罠 3
「あれ、どこだその大ホールってのは」
あまり来ない場所なものでシュウはこの事態に少し道に迷っていた。
「うわあぁ!!!なんだお前は!」
年寄りの男性の声が聞こえてくる。
シュウは声がする方へ走った。
「大丈夫すか?!」
2人のゾンビに付きまとわれているようだった。
シュウは問答無用で2人の頭部を殴った。
頭が飛んだゾンビは糸が切れたように後ろに倒れると、そのおじいさんは崩れるように膝をついた。
「ウチの、妻と娘が……」
「えっ、そんな、ごめんなさい……」
恐らくここにワクチンを打ちに来て、ちょうど帰ろうとしていたところだったのだろうか。
ということは……
「ゥアァァァ」
「おじいさん?」
泣き崩れたのもつかの間、シュウに襲いかかろうとするゾンビには、涙の跡があった。
シュウは一瞬躊躇ったが、構わず右手を大きく振り抜いた。
飛び散った肉片を見て、シュウは再び心が蝕まれていくのを実感した。
「普通に人殺しと変わらねえな、俺。あと何回……ハァ、いつ終わるんだこれ」
そしてまた大ホールに向かって走る。
少し長めの廊下の向こうに、向かい合ったドアがあるのが見えた。
右側に出された立て看板には、確かにワクチン接種会場と表記されている。
シュウはそのドアを勢い良く引いた。
「皆さん早くにげ……っと?」
「おや、どうかされましたか?」
中は自分の五感を疑うほどに静かで落ち着いていた。
自分だけが異常に騒いでいるようにしか見えないほどに、ゾンビの気配はこれっぽっちも感じられない。
シュウは入り口近くの男に用件を聞かれるも、何も言えない。
「ワクチン接種に来られたのでしたら、こちらにお名前と住所を……」
「え、いや、あの、ゾン……」
「はい?何ですか?」
(あれ?場所間違えた?にしてもここだけ別世界かってぐらい平和なんだけど?!)
シュウはゆっくりと後ずさりしようとしたが、男に手首を掴まれた。
「えっ」
「すみません。簡単に帰す訳にもいかないのですよ」
「あっ、え?」
振り切ろうにもその力強さは人間離れしているとしか思えないほど強かった。
貼り付けたような笑顔からは不穏な殺意に近いものを感じられる。
(なんか力強くね?全ッ然動かねぇ……!)
「中々に力がお強いのですね。とてもただの人間とは……」
(そっくりそのまま返してやりてえ!!!)
男は手に少し力を込めた。
たちまちにシュウの手首は気味の悪いゴリッとした音と共に握り潰された。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!」
形容する必要すらない激痛と、手の感覚が失われる。
「静かにして頂けますか?他の方のご迷惑になりますので」
「があああああっっっっっっ」
2人が入り口に居るのが目に入っていないどころか、存在すら認知していないかのように、ワクチンを打ち終わった人が次へ、また次へと安心しきった笑顔で出ていく。
シュウは激痛に耐えながらそれを横目に見ていることしかできなかった。
(あぁ、やめろ、行かないで……外に出る頃には皆ゾンビに……)
「これでウイルス対策バッチリだな」
「これで明日から安心だね!よかったー!」
中には小学生ほどの子どもを連れた家族もいた。
胸が締め付けられるだけで済むなら、どれだけマシだったのだろうか。
あの純粋な笑顔もすぐに消え去って、血の気が失せた虚無の怪物へと成り果てるのだ。
殺しに慣れるといっても、子供となると話は変わってくる。
「何でこんなこと?!誰に何の恨みがある?!」
「だからうるさいですよ。それにさっきから何なんです?子供みたいに泣き叫んで……と言ってもまだ子供でしたね」
「答えろよ!こんなことして何になる?!」
シュウは大粒の涙で歪んだ視界に、僅かに見える男の輪郭の方を向いていた。
なぜか既視感のあるその男に、今までにないくらい腹の奥底から声を絞り出して叫んでいた。
なぜか唐突に誘拐され、気付けばこんな訳の分からない事件に巻き込まれ、何とか出来るのは自分達だけ、と信じてこのザマ。
高校1年生には、流石に無理があるのかもしれない。
溜まりに溜まったものが、ここで溢れ出してしまったのだろう。
「チッ。うるせえな」
男はシュウの首を掴んで持ち上げた。
赤子同然のシュウは何も考えられず、ただ叫ぼうとするも、喉を圧迫され声は出なかった。
「さっきみたいに握ったら死ぬんだろ?じゃあ死――」
男の手の力が緩んだ。
シュウは床に落ちて倒れ込み、男は何かに持ち上げられ宙に浮いている。
下には赤い触手のようなものがうねっていた。
「ハァ、間に合った……」
シュウはリクの方を向いていたが、その顔は涙でグシャグシャだった。
そのシュウの顔を見たリクは触手を引き寄せ、男の頭を鷲掴みにした。
「何した?」
「ぅあ……ぁあ……あいもしてあせん……」
「は?」
リクは真顔で男の頭を握り潰した。
骨が内側に食い込み、血が噴き出しては白いタイルの床に広がっていく。
その血は赤い鮮血ではなく、黒のような紫色に淀んでいた。
「これが例の意識そのままにゾンビの力だけ持ってるヤツか。中々に厄介なモンだな」
壁に向かって男を放り投げ、すぐさまシュウのもとに駆け寄った。
「ごめん遅くなって」
「うっ、うわあぁぁぁん」
(こんなに泣いてんの小学生以来か?そんなに手強いヤツだったか?――って)
そのグニャグニャの手首を見て理解した。
リクはそっとシュウの頭を胸に抱き寄せた。
「痛かったな。よく耐えた。再生が早いといっても普通なら耐えられねえだろうよ。お前はすごいよ」
「……痛かった。怖かった」
「大丈夫。俺がいるからもう休んでな」
入り口近くの壁にもたれるようにしてシュウを座らせると、リクは大ホールの中に堂々と入っていった。
「来て良かったわ、まじで。シュウ殺されてたかもしんねえな……」
冷静を装うリクの手はごく僅かに震えていたが、それがシュウに気づかれることはなかった。




