第九十六滴 氷血
修復された備品室の窓際で、氷雨は外の景色を眺めていた。室内に足を踏み入れた舞宵は、その背を数秒ほど見つめたあと、暗い雰囲気を払うように声をかける。
「氷雨さま。天璃さまの件ですが、どうやら大きなお怪我はされていないようです」
「そうか」
「あ、そういえば! 今回の出し物は、天璃さまの案らしいですね。尊敬よりも恐怖を煽るなんて、斬新な発想で感心してしまいました」
「……なあ、楪。どうして天璃があんな出し物にしたのか分かるか?」
不思議そうな舞宵に、涼しげな瞳が向けられる。
「お前みたいなやつを、炙り出すためだ」
「なにを……言ってるんですか?」
「後天的に能力者をつくる実験、だったか? 禁忌に触れるなんて、お前も思い切ったことをしたな」
天璃と会うまでの氷雨はほとんど外にも出ず、誰かと会っている様子もなかった。舞宵以外と話すところなど、見たこともない。
それなのに、どうして秘密を知っているのだろうか。
「私の氷を切断するために、能力を使っただろ。血液を変形させる能力は、吸血鬼なら誰でも使えるもんだからな。ああこの場合、血を取り込んだやつもって言うべきか」
「……急に、どうされたんですか? 血を扱うだけなら、先祖返りにだって──」
「確かにいないこともないが、あの程度のやつらが私の氷を切断できると思うか?」
沈黙する舞宵に、氷雨が息で笑った。
「吸血鬼の血液は、別の吸血鬼の血液に触れると弱体化される。同族が争わないよう組み込まれてるのかもしれないが、まあそこはどうでもいい」
「……知っていたなら、なぜ今まで……」
「私がお前を近くに置いといたことが不思議か?」
ゆっくりと振り返った氷雨が、舞宵と向き合う。
「そういえば、天璃にも同じようなこと聞かれたな」
──飼い主にするつもりはないのに、どうして一緒にいるの?
あの時、会議室で尋ねてきた天璃の表情は、何かを確認しているようで。
「近くに置いといた方が、色々と都合が良いだろ」
氷雨は、そう答えたのだ。
「私はな、楪。敵を遠ざけるより、見える範囲に留めておきたいタイプなんだ」
パキパキと音が響き、部屋の中が極寒に変わっていく。
「お前が何もしなければ、時期を見て手放してやってもよかったが……よりにもよって、天璃を狙うなんてな」
じりじりと退いていた舞宵の背に、ドアノブが当たる。咄嗟に手を伸ばした舞宵が触れる直前、ドアが壁ごと凍りついた。
「逃がすと思うか?」
白い息が漏れ、歯がガタガタと鳴る。
皮膚が徐々に壊死していく中、舞宵の意識も氷の下に閉ざされていった。
◆ ◆ ◆ ◆
学園長室に招かれた天璃は、冷静な表情とは裏腹に、頭をぐるぐると回転させていた。
「いきなり呼び出されて驚いたことだろう。そう緊張せず、肩の力を抜いてくれ」
見た目は小学生くらいの幼女ながら、雰囲気はやけに大人びている。
どっしりとしたソファーと、年季の入った調度品。テーブルの上に湯呑みを置いた結解が、学園長の斜め後ろに立った。
「本当はもっと早く話をする予定だったが、夏季休暇に加え君たちは本土への旅行があったからな。少し先送りにしたんだ」
「そうだったんですね。それで、どんなご用件でしょうか?」
好意的に近づいてきた相手には、まず疑いから入るのが天璃という人間だ。学園長の親しげな態度は、むしろ天璃を懐疑的にさせた。
「あー、実は君に提案があってな」
「提案?」
「うむ。君は学園に、とある物を探すためにきた。そうだろう?」
警戒心を強めた天璃に、学園長が笑みを浮かべる。
「最近、梵と交流があると聞いている。梵の曾祖母とは友人でな。昔、予言を受けたことがあるんだ」
朽苑は件の先祖返りだ。つまり、予言を口にした曾祖母もまた、先祖返りだったのだろう。
「『白き少女の訪れを拒んではならない。彼女は膠着した歪みを解き、新たな風を吹かせてくれるだろう』とまあ、こんな感じだったわけだが……提案の前に、少しそれがしの話もしておこうか」
沈黙する天璃の視線は、目の前の存在を見極めるかのような鋭さを含んでいる。このままでは色よい返事どころか、断られる可能性すらあった。
信用を得る方法はいくつかあるが、手っ取り早いのは隠し事をしないことだ。誠実さと真摯な態度が伝われば、大抵の人間は心を開いてくれる。そんな考えから、学園長は湯呑みの茶を飲むと、徐に口を開いた。
「ファンタジア女学園は、政府からの依頼によって造られた場所とされている。先祖返りに規則を学ばせ、本土でも無差別な殺しをしないよう刷り込ませるため、とな。だが元々は、それがしが政府を説得したことで造られたものだった」
記憶を思い返しながら、学園長はファンタジアの成り立ちを語っていく。
「学園をこの島に建てると決めたのも、吸血鬼たちが根城にしていると知っていたからだ。──後天的に能力者を生み出す実験。それがしはかつて、被検体として実験室にいたことがある」
予想外の内容に、天璃の視線に動揺が混じった。
「幸いこうして生きてはいるが、拒絶反応により生死の境を彷徨ったあげく、中途半端な存在になってしまった。老いることはないが、人の血を飲まねばいずれ衰弱して死ぬ。しばらくは観察用として飼われていたが、実験が進むにつれいらなくなったのだろう。唐突に捨てられたものの、半端者のそれがしは日光によって死ぬことはなかった」
一呼吸置いたあと、学園長が話を続ける。
「それからは這うように生を繋ぎ、ある時それがしは決意した。あの実験を、何としても止めてやるとな。裏の法もまだ荒が目立つ時代、それがしは学園の必要性について政府に説いた。意外にも、政府より先祖返りのいる家々の方が乗り気でな。支援も容易く集まり、ファンタジア女学園が造られたというわけだ」
「どうして女学園だったんですか?」
「もっともな質問だ。まず、先祖返りは女性しか生まれない。遺伝的な問題、かつて世界を支配していた神々の影響。色々な仮説は立てられているが、正確な理由は解明されていない。ただし、能力者は男女共に生まれてくる。そのため、男性の能力者が生まれた家系は後継として男性を残し、以降の女性能力者はファンタジアへ獲物として送るという決まりになったのだ」
つまるところ、不要になった方を餌にしたのだろう。先祖返りにルールを刷り込むための、体のいい教材として。
「先祖返りは女性なのに、男性を後継として残すのはなぜですか?」
「うむ。簡潔に言うとアレだな。男性は女性よりも効率が良い。身籠れば一年近くかかる女性に対し、男性はそこらにタネをまきまくっておけば──」
「学園長」
「……失敬した」
結解に窘められ、学園長の表情が気まずそうになる。
以前、珠羅たちが“能力者は血筋が大きく影響しているが、生まれる確率に血の濃さは関係ない”という話をしていた。
その家の血筋であることだけが条件なら、リスクが少なく、同時に進行できる男性の方が都合が良かったのだろう。
「数打ちゃ当たる方式ですね」
「君、なかなかいい性格をしてるな」
楽しそうな学園長の背後で、結解が咳払いをする。反射的に背筋を伸ばした学園長が、「話を戻そう」と口にした。




