第八十一滴 真祖
部屋に置かれていたフロアスタンドが、槍のように少女を襲う。
最小限の動きで避けた少女は、背後の壁に突き刺さったスタンドには見向きもせず、前方に現れた黒い手を凍えるような眼差しで睨んだ。
「みっちゃん……」
珍しく怒った様子のみっちゃんが、少女に人差し指を振っている。まるで、なんてことをするんだと叱っているかのような動きだった。
「怪我したの〜?」
いつの間にか傍にいた珠羅が、固く握られた天璃の手を解いていく。
扉が閉じたままなのを見るに、陰を通ってきたのだろう。天璃を自身の背に隠すと、珠羅は少女に向かってにこりと笑みを浮かべた。
「まさか、夢幻寮の寮長が吸血鬼だったなんてね〜。代理しか寄越さないわけだ」
「……邪魔すんな。お前に用はない」
アイスブルーに戻った瞳が、珠羅の姿を映す。
そこを退けと威圧する少女を、珠羅は飄々とした態度で受け流した。
「嫌がってる相手に、無理強いするのは良くないよ〜。それに、飼い主を守るのはペットの役目だからね」
「いちいち癪に触るやつだな。でも、そうか。お前が阿留多伎 珠羅か」
納得した様子の少女が、珠羅を正面から見据える。
「歴代の幻想種の中で、最も濃い血を持つと言われるだけあるな。私を真祖と理解した上で喧嘩を売ってきたのは、お前が初めてだよ」
──真祖。吸血鬼の中でもたった数人しか存在しない、血のカーストの頂点。そして、完全な不老不死を手にした、最凶の吸血鬼のことだ。
「私とお前の力量は、ほぼ互角ってところか。まったく……おかしな話だよな。先祖返りがどうして、そんなにも濃い血を受け継げたのか。お前の気配は、遥か昔に戦った神々のものとよく似ている」
偽物が本物に並ぶなど、普通ならあり得ないことだ。しかし、永い時を生きてきた真祖から見ても、珠羅の異質さは際立っていた。
「でも、だからこそ不愉快だ。どうしてお前が……」
少女の視線が、天璃の方へと向けられる。珠羅の後ろに隠れているのが気に食わないのか、少女は眉を顰めると、何かを堪えるように顔を歪めた。
突然、天璃を抱き寄せた珠羅が、その場から飛び退いた。直後、扉が急速に熱を帯び、壁との境目から炎が吹き込んでくる。
チリチリと金属が溶け、接続部分が焼き切れていく。やがて炎がおさまると、もの凄い轟音と共に扉が内側へと倒れてきた。
「貴様ら、いつまで無駄口を叩いているつもりだ」
ぽっかりと空いた壁の先には、仁王立ちで腕を組む夏論の姿があった。
「竜って耳がいいんだっけ〜」
「貴様らが喧しいだけだ」
苛ついた様子の夏論が、ギロリと珠羅を睨む。
珠羅の腕の中にいる天璃と、前方に立つ少女を見比べると、夏論は不機嫌そうな雰囲気のまま「早く席に着け」と親指を傾けた。
「用があるのは、そいつだけだ。お前たちは、どこへなりとも行けばいいだろ」
「ダメに決まってるでしょ〜。あんまりしつこいと、嫌われちゃうよ?」
「お前を排除すれば、その心配もなくなるかもな」
互いに引く気がない以上、決着のつけ方は一つしかない。弱肉強食の学園では、強い者が正義となる。
一触即発の空気を感じ、天璃が珠羅の袖を握る中、夏論が少女の方へと進み出た。
「そうか。ならば、私も参加しよう」
予期せぬ宣言に、少女の視線が探るような色を含む。
「このまま続けるなら、貴様の敵が増えるだけだ」
いくら真祖でも、幻想種二人を相手にするのは分が悪い。いくらかの沈黙のあと、少女は渋々といった様子で口を開いた。
「……まったく、次から次へと。そんなに警戒しなくても、今回は手を引くさ。会議にも参加する。これでいいだろ」
「今回だけじゃなくて、二度と手を出さないでほしいんだけどね〜」
「嫌だね。そもそも、お前にそいつは相応しくない」
天璃たちの横を通り、少女が部屋を出ていく。
すれ違いざま一瞬だけ合った視線には、ひどく複雑な感情が滲んでいた。
「司空さん。さっきは──」
手助けの感謝を伝えようと、踵を返した夏論に声をかける。
「勘違いするな。貴様らの勝ち逃げを、許すつもりはないだけだ。いずれ必ず……借りは返す」
足を止めた夏論だが、天璃の方を振り向くことはなく。それだけ言うと、颯爽とその場から去っていった。
「私たちも戻ろうか」
「そうだね〜」
これ以上待たせては、夏論に何と言われるか分からない。腕の囲いから抜け出た天璃は、怪我をしていない方の手で、珠羅の手に軽く触れた。
意図を察した珠羅が、天璃の手に指を絡める。
「珠羅ちゃん」
「んー?」
「助けにきてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
天璃だけに向けられる、柔らかみのある声。出会った頃と変わらず冷んやりとした体温に、天璃は心が凪いでいくような安心感を覚えた。
◆ ◆ ◇ ◇
「あー! 氷雨さま、こんなところにいた!」
会議室に戻った天璃たちに続けて、別の生徒が室内に飛び込んでくる。生徒は先ほどの少女を見るなり、氷雨さまと呼び半泣きで駆け寄っていった。
「もーもーもー! 急にいなくならないでくださいよ。探したんですからね!」
「なんだよ。牛の真似でもしてんのか?」
「違いますー!」
半泣きから一変、憤慨した生徒が地団駄を踏む。
「いっつもわたしに会議を押し付けて、どこかに行ってしまうんですから! ……って、あれ? そういえば、どうしてここにいるんですか?」
「昼寝にきてたんだよ。まったく、大袈裟なやつだな」
「昼寝って……もしかして、また備品室で寝てたんですか? だったら、そのまま会議に参加してくれればいいじゃないですかー!」
「騒々しい」
嘆きが止まらない生徒を、夏論がギロリと睨みつけた。一瞬で青ざめた生徒が、「すみません……」と口を噤む。
「仕方ないだろ。あそこのベッド、寝心地がいいんだ。あのまま寝てたかったが、そうもいかない状況だったからな」
氷雨の視線を辿り、生徒が天璃の方を見た。




