第七十滴 美味
対抗戦後の連休が終わり、学園に向かう生徒たちの姿が目立つ。教室に着いた霊藻は、席に座る天璃の姿を見て微かに眉を寄せた。
「おはようさん」
「お、おはよう……天璃ちゃん」
窓の外を見ていた天璃が、霊藻と兎々に気づき挨拶を返す。二人を見る天璃の表情は、大怪我を負ったとは思えないほどいつも通りのものだった。
「今日は休みやと思てたわ。怪我の具合はどうなん?」
「かなり良くなったよ。授業は座って聞くだけだし、問題ないかなって」
脇腹の傷に加え、多量の出血。たとえ神領の治療を受けたとしても、ほんの数日でここまで回復するだろうか。
疑念は疑惑となって、霊藻の脳裏をチクリと刺していく。
「いくらなんでも早すぎやないか? 無理しとんなら──」
「天璃ちゃん、お待たせ〜」
気配のない登場に、兎々がビクリと身体を震わせた。片眉を上げた霊藻が、途中まで出かけた言葉を呑み込む。
「早かったね」
「寮の催しについて確認されただけだからね〜」
「催しって、三大寮の?」
ファンタジア女学園では、対抗戦の他にも、寮によるイベントや学園祭などが企画されている。職員室から戻ってきた珠羅が、「そーそー」と肯定を返した。
「えっと、それぞれの寮の代表が、何をするか決めるんだよ」
「阿留多伎は寮長やからな。十中八九、天璃も駆り出されることになんで」
意外な内容に、天璃は思わず珠羅を見上げた。
「珠羅ちゃん、寮長だったんだ」
「各寮の中でいっちゃん強い猛獣が、寮長になるっちゅう決まりやからな」
「面倒だし、やりたくなかったんだけどね〜」
学年に関係なく、カーストによって選ばれる仕組みらしい。弱肉強食が染み込んだ場所では、実に合理的な方法だ。
「たしか、天穹寮の寮長は司空やったな。夢幻寮の方は伏せられとるが、今年も代理が来る可能性が高そうやで」
「九重って、裏側の事情に詳しいよね〜」
「家からも、ちくいち情報が送られてくんねん」
耳が早いと笑う珠羅に、霊藻が肩をすくめる。
四人ともが席に着いたことで、不意に真面目な空気を纏った霊藻が、声のトーンを下げた。
「ほんで、いつにする?」
「うーん。なるべく早い方がいいよね」
「天璃ちゃんに合わせるよ〜」
いつが何を意味するかは、誰が言わずとも分かっていた。
「こっ、今週の、金曜日はどうかな。月に一度の食事会で、先生たちは、本館のレストランに集まってるから……」
「それええな」
警備の巡回はあれど、教師がいない分、余計な邪魔が入りにくくなる。兎々の提案に、霊藻がそれでいこうと頷いた。
担任である結解が、教室のドアを開く。
一歩遅れて入ってきた生徒たちは、新たな獲物であり、生贄枠に当たる生徒たちだった。
人員が補充されたことで、教室内に緊張が走る。転入生をチラリと見た霊藻が、天璃たちの方へ視線を戻した。
「詳しい話は放課後にでも……と言いたいところやったが、今日は無理そうやな」
教室のスピーカーから流れるメロディーは、放送を知らせるものだ。次いで、機械的な音声が、狩りの始まりを告げた。
「……うそでしょ……」
「対抗戦が終わったばかりなのに、もう狩りだなんて……」
恐怖、絶望、諦め。
生徒たちから漏れた声には、そんな感情が含まれていた。
◆ ◆ ◆ ◇
仲良く腕を組んだまま、寮への帰路につく。
木々の間から差し込んだ日差しが、天璃の雪のような肌を照らした。
「珠羅ちゃんは、狩りをしなくてもいいの?」
隣を見上げた天璃が、ふと気になっていた疑問を口にする。
「いーのいーの。天璃ちゃんといる方が楽しいし、もう充分狩ってきたからね。あーでも、あんまり狩りをしなくなってからは、『たまにでいいから獲物を食べるように』って言われることもあるかな」
「それって、先生に?」
「まあそんなところ〜」
にこりと笑った珠羅が、天璃の目を見返す。
──話す時は、ちゃんと私のことを見て。
そんな言葉を伝えて以来、珠羅は天璃が話しかけるたび、こうして目を合わせてくれるようになった。
「人間って美味しいの?」
「んー? 個体差はあるけど、美味しいよ」
質問を繰り返す天璃に、珠羅が緩く首を傾げた。
「その……先祖返りは、どうやって人間を食べるのかなって」
「今は人間よりの姿をしてるけど、獣や虫、魚の先祖返りなんかは姿を変えることができるからね。前に見た人魚の先祖返りは、狩った獲物を水の中で捕食してたかな。あ、女郎蜘蛛の先祖返りは、糸で巻いて食べるらしいよ〜」
身体を屈めた珠羅が、天璃の顔の近くで内緒話かのように振る舞う。思わず笑みをこぼした天璃は、口元に手を当てると、珠羅に乗っかり小声で話し始めた。
「珠羅ちゃんも、姿を変えられたりするの?」
「神って、定まった姿がないんだよねー。人間の理想や想像を反映してる分、人間よりの姿で固定されることが多いけど、実際はあやふやだったりするし。出来ないこともないと思うけど、必要にならない限りしようとも思わないって感じかな〜」
これまでの珠羅は、姿を変えようなんて考えたこともなかった。けれど、天璃を自らの元に縛りつけておけるなら、珠羅は容姿さえ捨ててもいいような気がしていた。
「変えてほしい?」
「ううん、そのままがいい。私ね……珠羅ちゃんを初めて見た時、なんて綺麗な人なんだろうって思ったの」
まるで人を魅了する悪魔のように、妖しさと美しさの中に、得体の知れない何かを潜ませている。
「でも、珠羅ちゃんのことを知っていくうち、それ以上にすごく可愛い人だなって思うようになったの」
何をされても、仕方ないと許してしまえるほどに。天璃は珠羅のことが、可愛くて仕方ないのだ。
「だから、そのままでいて」
ありのままでいいのだと微笑んだ天璃が、珠羅の頬を手のひらで包み込む。
太陽に透ける髪が、粉雪のように煌めいた。
今にも溶けてしまいそうな天璃の姿を見つめ、珠羅は天璃を冷やすように、腕の中へとしまい込んだ。




