第九十三滴 不穏な影
圧と言えばいいのか。期待と取ればいいのか。あるいは、そのどちらもなのか。
友好的とは言い難い態度だが、天璃も珠羅も些細なことを引きずる性ではない。
売られた喧嘩は買う。でも、今は別の時間。
それはそれ、これはこれといった具合に切り替えが上手いため、生徒が去った後は普通にお茶を楽しんでいた。
しばらく天穹寮を満喫した天璃たちは、いったん様子を確認しようと宙空寮へ戻ることに決めた。
◆ ◇ ◇ ◇
「うわああああ!」
「むりむりむり! ほんっとうに無理!」
扉から転げるように出てきた生徒たちは、一様に怯えた表情をしている。中には気絶する者もおり、宙空寮はまるで阿鼻地獄のような有様になっていた。
「ほんま刺激的やったわぁ。今年の宙空寮は、えらいもん出してきはるなぁ」
「あたくしも、久しぶりにゾッとしましたよ」
扉から出てきた清妃女は、袖で口元を隠している。鳥肌をさすった銭の後ろでは、茶美が尻尾を逆立て威嚇していた。
「相手の恐れるものを見せるお化け屋敷、ですか。もはやお化けと言っていいのか分かりませんが、インパクトという点では一番でしょうねぇ」
「どないして作ったんやろ。ああでも、誰の案かなら当てれる気するわぁ」
「お察しの通り、これを考えたのは御門さんですよ」
糸目を弓なりにしならせた銭が、ご明察とばかりに笑う。
「ウガーッ! またあの性悪女にゃ!」
「飼い主とペットは似るっちゅう話もあるさかい。あのくらい性格が歪んでへんと、飼い主はつとまらんのかもしれへんねぇ」
「それでいくと、あたくしも性格が歪んでるってことになりますけどねぇ」
「いややわぁ、銭ちゃん。喧嘩売ってはるん?」
「そんなまさか」
あははうふふと笑い合う銭たちの背後では、時間差で青白い顔の生徒が這い出てくる。
宙空寮に着いた天璃が悲惨な現場を眺めていると、上の階から降りてきた霊藻が声をかけてきた。
「なんや、催し見に行っとったんとちゃうんか」
「天穹寮の方は行ってきたよ。夢幻寮は午後から行くことにして、いったんこっちに戻ってきたんだ」
納得した顔の霊藻が、「せやったか」と相槌を打つ。
「兎々ちゃんの具合、良くなった?」
「だいぶ良ぉなったで。うちらも午後から見て回る予定や」
「なら良かった。こっちも、特に問題なさそうだね」
食堂の方に目を向けた霊藻が、惨状を見て肩をすくめる。
「維持だけなら、ここにおらんでも出来るからな」
管理する人員さえいれば、霊藻たちが寮に残る必要はない。とはいえ、霊藻も天璃と同じように、念のため様子を見に来たのだろう。
対象の恐れるものを見せるお化け屋敷。それが──天璃の考えた宙空寮の出し物だった。
中の構造は、遊園地に行った際、珠羅と入ったお化け屋敷を参考にしている。幻術において霊藻の右に出る者はいないため、あとはいくつか条件を満たすだけだった。
「天璃たちは、これからどないするん?」
「部屋でお昼を食べてから、夢幻寮の方に向かおうと思ってるよ」
確認するように見上げた天璃へ、珠羅がにこりと笑う。
「ほな、夢幻寮の方は一緒に行かへんか?」
「もちろん。部屋にいるから、また声をかけてくれる?」
「りょーかい」
元々は四人で回る予定だったが、兎々がダウンしたため別行動に変えていたのだ。断る理由もないため、迷わず頷く。
また後でと手を振った霊藻が、食堂前に立つ清妃女の姿を見かけ、表情を一変させた。
ひとまず部屋に戻ろうと、天璃は珠羅と共にエレベーターの方へと向かった。
◆ ◆ ◇ ◇
部屋のチャイムが鳴った音に、天璃は意識を浮上させた。
大方、昼食が届いたのだろう。ドアを開けた先には、予想通りワゴンを引いた希杏の姿があった。
「お食事をお持ちしました」
仕事用の空気を纏い、どこか控えめな態度の希杏だったが、ドアが閉まった途端、咲き乱れる花の如く感極まった様子で迫ってくる。
「催しは大成功ですね! 皆様、幸せそうな顔で出ていらっしゃるので、私はもう羨ましくて羨ましくて……!」
「……気になるなら、後で入ってみたら?」
「よろしいんですか!?」
半ば強制的に参加させられる生徒とは違い、教員の参加は自由だ。他の教員は絶対に遠慮したいと話していたが、希杏が望むなら空き時間にでも試してみればいい。
そう続けた天璃は、歓喜する希杏の姿を前に、何とも言えない感情になった。
「それに、今回は名張さんにも協力してもらったからね」
「リストの件ですか。名張には情報屋としての面もありますから、色々と駆使させてもらいました。なにより、他ならぬ御門様のためならこの名張希杏……一肌どころか、全て脱がせていただきます!」
「気持ちは分かったから、脱ごうとしないで」
服に手をかける希杏を、天璃が生気のない目で止める。
希杏は今回の出し物を完成させるにあたって、協力を依頼した内の一人だった。
天璃の計画を聞いた際、霊藻は出来ないこともないが、今のままでは難しいと答えた。
幻術とは化かす側の目的によって、相手を極楽のような気分にも、地獄のような気分にもさせられる。つまり、術中に引き込めさえすれば、対象の深層心理を幻に反映させることも可能なのだ。
とはいえ、猛獣は精神面も強靭な者が多く、人間のように容易くとはいかない。より深く引き込むためには、ある程度対象を理解しておく必要があった。
「先祖返りは、裏社会において否が応でも注目される存在です。どんな幼少期をすごし、どんな価値観を持っているのか。人間とは異なる存在を観察することは、結果的に人間社会の安寧にも繋がるのです」
「名張には、たくさん顔があるんだね」
核心を突いた声色だった。微笑みで応えた希杏を、天璃も黙って見返す。
裏社会の監視と、情報屋。もしそれらを一手に担うことができるのならば、家の価値は桁違いに上がるだろう。
いくら性格に難があっても、仕事には困らないはずだ。天璃自身もまた、使い勝手のいい駒を未だに愛用している。
「そういえば、御門様。最近、学園内で不穏な動きが見られるそうです」
「不穏な動き?」
「はい。それも、先祖返りとは違った……」
天璃の背後を見た希杏が、途中で口を噤んだ。
「話、終わった?」
するりと回された腕が、天璃をすっぽりと抱え込む。
なかなか戻ってこないため、迎えに来たのだろう。退屈さを滲ませた珠羅が、希杏に不満げな眼差しを向けた。
「はうっ! こちら、本日の昼食です……! では、私はこれで!」
胸元を押さえた希杏が、迅速な動きで部屋を出ていく。
空気が読めて仕事もできる。性格がああでなければ、引く手は数多どころか、学園にさえいなかっただろう。
「阿留多伎様がいらっしゃるので、問題ないとは思いますが……どうかお気をつけくださいね」
去り際に囁かれた言葉が、耳に残っている。
一抹の不安をかき消すように、天璃は首元に回された珠羅の腕をぎゅっと握りしめた。




