第八十二滴 神血
「もしかして、阿留多伎さまの飼い主の方ですか?」
天璃を見ていた生徒の表情が、喜色に染まっていく。
「わたし、楪 舞宵って言います! ぜひとも舞宵と呼んでください!」
「私は、御門 天璃です」
「天璃さまですね! お噂はかねがね」
屈託のない笑顔を浮かべると、舞宵は手を合わせ、潤んだ目で天井を見上げた。
「ああ……生きた心地のしなかった場所に、一筋の光が……」
感激のあまり膝をついた舞宵が、天に祈りを捧げ始める。どうやら、猛獣しかいない会議が相当辛かったようだ。
「舞宵さんも飼い主なの?」
「いえ、わたしはただの使いっ走りです!」
補佐役のようなものだと話す舞宵に、氷雨が何かを思い出した様子で声をかけた。
「あー、そうだ楪。次からは会議に参加しなくていいぞ」
「へ?」
「私が出るからな」
「えっ……えええええ!?」
夏論に睨まれ、舞宵が慌てて声のボリュームを落とす。
「あの氷雨さまから、そんな言葉を聞ける日がくるなんて……」
「別に泣くことないだろ」
胃の痛みから解放されると涙する舞宵に、氷雨は「ただし──」と話を続けた。
「そいつが参加することが条件だ」
ピンと伸びた指先は、真っ直ぐ天璃に向けられている。
「おっ、お願いします天璃さまあああ。哀れな人間をお救いくださると思って、どうか今後も会議にでてくださいいい」
号泣しながら天璃に縋った舞宵に、天璃が何かを言おうとした時だった。
「あれ、天璃さま血が……。怪我されたんですか!?」
「あ、これは──」
「大変! すぐに手当しますね……って、傷がない?」
「はーい、そこまで」
天璃の手を確認していた舞宵が、不思議そうに呟く。ペタペタと身体に触れる舞宵を引き剥がすと、珠羅は天璃を抱き寄せ、腕の中に囲い込んだ。
◆ ◆ ◇ ◇
分厚いカーテンの引かれた部屋に、黒いローブが舞う。男の前に恭しく跪いた配下が、頭を垂れたまま口を開いた。
「ご報告いたします。例の生徒の件ですが、同志が採取した血液を確認したところ……我々のものと馴染んだそうです」
「……フッ、くく。ハハハハハハ!」
大声で笑い出した男に、配下が戸惑いを滲ませる。
「やはりそうか。ご苦労だったね」
「いえ……」
「彼女のことが気になるようだね」
労いを込めて肩を叩くと、男はゆったりと椅子に腰掛け、煮え切らない様子の配下を見下ろした。
「君は、この実験がいかにして始まったか知っているかい?」
「きっかけ、ですか?」
実験の目的は知っていても、始まった理由など知らない。そんな考えを、配下の纏う空気から察したのだろう。
男は「遥か昔のお伽話だよ」と口にすると、穏やかな声で続きを語り始めた。
「昔むかし、とある人外が一人の人間に恋をした。人外は人間を伴侶に迎えるも、段々と寿命の違いに悩むこととなった。そうしてある日、こう思い立ったんだ。その人間を、自らと同じにしてしまえばいい……とね」
室内に、固唾を呑む音が響く。
「その日から、人外は毎日少量ずつの血を人間に与え始めた。やがて時が経ち、人間が気づいた頃には何もかも終わった後だった。人外は大層喜んだが、同時に災厄も生み出してしまった。仮に、最初の人間をイヴとしよう。同じように人間の伴侶を持つ人外たちが、イヴのようになればとこぞって血を与えだしたのだ。そしてその結果は、凄惨なものだった」
かつて世界を支配していた人外たちの中には、人間に好意的なものも存在していた。しかしそれ故に、事態も重くなってしまった。
「人外の血は人間にとって毒であり、大抵は途中で拒絶反応を起こして死んでしまう。血の強さに、器が耐えきれなくなるんだよ。しかし、幸運なことにイヴは──特別製だった」
ハッと顔を上げた配下に微笑むと、男はテーブルに置かれていたワイングラスを手に取った。
「伴侶を失った悲しみで怒り狂う人外たちに、イヴはせめてもの慰みにと自らの血を差し出した。不思議なことにその血は、どんな人外の血とも合わさり、馴染んでいったという」
真っ赤な液体が、グラスの中でクルリと揺れる。
「全ての血を差し出したイヴは永い眠りにつき、傍にはひたすら目覚めを待ち続ける伴侶だけが残った。その姿を見た人外たちはようやく怒りを鎮め、一部の神々はイヴに敬意を込めて祝福を授けた。それ以降、イヴのような血を持つ者を神血と呼び、大切に扱うようになったそうだ」
話を終えた男は、沈黙する配下に笑みを深めると、傾けたグラスに口をつけた。
粘度のある液体が、男の喉を潤していく。
「そう。この実験は、遥か昔のお伽話を参考に始めたものだ。だが、お伽話の全てが虚偽ではないことを、私たちの存在こそが証明している」
現代に生きる吸血鬼のように、お伽話の中の空想が実在しないとは限らない。
「……もうすぐ、もうすぐだ……。長きにわたる悲願が、ようやく叶う時がきたのだ……!」
高く掲げたワイングラスに、月光が反射する。
「やるべきことは、分かっているね?」
「御門 天璃を捕え、必ずや御身に捧げます」
満足そうに笑んだ男の唇から、鋭い犬歯が覗いた。
「彼女には、大いなる偉業の礎になってもらうとしよう」




