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ブラッドカーストファンタジア  作者: 十三番目
第三章 血の盟約

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第七十八滴 明日


 貴重な品を数多く保管している有栖川(ありすがわ)は、日頃から人間人外を問わず幾度も狙われてきた。


 特に、一人娘である兎々への被害は酷く。誘拐未遂や世話係の裏切りなど。何度も危険な目にあったことで、兎々の精神は次第に傷つき、擦り減った綱のように弱っていった。



「ほら兎々、ご挨拶して」


「……あ、ありすがわ、ととでしゅ……っ!」


 思い切り噛んでしまい、恥ずかしさから顔を上げられなくなる。俯く兎々の前に、自分より少し大きな手が差し出された。


九重(ここのえ) 霊藻や。よろしゅう」


 おそるおそる顔を上げた兎々の目に、鮮烈な金が映り込む。水草のように鮮やかな青緑の髪が、冷たい容貌によく似合っていた。


「しばらくの間、兎々の護衛をしてもらうことになったんだ。仲良くするんだよ」


 吊り上がった切れ長の目が、見定めるように細められる。

 同い年だと聞いていたが、とてもそうは思えない雰囲気に、兎々は自然と圧倒されていた。


「絵画みたい……」


「は?」


 怪訝そうに寄せられた眉が、眉間に深い皺を刻む。

 傾国の美女もかくやという容姿に、思わず呟きをこぼした兎々は、血の気の引いた顔で口元を塞いだ。


「すまないね、九重さん。兎々は少しばかり、独特な感性をしているんだ。不快に思っても、どうか許してやってほしい」


「べつに、怒ったわけや……」


 言いかけた言葉を呑み込み、霊藻が差し出していた手を戻す。

 兎々の頭を撫でた父は、仕事があるからと、早々に二人を残して出かけていった。




 ◆ ◆ ◆ ◇




「堪忍な。怖がらせるつもりはなかってん」


「……え?」


 唐突な謝罪に、驚きで身体の震えが止まる。

 庭園に流れる穏やかな春風が、兎々のふわふわした髪を靡かせた。


「うち、目つき悪いってよう言われんねん。あいそ笑いとか苦手やし、世辞だらけの言葉も好かん。親にも、ぶあいそすぎるって言われるくらいや」


「……おこって、ないの?」


「逆に、なんで怒ると思うん?」


 純粋な疑問なのだろう。悪意を感じない声に、兎々の緊張がじわじわと解れていく。


「へ、変なこと言うな、とか……ちゃんと喋りなさい、とか。あと……」


「もうええ。大体分かった」


 げんなりした様子の霊藻が、それ以上は不要だと遮る。


「またそないなこと言われたら教えてや。うちがなんとかしたる」


 念押しで見つめてくる霊藻に、兎々はコクコクと首を縦に振った。


「動きが小動物みたいやな。兎々って名前もピッタリや」


「たっ、霊藻ちゃんは……うさぎ、すきなの?」


「兎なぁ。あんま考えたことなかったわ。せやけど、今好きになったで」


 家の敷地からほとんど出ることのない兎々のため、屋敷内には父親の買い与えたウサギが暮らしている。何気なく聞いた質問だったが、霊藻の答えに兎々は赤らんだ頬を隠すように俯いた。


「この時間は、いつも何しとん?」


「えっと、絵を見たり……花を摘んだり、チェスをしたり……?」


「ほーん。ほな、したいことしにいこか」


 護衛としてきているため、兎々のそばから離れる訳にはいかない。屋敷に戻ろうと足を進める霊藻の隣で、兎々が身体をふらつかせた。


「もしかして、寝れてへんの? しんどそうな顔してんで」

 

「あ……ご、ごめんなさい……」


「謝らんでええ。ちょいと休んでくか」


 霊藻に呼ばれ、近くの木陰に並んで座る。幹を背に空を見上げた霊藻が、「困りごとでもあるん?」と口にした。


「……寝るのが、怖くて……」


 黙って耳を傾ける霊藻に、兎々は溜め込んでいた感情をポツポツと吐露していく。


「起きたら、どこか知らない所にいたり……怖いものに、囲まれてたり……ほんとうはもう死んでて、わたしが気づいてないだけなんじゃって……たくさん、考えちゃうの……」


「うちが傍にいたる」


 喉の奥でつっかえた言葉が、徐々に引き攣っていく。泣き出しそうになる兎々に、霊藻ははっきりした声でそう告げた。


「こう見えて、けっこう強いねんで。せやから、兎々が安心して寝れるように、うちが傍で見張っといたる」


 幼い頃から一人で寝るのが当たり前だった兎々にとって、霊藻の言葉は衝撃そのものだった。固まる兎々の頭を、霊藻がポンポンと撫でる。


「ちょうど昼寝日和やな。試しに、目つぶってみ」


 促されるまま閉じてみると、庭園に咲く花の香りがした。

 春風の優しさや、花の美しさ。他者の温もりを思い出し、兎々の目から涙がこぼれていく。


 服越しに伝わる体温が、兎々のひび割れた心に染み込んでいくようだった。



 少し肌寒くなった風を感じ、目を覚ます。いつの間にか、霊藻に寄りかかって眠っていたようだ。

 

「おはようさん」


「……お、おはよう、ございましゅ」


 眩いばかりの金が、兎々の瞳に映り込む。

 起きて一番に目にした光景が、暗闇ではなく太陽だったことに、兎々は再び涙をこぼしそうになった。


「ぼちぼち夕飯らしいで。家ん中戻ろか」


「あ……もう、そんな時間……」


「やり忘れたことでもあったんか?」


「えっと、先生から渡された本……まだ、読んでなかったから……」


 家庭教師からの宿題なのだと話す兎々に、霊藻がそんなことかと言わんばかりの表情を浮かべた。


「ほな、また明日やな」


「……あした?」


「せや。本なんて、明日読めばええやろ」


 当然のことのように話す霊藻を、ただ呆然と見つめる。なにも言わない兎々に、霊藻が眉を顰めた。


「なんや、うちのこと首にするつもりか?」


「えっ、ああの、ちが……っ!」


「冗談や。行くで、兎々」


 揶揄われたのだと分かり、兎々はパチパチと目を瞬かせた。沈んでいく夕陽が、二人の影を伸ばしていく。


 差し出された手を、今度は握ることができた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「わたし……またね、って言葉が苦手だった。またなんて、来ないかもしれないのに……わたしには真っ暗な未来が、みんなには見えてるんだって思えて……」


 一日一日が、兎々にとっては奇跡のようで。同時に、最後の一日のようでもあった。


「でも、霊藻ちゃんがまた明日って言ってくれた時……初めて、未来が見えたの。わたし、明日も霊藻ちゃんと一緒にいるんだって思ったら、眠るのも、怖くなくなったんだ」


 霊藻だけが、兎々に明日をくれた。

 何気ない霊藻の一言が、兎々にとってどれほど救いになったのか。きっと、霊藻は知る由もないのだろう。


「この先もずっと、霊藻ちゃんと一緒にいたいって思ったの。霊藻ちゃんの隣にいられる未来が、ほしいって……」


 霊藻との記憶を宝物のように語る兎々は、ファンタジアという学園(地獄)にいながら、誰よりも幸せそうに見えた。


「天璃ちゃんは……阿留多伎(あるたき)さんと明日も、その先も、一緒にいたいって思う?」


 兎々からの問いかけに、天璃の瞳が揺れる。

 いつか学園を去る時がきても、珠羅の手を離さずにいられるのか。天璃の未来に、珠羅は存在するのか。


 沈黙する天璃の姿を、兎々は静かに見守っていた。


 

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