罠 4
ホールの中は簡単な仕切りが立てられ、部屋のように区切られたところで注射が行われているようだった。
人がいるとは思いにくいほど静かで、もはや不気味な空間だった。
ドアのようなものはなく、区切られた部屋はカーテンで開閉を行なっていた。
リクは右手前の適当なカーテンを引いた。
「あ……どうされましたか?今はこちらの方に――」
「もう打ったんですか?」
「いえ、まだですが……」
注射を持っていたのは若い女性だった。
この部屋ではまだ接種はされておらず、袖を捲って準備していた中年女性は言葉も出ないほど怯えている様子だった。
リクはこの若い女性が敵だとは思えなかった。
打つ本人も何も知らないはずだ。
まさか自分が打った物が、すぐ後に人をゾンビに変える凶悪なウイルスであるということは。
知っていたら打つはずはない。
ウイルスに即効性がないことが、事態を上手い具合に成り立たせている。
「今すぐそれを置いて――」
リクの眉がピクリと動いた。
このまま帰したところで、外では既に感染が広がっている。
襲われたら注射に関係なくゾンビになるなら、ここに留まらせた方が良いのか?
「……何も持たないで、ここでじっとしていてください。細かい事は言えませんが、今とても危険なんです。何か危険があれば、俺が守ります。だから、ここにいてください」
若い女性と中年女性は顔を見合わせた後、静かに頷いた。
ゆっくりカーテンを閉め、それぞれの部屋を見て回る。
まだウイルスを打たれていない部屋では、その場に留まらせた。
誰もいない部屋もいくつかあったが、既に打たれてしまった部屋も、いくつかあった。
その部屋に出くわした時、リクは歯を思いっきり食いしばり、思いっきり拳を握りしめた。
質より量。
打たれた人を帰して感染拡大を助長するような真似をする訳にはいかなかった。
「……あの」
接種する側にすぐ部屋から立ち退き、空いている部屋に移動して、留まっていてほしいと頼む。
「わ、私はどうすれば……」
まだ若めの男性だった。
微かに皮膚の下に薄紫の筋が走っていくのが見える。
放っておけばすぐにゾンビとなり、人を襲うのだろう。
「……………………………ごめんなさい」
リク自身でも聞こえないような小さなかすれ声で、意味のない謝罪をすることぐらいしか、リクにできることはなかった。
目では見えないほど細い血の糸を輪状にして男性の首に掛け、後ろに回り込むと一気に引き抜いた。
「え、何をし」
音もなく男性の首が傾いていき、落ちるところでリクが手で頭を受け止める。
力の抜けた背中を仕切りの壁にそっと預けると、頭をその膝の上に置いた。
首の断面からはゆっくりと大量の血が溢れ出し、男性の服を赤く染めていき、それは床にも広がって、やがてカーテンの外に血溜まりができていく。
「これで正解なのか?俺たちは人助けしてるってことでいいんだよな?」
リクは涙で歪んだ頭のない男性が静かに眠っているのが見えていた。
「ごめんなさい」
こうしてリクは心を殺して部屋を回っていった。
残念ながらウイルスを打たれた部屋では、同じことをして首を落としていった。
なんとか全て回り終え、コースケとナオヤのほうに戻ろうと最後の部屋のカーテンを出ると、入り口付近で声が聞こえた。
「何をしているのですか?」
「……疲れてしまって、休憩してます」
シュウと男が話しているようだった。
「これは……死体ですよね。何があったのですか?」
男はさっきリクが頭を握り潰した男を指さして問いかけた。
「僕が来たときには、もう……」
「全く何も感じないのですか?こういうのには慣れてるのですか?」
もっともな疑問である。
高校生が頭部がぐちゃぐちゃになった死体を前に疲れて腰を下ろすとはとても考えにくい。
「いえ、でも、本当に疲れてしまって」
「手首……痛そうですね。折れてしまったのですか?」
「え、ああ、そうですね……」
男は懐から白い細長い何かを取り出した。
「これを打てば治ります。じっとしててくださいね」
何かにはキャップが付いており、男はキャップを外すと、細い銀色の棒が出てきた。
(嘘これウイルスのやつじゃ……)
「おーシュウ、大丈夫か?」
リクは遠目ではよく分からず、思い切ってシュウを待たせていたかのように振る舞って近づいていく。
「お友達ですか?」
「はい、そうですね……」
リクは側まで来ると男がウイルスをシュウに打とうとしているとすぐに気付いた。
(こいつはダメだな)
触手で男をバラバラに引き裂くと、ウイルスの注射にキャップをしてポケットに入れた。
「コースケとナオヤのとこ行こうか。安全確認できたら、部屋に待たせてる人たち呼びに来よう」
「分かった。ちょっとさ、思ったんだけど」
シュウが頭を握り潰された男と引き裂かれた男を見ながらリクに尋ねた。
「あの2人同じ顔してなかった?」
「シュウもそう思うか?俺は学校にいたあの男も同じ顔に見えた」
「え、やっぱりそうだよね……どうなってるんだろ」
シュウもリクもうまく頭は回っていなかった。
とにかくこの状況を乗り越えなければいけない、その事を考えながらコースケとナオヤの方へと向かう。




