第九十二滴 天穹寮
三大寮の催しは、ファンタジアという場所では珍しく、勝敗を決める類のものではない。
とはいえ、どの寮がどれだけのものを見せられるかというマウントの取り合いではあるため、学園特有の色はしっかりと残っていた。
催しは寮長が要となっており、その寮に所属する生徒は、学年やクラスを問わず寮長の指示に従う。つまり、寮の出し物とは寮長の実力がそのまま形になったものとも言えるのだ。
「にしても、えらいもん出来上がってもうたな」
食堂に続く扉を見つめ、霊藻がしみじみと呟く。
天璃に協力を要請されやってきたものの、話を聞くうちに霊藻のやる気にも火がついたことで、想定以上のものが完成してしまった。
相変わらず、面白いことを思いつくものだ。内心で称賛を送っていた霊藻は、食堂の扉から出てきた天璃を見てヒラリと手を振った。
「どうやった?」
「成功だと思う。ただ、兎々ちゃんが……」
心配そうに眉を下げた天璃の背後から、真っ青な顔をした兎々と、普段と変わらない様子の珠羅が現れる。
珠羅の方は、足元がおぼつかない兎々に付き添っていたらしい。霊藻と目が合うなり、後はよろしくと言わんばかりに傍から離れていった。
「ほれみぃ。言わんこっちゃない」
兎々を抱えた霊藻が、一つ息をつく。
こうなった原因は単純だ。天璃の発案によって作られた出し物は、結構な刺激物で。効果を確かめるため自分で試そうとする天璃に、兎々が協力を申し出たのだ。
霊藻は諸事情で中に行くことができない。かと言って、見た目に反して頑固な兎々を止められる理由もない。
最終的に、「何かあった時は二人とも抱えて出てくるよ〜」という珠羅の言葉に、霊藻がそれならと折れたのだ。
友人の力になりたいという兎々の気持ちを、無碍にできなかったのもある。
結局のところ、可愛い飼い主の頼みは叶えてやるのがペットというものであり、霊藻が止められる訳もなかったのだが。
◆ ◆ ◇ ◇
全ての生徒が参加できるよう、催しは二回に分けられている。
午前と午後に三時間ずつ。それぞれの寮が扉を開き、訪れた生徒たちが見て回るという流れだ。
宙空寮は月を象徴としていることから、内装も宇宙をモチーフにしたような神秘さがある。対して天穹寮は太陽を象徴しているためか、全体的に煌びやかな雰囲気をしていた。
催しはそれぞれの寮にて行われるため、普段行ったことのない寮を覗ける機会にもなっている。明るい室内を見回していた天璃の耳に、ふと甘さを含んだ猫撫で声が響いた。
「あー、真っ白ちゃんだぁ」
楽しげに笑った未来留が、二階の手すりを乗り越え飛び降りてくる。軽々と着地すると、未来留はそのまま天璃の雪のような肌に指を伸ばした。
「懲りないね〜。また折られたいの?」
「ひどぉい。ちょっと触ろうとしただけなのになぁ」
珠羅に掴まれた手首が、軋んだ音を立てる。
未来留の尖った爪は、人の肌など簡単に裂いてしまえそうなほど鋭い。隙あらば赤に染めようとしていた未来留だが、それを珠羅が許すはずもなく。頬に触れる前に阻まれた手から、一際嫌な音が鳴った。
「揃いも揃って何事だ」
ただならぬ空気に注目を集めていたためか、奥から現れた夏論は訝しげに眉を顰めている。手首をさすった未来留が、憐れみを請うように夏論の名を呼んだ。
「夏論ちゃんー、また骨折られちゃったぁ」
「その程度のことでいちいち騒ぐな。無駄話とは、随分と暇なようだな。ならば他の仕事も──」
「いっけなーい! まだやることあるの忘れてたぁ。てなわけで、またねぇ真っ白ちゃん」
夏論が言い切るより早く、未来留は声を上げると風のように去っていった。面倒そうに舌打ちをこぼした夏論が、天璃たちを無言で睨む。
遠巻きに見ていた生徒が、あわや衝突するかと怯えや警戒を滲ませるも、夏論は踵を返し再び奥へと戻っていった。
重苦しい空気が無くなったことで、生徒たちも次第に散らばっていく。
「出し物、見に行ってみようか」
「そうだね〜」
落ち着いた様子の天璃に、珠羅がにこりと笑みを浮かべる。天璃の滑らかな頬に触れ、珠羅は猛毒のような欲望を笑顔の下に押し込んだ。
天璃を傷つけていいのも、跡を残していいのも。綺麗な雪原を自分色に染め、穢していいのも。全ては珠羅だけであるべきなのだ。
ごっそりと感情の抜けた瞳が、未来留のいた場所に向けられる。
不意に袖を引かれ、闇の如き瞳にパッと明かりが灯った。
「どうしたの?」
「何となく、引きたくなっただけ」
「なにそれ〜」
きょとんとした表情をおかしそうに緩めると、珠羅は天璃の手に自らの指を絡めた。
◆ ◇ ◇ ◇
天穹寮の出し物は、純然たる美しさと壮大さに満ち溢れていた。
催しは各寮の食堂にて行われ、内装は自由に変更することができる。天穹寮の食堂──その扉を開いた先に広がっていたのは、透き通る青空と宙に浮かぶ庭園だったのだ。
高所が苦手な獲物は悲鳴を上げていたが、大体の生徒は感嘆した様子で空を渡り、ひと時の娯楽に浸っている。中にはケーキスタンドの軽食を摘みながら、話に花を咲かせている猛獣の姿もあった。
空の上を歩くなど非現実的な光景だが、天璃はそれよりも食堂の床をどんな仕組みで空に変えたのかの方が気になっていた。
「これって、本物の空だよね?」
「だね〜。多分、空間短縮を使ってるんだと思うよ」
「空間短縮?」
聞き慣れない言葉を、天璃が不思議そうに繰り返す。
「例えば学園から寮まで行く場合、普通に歩けば五分くらいかかるけど、その距離を一歩分に縮められるってこと」
「つまり、地上から空までの距離も縮められるってことだよね」
珠羅が闇の中を移動できるように、空間を縮めて移動できる先祖返りがいてもおかしくない。
ただ、そういった能力を持てるとしたら、相手は必然的に限られることになる。
「幻想種の能力って、本当に不思議よね。まるで魔法のよう」
宙に浮かんだ庭園に辿り着くと、メニュー表を抱えた生徒が話しかけてきた。
「短縮の際に発生するゲートを、食堂の床に反映させたみたいよ。歩けるのは、空気の密度を上げているからね。気圧を上げるだけではなく、分子を極限まで密集させて固体に近い状態に変化させてるの」
席に案内しながら話を続ける生徒は、対抗戦で朽苑と対峙した山颪の先祖返りだ。
姫カットの髪が、風でさらりと揺れている。
「天穹寮には翼持ちが多いから、こんなことを思いつくのでしょうね。それにしても、寮長がいなければ実現できなかったでしょうけれど」
椅子に座った天璃たちの前にメニュー表を置くと、生徒は挑戦的とも取れる笑みを浮かべた。
「ああ、そうだわ。わたし、貴女たちの寮には午後に伺う予定なの。どんなものが見られるのか、とても楽しみにしてるのよ」




