第八十六滴 呪い
夢を見ていた。
シルクのように滑らかなシーツの上で、惰眠を貪る。部屋に漂う甘い香りが鼻をくすぐり、天璃はうっすらと目を開けた。
カーテンがずれており、隙間から光が差し込んでいる。日差しを遮断するため起きるか。それとも、多少の鬱陶しさには蓋をして眠るか。脳内で天秤にかけていた天璃の視界に、涼やかな色が映った。
窓の向こうに覗く空と同じ。襟足の長い髪は少し乱れており、適当に紐で括られている。
カーテンを閉め直した少女が、ベッドに横たわる天璃の頬に触れた。
冷んやりした手のひらが、再び眠気を誘う。
愛おしげに細められたアイスブルーの瞳を最後に、天璃の意識はプツリと途絶えた。
◆ ◇ ◇ ◇
エンジンの音が鳴る。
珠羅と共に車から降りた天璃は、眼前に広がる海を眩しげに見つめた。
「珍しく、時間ギリギリやな」
先に到着していた霊藻と兎々が、天璃たちに気づき近寄ってくる。
「実は、私が寝坊しちゃって……」
「天璃ちゃん、朝弱いからね〜」
「ほーん。それって、体質的なことと関係あるん?」
日光に照らされた天璃の肌は、透けるように白い。雪原から抜け出てきたような姿は、今にも夏の暑さで溶けてしまいそうだった。
「元から朝は苦手なんだけど、自然と夜に行動することが多かったから、関係はしてるのかも」
「船……着いてるから、乗る?」
「そうしよか」
天璃を気遣う兎々に、霊藻が船を見上げ頷く。
島の港には、華やかな豪華客船が停まっていた。家柄の良い生徒が集まっているだけあり、かなり立派な船だ。
「行ってらっしゃいませ」
車の横に立っていた楠木が、天璃たちに向けて一礼する。
楠木には、転入した日に世話になって以来だった。学園には運転手として雇われているらしく、朝からずっと駆り出されていたようだ。
既に何往復もした後であろうに、楠木はそんな態度をおくびにも出さず、朗らかな笑みを浮かべている。
獲物がバスで一度だけなのに対し、猛獣と飼い主は車での送迎が可能だった。こうした対応にも、カーストの差はしっかりと反映されているらしい。
楠木に会釈を返すと、天璃は船のタラップに足をかけた。
◆ ◆ ◇ ◇
テラス付きの客室は、猛獣たちだけの特権だ。
二人で使うには充分すぎる広さの部屋に荷物を置き、天璃はそのままテラスへと出てみた。
「遊園地、楽しみだね」
潮風が髪を靡かせる。
隣に並んだ珠羅に、海面を見ていた天璃が視線を移した。
「天璃ちゃんは、どんなアトラクションが好きなの?」
「どんなのだろう……? 実は、一度も行ったことがないんだ。記憶を失くしてからは、そんな余裕もなかったから」
もしかすると行ったことはあるのかもしれないが、記憶が戻らない限り真相も分からないままだ。
珠羅を見上げた天璃が、ふわりと微笑む。
「だから、今回は珠羅ちゃんの行きたいところに連れていってほしいな」
パチリと瞬いた珠羅が、緩やかに目を細める。
「兄からファストパスもらってるから、色々回ってみよ〜」
「珠羅ちゃんのお兄さんにも、お礼を言わないとだね」
対抗戦での優勝を知った珠羅の兄は、新しいゲームカセットと共に優待券なども送ってきてくれたらしい。
「珠羅ちゃんのお兄さんって、どんな人なの?」
ふと気になった疑問が、口をつく。
入学を決めた時は、在学中に本土に戻れるなど考えたこともなかった。美しくも恐ろしい海が、背水のように退路を塞いでいたからだ。
当然、学園外の人と会う機会もほとんどない。
純粋に気になった。珠羅は家族のことを、どう思っているのか。
「一番目の兄は真面目で、二番目は適当って感じかな〜」
「正反対の性格なんだね。それだと、見た目もあんまり似てないのかな」
「そうでもないよ。阿留多伎の血筋は全員、黒髪黒目で高身長になるって決まってるからね〜」
あっけらかんと話す珠羅だが、これまで聞いてきた内容とは矛盾している。不思議そうな顔で、天璃が珠羅を見つめた。
「先祖に人外がいても、容姿には関係しないはずだよね」
「これは呪いみたいなものだから、そういうのとは別物かな」
「呪い……?」
不穏な言葉に、天璃の表情が真剣さを帯びる。
「天璃ちゃんは、八尺様って知ってる?」
「本で読んだことはあるよ。身長が八尺ある女性の姿をしていて、魅入った子どもや若い男性を連れ去ってしまう怪異のことだよね」
「そーそー。千年くらい前の当主が、その八尺様に気に入られたらしいんだけど、先祖返りだったこともあって力技で回避したんだって〜。ただ、よっぽど執念が強かったのか、それ以降の子孫は全員、母親の容姿に関係なく黒髪黒目しか生まれなくなっちゃったってわけ」
何とも迷惑な話だが、怪異に常識を説くだけ無駄だろう。災難ではあるが、結局は弱肉強食。珠羅からしてみれば、払い除け切れなかった先祖にも問題があると割り切っているようだった。
「そっか。じゃあ珠羅ちゃんのお兄さんも、珠羅ちゃんみたいに綺麗な色をしてるんだね」
闇のごとき漆黒の髪は、他のどんな色にも染まらないほど深い。そっと髪に触れた天璃の手に、珠羅が指を絡めた。
「せっかくだし、船の中見にいこ〜」
「期間が一週間もあるのが不思議だったけど、船での日数も入ってたんだね」
通りで、煌びやかな豪華客船が停まっているわけだ。
納得した天璃の手を、珠羅が優しく引いていく。
「その方が、監視しやすいんだろうね〜。今日の夜は、新しいゲームでもしよっか」
「前回の続編だったよね。あ、でも徹夜はダメだよ。明日は遊園地に行く日だし、十代のうちに睡眠を減らすと身体の成長にも良くないんだって」
「私、まだ伸ばした方がいいかな?」
きょとんとした顔の珠羅が、小首を傾げる。
潮風に含まれた海水が、小雨のようにテラスを濡らした。
客室に戻った天璃たちの背後で、テラスの扉がパタリと閉まった。
第三章 血の盟約 【完】
◆ ◇ ◆ ◇
読者の皆さまへ
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
皆さまからのブックマークや星評価等々、沢山のモチベーションをいただいております。
ここにいるよと手を振ってもらえているようで、凄く嬉しいです。
他作品がやっと一段落ついたので、またブラカの更新を進めていこうと思います。
もし待っていてくれた方がいるのなら、本当にありがたいことです。
四章では色々な秘密が明かされ、ストーリー的にも大きな転換期を迎えると思います。
これからも楽しんでいただけるよう、大切に物語を紡いで参ります。
また次章でも、読者の皆さまとお会いできますように。




