第八十七滴 故意の戯れ
船が港に着き、生徒たちが陸へ降りる。
ふんわりと空気をはらんだスカートが、潮風に遊ばれ少し捲れた。
「兎々ちゃん、そのワンピース似合ってるね」
「あ、ありがとう……。天璃ちゃんも、すごく似合ってる、よ」
ヒラヒラ舞うスカートから、細い足首が覗く。恥ずかしそうに頬を染めた兎々が、はにかんだ笑みを浮かべた。
「えらい別嬪さんたちやな。こら悪い虫がつかんよう、きぃつけなあかんわ」
楽しげに口角を上げた霊藻を前にして、兎々の顔が噴火しそうなほど赤くなる。
日差しを遮るように隣に立った珠羅を見つめ、天璃は自ら残りの距離を零にした。
「さあさ、皆さんこちらに来ていただけるかしら」
百目鬼に呼ばれ、生徒たちが一箇所に集まっていく。本来は二組を担当している百目鬼だが、学園を離れられない結解に代わり、引率を任されたようだった。
「先日もお伝えした通り、旅行中は自由に行動して構いません。ただし、外出が許可されるのは午後九時までです。船に戻った際は、必ず受付で名前を伝えるようにしてくださいね」
生徒たちを見回した百目鬼が、穏やかに続ける。
「それと、学園の情報はもちろんのこと、どこから来たのか等の問いかけにも、決して答えないようにしてください」
ファンタジアは特殊な場所だ。
閉鎖的で、学園側が許可した生徒しか入ることができない。制服は島以外で着るのを禁止されており、それと同様に、ファンタジアに関わる話を表立ってすることも禁止されていた。
久しぶりの本土に目を輝かせていた生徒たちの表情が、スッと落ち着いたものに変わる。
規則を破れば罰則があるのは普通のことだが、ファンタジアではその罰が、断頭台へのチケットに変わりかねない。
喉笛を噛みちぎられたくなければ、規則に従う他ないのだ。
そうして、獲物は生き残るため。猛獣は卒業して箱庭を出るため。互いに違う立場の中で、自ずと規則を守ることを覚えていく。
「行くでござるよ音夢殿!」
「おい、千莉! いきなり引っ張んなって!」
百目鬼の話が終わったことで、真っ先に千莉が動き出した。溌剌とした様子の千莉が、勢いよく音夢の腕を引いていく。
「元気なやっちゃな」
チラリと視線を向けた霊藻が、年相応にはしゃぐ千莉の姿に片眉を上げた。
「私たちも行こっか。駅から送迎バスが出てるみたいだよ」
「せやな。ちゅうか、そんなにひっついて暑ないん?」
腕を組み寄り添う天璃たちを見て、霊藻がなんとも言えない表情を浮かべる。
「珠羅ちゃんは体温が低いから、むしろ涼しいくらいだよ」
「ほーん。ほな、うちとは逆なんやな」
いつからか、珠羅は自然と日の当たる側に立ってくれるようになった。そうした小さな気遣いを感じるたび、天璃は珠羅のことを可愛くて仕方がないと思うのだ。
「逆ってことは、霊藻ちゃんは体温が高い方なんだね」
「湯たんぽ代わりには最適やで。冬になると、兎々がよう布団の中でひっついて──」
「たっ、霊藻ちゃん……!」
慌てた兎々が、茹蛸もびっくりの顔色で霊藻を止める。
今にも目を回しそうな兎々を連れ、天璃たちは遊園地に向かうバスに乗り込んだ。
◆ ◆ ◇ ◇
四人で昼食を取ったあと、午後はそれぞれの行きたい場所を回ってみることになった。
霊藻と兎々は観覧用のアトラクションに向かい、天璃は珠羅と共に絶叫系と呼ばれるものに並ぶ。
結果、大いに乱れた髪を直すため、天璃は現在──化粧室の鏡の前に立っていた。
珠羅の方は手櫛ですんなりと元通りになっており、なぜケアもせずあんなに綺麗な髪を維持できるのか、天璃の知能をもってしても不思議でならなかった。
外に出ると、壁を背に立っている珠羅の姿が映る。何も考えていないのか、無表情で空を眺める珠羅の目には、一切の感情が浮かんでいなかった。
まるで、出会ったばかりの頃のようだ。何もかもがつまらなさそうで、張り付けた笑顔の下にあるのは深く暗い虚無感だけ。
珠羅の元に行こうとした天璃の耳に、ふと前方の少女たちの声が聞こえた。
「ちょ、やば。あの人めっちゃ美人じゃん」
「背たっか!? モデルさんとかかな?」
「ねえ、声かけてみようよ」
コソコソと話し合っていた少女たちが、珠羅へと近づく。少女たちに気づいた珠羅が、にこりと笑みを浮かべた。
「あの、お一人ですか?」
「良かったら、私たちとお茶でもしませんか?」
容姿に自信があるのか、距離を縮めた少女たちが上目遣いで珠羅を見つめる。
「ごめんね〜。この後の予定、全部埋まってるんだ」
「あ、そうなんですね……」
「お友達と来られたんですか? だったら、その人も一緒に行けばいいじゃないですか」
なおも諦めない少女が、珠羅の腕に触れようとした時だった。
「珠羅ちゃん、お待たせ」
少女たちを阻むように、天璃が珠羅の腕に自身の腕を絡める。
「次のアトラクションに乗る前に、お店でも見に行かない? 記念に、お揃いのカチューシャを付けてみるのはどうかなって」
「なにそれ最高〜。さっき見かけたのとか、天璃ちゃんに似合いそうだと思ってたんだよね」
中身のない表情が、パッと楽しげなものに変わる。
少女たちをそっちのけで進む会話に、一人が「あの」と声をこぼした。
「そういう訳だから、他を当たってくれる?」
張り付けた笑顔はそのままに、有無を言わせない圧が漂った。天璃を見ていた少女が、相手が悪いと言わんばかりの顔で他の少女に首を振る。
少女たちにはもう目もくれず、珠羅は天璃と共にその場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇
おまけ
【 お化け屋敷デートをする天璃と珠羅 】
「天璃ちゃんって、怖いの平気?」
「え? たぶん平気だけど……」
「ふーん。それなら、あそこ入ろうよ」
「お化け屋敷?」
「そ。廃病院をそのまま舞台にしてるんだって〜」
「たしかに、それっぽい外観してるね」
「ほんとにお化けが出たらどうする?」
「本物の幽霊ってこと? 走って逃げる、とかかな」
「えー、何それつまんない」
「怖がるふりして、抱きついてほしかった?」
「天璃ちゃんって、分かってるのに聞くとこ意地悪だよね」
「でも、珠羅ちゃんはそんな私のことが好きなんだよね」
「そんなところも、だけどね〜」
「ふふ。私はむしろ、お化けなんて出なければいいのにって思ってるよ」
「……なんで?」
「そしたら、こうやって手を繋ぎながら、ゆっくり二人きりを楽しめるから」
「ねぇ、キスして良い?」
「お化けが驚くから後でね」
「大丈夫。ここお化けでないとこだから」
「駄目って言っても、するくせに」
「せいかーい」
◆ ◇ ◆ ◇
「あ、天璃ちゃん……!」
「兎々ちゃん。乗りたかったアトラクションは間に合った?」
「ぎりぎりだったけど、乗れたよ」
「そっか。良かったね」
「そっちはどないやった?」
「お化け屋敷に行ってきたよ〜」
「そらタイムリーな話やな。お化け屋敷にほんまもんが出た言うて、えらい騒ぎになっとったで」
「へー、そうなんだ」
「脅かし役のスタッフが、口を揃えて『何かに足を引っ張られた』言うてんねんて。……自分、なんもしてへんよな?」
「本物の幽霊でも出たんじゃない?」




