれて。天璃の心を、埋めてくれて。ベッドから降りた珠羅の背中に、何重にも巻かれた感謝を呟く。
「天璃ちゃんの恋人だからね〜」
振り返った珠羅が、布団ごと天璃を抱き上げた。おくるみのように包まれた天璃を抱え、珠羅が当然のように口にする。
「うん、そうだね」
このまま朝が来るまで、二人で布団にくるまり、並んで寄り添っていよう。
そんなことを考えながら、天璃は珠羅の首筋にそっと頭を預けた。




