マリア
「ヴィー、犯人の居場所が……」
ドアをくぐったパーシバルが地図を開こうとすると、首もとに布を広げていたヴィーが手でさえぎった。
「ちょっと待って、髪を流してくる」
ハサミを持ったまま洗面台にむかう襟あしはギザギザで、パーシバルはきれいに切りそろえたい気がした。水の音がしてくる。彼は窓辺に寄り、人の行きかう路地を見下ろした。
数日たって訪ねた今、ヴィーは落ちつきを取り戻していた。
安心したものの、引っかかりは消えない。彼はそれに指をかける。壁紙をはがすようにゆっくり下へ、下へ。
彼女は、再現体を「人間より善いもの」だと認識しているらしい。
やさしかった隣人のおかげで? しかし単なる親切の対価としては不自然すぎる……
勢いよく吹き込んだ風が窓枠を鳴らし、砂ぼこりを運んでくる。パーシバルはかたわらへ顔をむけた。
考えに沈んだ目がすぐそばのカーテンをとらえる。うすく透けた先に横たわるシルエット。少しの身動きも呼吸も感じさせない、病んだ母親の寝床。
次の行動はまったくの無意識だった。
片手をすばやく払う。シャッと小気味いい音がして、やわらかな防壁が崩れた。
ヴィーの母親はあおむけになり目を閉じていた。明るい茶色の髪、透きとおるような肌をした若い女性……
女性の形。人間をかたどったもの。
生も死もない再現された身体がそこにあった。
揺れたカーテンがパーシバルをかすめた時、鋭い悲鳴が背中を刺した。
「ママを起こさないで!」
水滴を撥ねかしたヴィーが、全身をつかって彼を押しのけた。
パーシバルの手が動き、横たわる再現体から少女を引きはがそうとする。だがヴィーは“ママ”を守るようにすがりつき、顔を伏せた。
パーシバルは戦況を報告するように感情のない声をあげた。
「機能停止状態。回収を」
「眠ってるの!」
ヴィーが吠えるように答える。その勢いはパーシバルから名前をはぎとり、一個の再現体にした。彼は厳しい面持ちで首をふった。
「ヴィー、彼女ははたらきを完了した。適切な処分を求める」
相手は少しも退かず、細い肩のむこうから「誰にもつれていかせない。たとえあなたでも」とにらみつけてきた。
黒い瞳に焼かれながらパーシバルは閉じかけた口を動かした。
「母親。なぜそんな嘘を」
「嘘じゃない。パパと一緒に私とエカートを育ててくれたもの。マリアが二人目のお母さん」
パーシバルは思い当たった。より高度な感情表現能力を有する、上位モデルの存在に。
諜報活動に従事し、多くは女性体だと聞いていた。任務をしりぞいた彼らは、一般のリプロとは違いメガロポリスで管理されるはずだった。
彼の考えを見透かしたようにヴィーが言う。
「マリアは逃げてきたの。本当の家族がほしかったから、だから私たちを愛してくれた」
パーシバルは頭に押し入った混乱に目を見開き、後ずさりして首をふった。
「ヴィー、再現体にその種の感情はない。装うことしか……」
「ちがう、知らないだけ。解放されてないだけなの。ママが言ってた、深い部分では人もリプロも変わらないって。ここで暮らしてわかったんだって!」
その瞬間、パーシバルにはたくさんの顔が見えた。
再現体の兵士たち。アロンソが隠していた静かな表情。この数日で向きあった人間たち。作業員と医師。武器屋の苦い笑い。
そして目の前にいる少女。
パーシバルの身体をなにかが勢いよく駆けのぼった。
「それこそ欺瞞だ。われわれが同じであるものか!」
ヴィーが射抜かれたように身をすくめ、凍りついた。
パーシバルの片手があがりみずからの口をおおう。これ以上ふたりを揺るがすなにかが飛び出さないように。
しかしすでに少女へぶつけた言葉は、それぞれが属する場所をむきだしにするにはじゅうぶんすぎた。
やがて彼はこわばった身体をゆるめ、ベッドから顔をそむけた。
「……口外はしない」
選びなおした言葉が床に落ちる。
「仕事は降りる。後任を探してここにやる、報酬はそちらに渡せ」
パーシバルは背を返した。ヴィーはぐったりとうつむいたが、ふいにベッドを離れて駆け寄った。ふり向いたパーシバルを見上げる瞳は濡れ、黒が濃くなっていた。
その目が寂しげに細まる。彼女は、こわごわと伸ばした両手を彼の頬に添えた。
ふたりはしばらく動かずにいた。やがて手が離される。パーシバルは静かにドアへ向かった。もうどちらにも言葉はなかった。
ドアを閉めた再現体は、片脚を引きずりながら長い階段を下りはじめた。




