第七十七滴 懐柔
夜の散歩から一夜明け、部屋着に着替えた天璃は、兎々たちを迎えるため部屋の掃除を行なっていた。
近くでははたきを持ったみっちゃんが、パタパタと家具の上を払っている。珠羅がキッチンへ向かったのを確認すると、天璃はみっちゃんを呼び寄せ、両手をギュッと重ね合わせた。
「お願い、みっちゃん。珠羅ちゃんには、内緒にしててくれないかな?」
これからする兎々との会話を、珠羅には黙っていてほしい。そう頼み込む天璃に、みっちゃんは困った様子で指を組んでいた。
珠羅の一部ではあるものの、みっちゃんたちには独立した意思が宿っており、それぞれの判断で動くことができる。情報が伝達によって共有されることも、すでに把握済みだった。
要するに、みっちゃんたちが黙っていてくれれば、珠羅にバレないようにすることも可能ということだ。
「もし話したら? うーん、そうだなぁ……」
返事に迷う天璃だが、結論はとっくに出ている。
妥協はしない。何としても丸め込む一択だ。
今回の件、みっちゃんだけはどうしても説得しておく必要があった。
ひいちゃんは珠羅の傍にいることが多く、真面目で指示にも忠実だ。ふうちゃんは気性が荒いため、戦闘時以外はたまにしか出てこない。
つまり、天璃に関する情報が伝わるとすれば、大抵はみっちゃん経由ということだ。
ちなみに、よっちゃんはシャイだが最も天璃に懐いており、とっくに買収済みだったりする。
「嫌い……にはならないけど、すごく悲しいかも」
嫌いという言葉に、みっちゃんがビクリと手を震わせる。寂しそうに目を伏せる天璃を前にして、みっちゃんは悩ましげに手首を屈折させたあと、決意を示すようにピンと指を伸ばした。
「内緒にしてくれるの? ありがとう、みっちゃん」
嬉しそうに微笑んだ天璃が、みっちゃんの手を握る。
クネクネと腕を動かしていたみっちゃんは、冷んやりした体温を急速に上げると、親指を立てたまま陰の中に沈んでいった。
◆ ◆ ◇ ◇
「お、お邪魔します……!」
「邪魔すんでー」
昼過ぎになり訪ねてきた兎々と霊藻は、簡易な服装に身を包んでいた。
互いに制服以外の姿で会うのは初めてだ。緊張のあまり、兎々がロボットのような動きで紙袋を差し出す。
「あの、これ……」
「わあ、ありがとう兎々ちゃん。せっかくだし、一緒に食べようか」
手土産のクッキー缶には、有名なホテルのロゴが入っていた。
つい先ほど、アフタヌーンティーが届いたばかりだ。ピッタリの茶菓子を手に、天璃はリビングに向かう廊下を抜けた。
テーブルの上にはケーキスタンドが並んでおり、その横にはティーポットが置かれている。
四人分で頼んだため、運んできた希杏は事情を知りたそうにしていたが、無視を続けたところ頬を染めて去っていった。
性格に難はあるものの、仕事はきっちりとこなしてくれるため、何やかんや重宝してしまっている。
「ワンフロアになると、管理も大変そうやな」
「そうでもないよ。掃除とかはみっちゃんたちが手伝ってくれるし、あとはほとんど珠羅ちゃんがやってるようなものだから」
椅子に腰掛けた霊藻が、視線だけ珠羅に向けると、意外そうに片眉を上げた。
「三大寮って、最上階はどこもこんな感じなの?」
「たぶんな。寮長の特権みたいなもんやろ。せやかて、うちらのフロアも部屋は二つしかあらへんで。多くても、四つまでやったはずや」
猛獣の割合に対して、寮がいくつもある理由が分かり、天璃は納得から相槌を打った。一人一人のスペースが広大なため、寮の規模もそれに比例しているのだろう。
四人ともが席についたことで、しばらくは昨晩の話の続きや、雑談などが交わされていた。
カップの中身が空になった頃、一息ついた霊藻が、天璃と兎々に向かって口を開いた。
「ぼちぼち二人で話してきたらどうや? うちもちょうど、阿留多伎と話したいことがあってん」
「いってらっしゃーい」
にこりと笑った珠羅が、ヒラヒラと手を振る。
兎々と顔を見合わせると、天璃は促されるままリビングを後にした。
◆ ◇ ◇ ◇
緊張を和らげるため、ソファーに並んで腰掛ける。
膝の上で手を握っていた兎々は、少しの沈黙のあと、意を決した様子で天璃の方を見た。
「あっ、あの……! 相談って、その……なんです、か……?」
尻すぼみになっていく声と、泳ぐ視線。恥ずかしそうに俯いた兎々へ、天璃は優しく、けれど率直な言葉で問いかけた。
「兎々ちゃんと霊藻ちゃんって、恋人同士なんだよね?」
「ひょえっ……? あ、その……ええっと……!?」
湯気が上がりそうなほど顔を真っ赤にした兎々が、わたわたと腕を振る。
「あああのっ、えっと……! ……そう、です……」
かろうじて絞り出した声が、静かな部屋の中に溶けた。
「兎々ちゃんは、好きってなんだと思う?」
「……え?」
突飛な質問に、兎々がくりくりした目を瞬く。
「恋愛の好きと友達への好きは、そんなに違うものなのかな? 珠羅ちゃんのことは好きだけど、それが恋愛としての好きなのか……何度考えても分からなくて」
友達のままではいけないのか。
兎々はどうして、霊藻と恋人になることを選んだのか。
普段は誰よりも賢い天璃が、ままならない感情に本気で悩んでいる。そんな天璃の姿を見つめ、兎々は握っていた拳に力を込めた。
「あの……天璃ちゃん。わたしのむかし話、聞いてくれる?」
頷いた天璃に、兎々がふわりと微笑む。
「わたしの家は、美術館とかを経営してて……そこの警備をしてくれてたのが、霊藻ちゃんの家だったの──」
過去の記憶を思い返しながら、兎々は雫が落ちるようにポツポツと語り始めた。




