第七十二滴 明朗快活
「今日の授業、さぼっちゃおうか」
唐突な言葉に、朝食を口に運んでいた天璃の手が止まる。
「何かしたいことでもあるの?」
「まあそんな感じかな〜」
曖昧な返事の珠羅を見つめ、天璃は小首を傾げたあと、ふわりと微笑んだ。
「たまには、そういうのも良いかもしれないね」
「決まり〜」
楽しげに目を細めた珠羅が、フルーツの刺さったフォークを差し出してくる。
ジュワリと広がった果汁は、甘みの中にほどよい酸味が混じっていて。
美味しいはずのそれを咀嚼しながら、天璃はふと空っぽのスープ皿に視線を落とした。
──こっちの方が、甘かったな。
遮断機のように警笛を鳴らす思考に蓋をすると、天璃は再び食べかけのパンに手を伸ばした。
◆ ◆ ◇ ◇
授業を放棄した天璃たちだったが、珠羅に連れられやってきたのは、校舎内の一角にある作業場のような空間だった。
断続的に響くミシンの音と、忙しなく動き回る人々。積み上げられた生地の近くには、猛獣用にカスタマイズされた制服がズラリと並んでいる。
「あれ? 珠羅じゃん」
不意に、奥の扉から誰かがひょっこりと顔を覗かせた。
真っ赤に燃える髪をピンで留めた若い女性は、新緑のような瞳をキラキラと輝かせている。
「なんか久しぶりだな。って、あ! 隣の子はまさか……!」
「私の飼い主だよ〜。興味があるみたいだったから、連れてきたんだー」
「やっぱり! てか天璃、服飾に興味あんの!?」
いきなり名前を呼ばれ、天璃は少し驚いた表情を浮かべた。勢いよく天璃の手を握った女性が、そのままブンブンと上下に揺さぶってくる。
「名前、知ってるんですね」
「あったりまえじゃん! 天璃の制服作ったの俺だよ? 我ながら、めちゃくちゃ良い出来だと感動して……」
熱く語っていた女性が、ふと何かに気づいた様子で黙り込む。
「……もしかして、名前呼ばれんの嫌だった?」
窺うように見てきた女性に、天璃は緩く首を振った。
一転、表情を明るくした女性が、太陽のように眩しい笑みを浮かべる。
「良かったー! あ、ここで話すのもなんだし、あっちの部屋に移ろうぜ!」
先ほど自身が出てきた扉を指すと、女性は小走りで奥へと駆けていく。急かすように手招きされ、天璃は思わずクスリと笑みをこぼしていた。
「学園では、珍しい感じの人だね」
「まあねー」
「前から仲がいいの?」
「知り合ったのは去年かな〜。仲がいいって言うより、会うたびにあんな感じで来るから、まあいっかーってなったんだよね」
裏表のない性格ゆえに、途中で珠羅の方が折れたのだろう。他者に対して関心の薄い珠羅だが、ああいったタイプには弱いのかもしれない。
自分とは真逆の明るさを持つ女性を見つめ、天璃は薄靄のかかった心を散らすように、奥の扉へと足を踏み出した。
◆ ◇ ◇ ◇
「麦茶でいい?」
「ありがとうございます。えっと……」
「俺のことは、風吹って呼んで」
長方形のテーブルには、描きかけの用紙が広がっている。中には制服の絵もあったが、既存のものとは違い、どれもアレンジされているようだった。
「風吹さんは、デザイナーなんですか?」
「そうだよ。俺、ここの卒業生なんだ。一応、能力者でさ。卒業してからは、学園専属のデザイナーとして働かせてもらってんの」
目の前に置かれたコップから、カランと氷のぶつかる音が鳴る。
「この制服、風吹さんが作ってくれたんですね」
「そうそう! ほんとはデザインだけの予定だったんだけど、一夜で仕上げろって言われて、なら全部俺がやればいいかってなったんだよな」
一夜という言葉を耳にした天璃が、珠羅の方に視線を向ける。にこりと笑った珠羅に、天璃は大体の事情を察したようだった。
「けど、マジでやって良かったよ! 俺の傑作が、こんなにも理想通りの人に着てもらえるなんて……! ほんと、デザイナー冥利に尽きるよ」
喜びを露わにした風吹は、今にも踊り出しそうな雰囲気をしている。風吹が立ち上がった拍子に、ヒラリと舞った用紙の一枚を手に取ると、天璃はおもむろに口を開いた。
「こんなに実力があるのに、どうして学園の専属になったんですか?」
ファンタジアを卒業した生徒は、猛獣や獲物に関わらず、等しく本土へ帰ることができる。わざわざ学園に留まらずとも、風吹なら他にいくらでも勤め先があったはずだ。
「あー、俺の家……先祖に雪女がいるんだけどさ。みんな髪とか目が、寒色系の色をしてるんだよね。だから、正反対で生まれた俺のことを、あんまりよく思わない人も多くて。その上、性格がお堅いというか、家の決まりが厳しいというか……」
「先祖に人外がいても、能力者の容姿とは関係ないはずですよね?」
「いやほんと、そうなんだよ! でも、うん。俺がデザイナーに興味を持った辺りから仲は最悪だったし、どのみちこうなる運命だったのかも」
本土に戻れば、家の者に何をされるか分からない。そう話す風吹は、どこか達観した表情をしていた。
「あ!」
突然、風吹が大声をあげた。
なにやら慌てた様子の風吹が、力の抜けた声で呟く。
「そういえば俺、倉庫から荷物を運ばないといけないんだった……」
「私でよければ手伝いますよ」
「いや……あれ、かなり重たいんだよなぁ」
天璃には持たせられないと首を振った風吹が、懇願の眼差しで珠羅を見つめる。
「珠羅、たのむ! 倉庫の荷物、運んできてくれ……!」
「え〜、めんどくさい」
バッサリと切り捨てられ、風吹が子犬のような表情を浮かべた。
「珠羅ちゃん、手伝ってあげて。代わりに、私が珠羅ちゃんのお願いを聞くから」
ね、と続けた天璃に、珠羅がパチリと瞬く。
「倉庫って、どこにあるの?」
「へ? えーと、作業場を出て、向かいの突き当たりに……」
すんなりと出ていった珠羅を呆然と見ていた風吹が、ハッと我に返る。お礼を口にした風吹に微笑むと、天璃は正面から向かい合うように椅子へと座り直した。
「珠羅ちゃんに頼みごとをしたのは、私に聞きたいことがあったからですよね?」
「あれ、バレてた?」
誤魔化すように後頭部を掻いた風吹が、ふと真面目な空気を漂わせる。僅かな沈黙のあと、風吹は真剣な顔で天璃に問いかけた。
「あのさ……天璃は、珠羅のことどう思ってんの?」




