第七十六滴 地獄の色彩
狙ったはずの攻撃が、空を切る。
躍起になればなるほど、泥沼にはまっていく状況に、吸血鬼は苛立ちから歯軋りした。
そもそも、なぜ先祖返りがここにいるのか。吸血鬼だけが知るはずの入口を、どうやって見つけたのか。
疑問だらけの脳内も、徐々に考える余裕を失っていく。
周囲に浮かぶ狐火に行動を制限される中、後退した吸血鬼の足を灼熱の炎が焼いた。
「ぐあぁ……っ!」
「そっちはほんまもんやで」
幻と現実が混ざり合い、錯乱を引き起こす。
どれが本物でどれが偽物か、見分ける手段などあらず。おかしげに笑う霊藻の姿は、吸血鬼の神経を逆撫でしていった。
間違いなく、遊ばれている。痛みに呻く吸血鬼の脳内が、怒り一色に支配されていく。
騒ぎを聞きつけた他の吸血鬼が駆けつけるも、視界に映った姿は憎い敵のもので──。
「おい! なにをしている!」
「同志による争いは、禁止のはずでは!?」
地獄絵図のような光景に、敵の血だけが添えられる。
青、蒼、碧。
色の異なる狐火を操りながら、霊藻は積み重なっていく骸が蘇らぬよう、こんがりと肉を焼き上げていった。
◆ ◆ ◇ ◇
別棟を出た天璃たちは、月明かりの差す森の小道を歩いていた。
寮と別棟は校舎を挟んで位置しているため、教師と遭遇しないよう、迂回して戻ることにしたのだ。
「吸血鬼って、丸焼きにされるとあんな感じになるんだね」
「丸焼きて」
身も蓋もない言葉に、霊藻が笑い混じりの呆れ顔を浮かべる。
「せやかて、完全に死んだわけやあらへんで。時間はかかるやろが、そのうち元通りになるはずや」
黙認権を手に入れた天璃たちだが、黙認の範囲に殺害は含まれていない。逆に言えば、殺しさえしなければ黙認の対象になるということだ。
焦げるほど焼いていた霊藻だが、しっかりと歯止めはかけていたらしい。
「あれだけ焼いても死なないなら、吸血鬼はどうやったら殺せるの?」
「あいつらが厄介なんは、不死に近い再生力を持っとるからや。ちゅうても、末端に行くほど不死性は下がっとる。消し炭になるまで焼くか、再生が追いつかん速度で殺し続けたら、そのうち復活できんようになるやろな」
「不死に近いってだけで、完全な不死って訳じゃないんだね」
以前、吸血鬼の首をへし折った珠羅も、この程度では死なないと言っていた。
不死に近い再生力。伝承では“不老不死”とされている吸血鬼だが、そもそも完全な不死など存在しないのかもしれない。
考えにふける天璃が転ばないよう、珠羅が絡んだ腕を軽く引き寄せた。ぐっと近づいた距離に、天璃の思考が一瞬鈍くなる。
「不死がまかり通るんは、それこそ真祖くらいのもんや。ようさんおる吸血鬼の中でも、たった数人しかおらんっちゅう話やで」
真祖について語る霊藻の表情は、どこか真剣さを帯びていた。辺りの空気が重さを増し、木々の揺れる音だけが響く。
ふと何かを思い出した様子の霊藻が、珠羅に向けて「そういや──」と話を切り出した。
「目当てのモンは手に入ったんか?」
「実験場の位置と、大体の規模なら分かったよ〜。あと、はいこれ」
珠羅の投げた何かを、霊藻が危なげなく掴む。
「注射器か?」
「中の血はあいつらのみたいだよ。それを人間に打って、反応を観察してたからね〜」
「……人間はどのくらいおった?」
「見かけたのは、三人くらいかな〜」
深くため息をついた霊藻が、舌打ちをこぼす。眉間に寄った皺が、霊藻の苛立ちをそのまま刻んでいた。
「東妻くくりの件で警戒はしとったが、他にも協力しよる家があるっちゅうことやな」
能力者を後天的に造るのは、裏の法で禁止されている。人外にも規則があるように、家にも守るべき掟があるのだ。
悲しげに俯く兎々は、決まりを破った家の末路を知っているのだろう。兎々の頭を撫でた霊藻が、視線を天璃の方へとずらした。
「にしても、即席とは思えん作戦やったな」
「みんなが上手くやってくれたおかげだよ」
元々、ある程度の位置に目星をつけた後は、みっちゃんたちが単独で潜入する予定だった。
とはいえ、内部の状況が分からないまま潜入し、吸血鬼に気づかれないよう動き回るのはリスクが高い。
確実な情報を掴むためには、実験場が手薄のタイミングを狙う必要があった。
直前まで悩んでいた天璃だったが、兎々の決意を知ったことで急遽作戦を変更。わざと騒ぎを起こし、霊藻が吸血鬼の相手をしている間に、みっちゃんたちを内部へ送り込んだのだ。
「おかげで、隙だらけだったよ〜」
首元に腕を回した珠羅が、背後から天璃を抱え込む。寮の前で立ち止まった霊藻が、ひらりと片手を上げた。
「お疲れさん。ほな、また週明けにでも話そうや」
「またね、天璃ちゃん、阿留多伎さん」
「あ、待って兎々ちゃん」
部屋へ戻るため踵を返した兎々に、天璃が声をかける。振り向いた兎々が、不思議そうに天璃を見つめた。
「明日、時間あるかな? 兎々ちゃんに、相談したいことがあるの」
「……わたしに?」
一拍遅れて驚いた様子の兎々が、本当に自分かと動揺を滲ませる。天璃の珍しい行動に、何か思うところがあったのか、霊藻はひとまず静観を決めたようだった。
「えっと、わたしで良ければ……」
「ありがとう」
兎々からの視線に、霊藻が好きにしていいと頷く。表情を緩めた天璃が、場所はどこにするかと悩んでいた時だった。
「部屋余ってるし、こっちで話したら?」
「いいの?」
「いいよ〜。九重もそれでいいよね?」
「かまへんで」
学園内で、珠羅の部屋ほど安全な場所もないだろう。二つ返事で答えた霊藻に、兎々がほっと息をつく。
すっぽり収まった珠羅の腕の中で、天璃は無意識に胸元の服を握り締めていた。




