第四話 青畳の上で
立川駐屯地での訓練は、午後から格闘訓練へ。
並外れた身体能力を持つ繁と晶。しかし、強いからといって、何事にも動じないわけではありません。
畳の上で二人を待ち受けていたのは、思いもよらない弱点でした。
2027年 10月12日 午後 訓練道場。
道場には、柔道着に着替えた五人が揃っていた。
そこへ、加賀も姿を見せた。
「…………」
繁は思わず目で追った。
何度か顔を見たことのある、あのじいさんだ。
今日は制服姿だった。見慣れない階級章がついている。
(……この人、自衛官だったんだ)
そこまでは分かった。偉いのかどうかは分からない。そもそも階級章なんて覚えていない。
繁はもう一度、加賀の顔を見る。
(このじいさん、偉い人だったの?)
加賀と目が合った。
「何だ?」
「いえ、別に」
繁は前を向いた。
どういう人なのかは、やっぱりよく分からない。
吉川が説明する。
「午後は格闘訓練だ」
「よろしくお願いします」
繁と晶が頭を下げる。
最初の相手は加藤だった。
「遠慮はいらん」
加藤が構える。
「来い」
晶が一瞬止まる。
「……本当に?」
「?」
「いや……分かりました」
次の瞬間。
晶が動いた。
一瞬。
加藤の身体が浮く。
しかし。
しかし、晶は途中で投げの勢いを緩めた。
加藤は受け身を取って畳に転がった。
「……」
「……」
「今」
加藤が言った。
「力抜いたな?」
晶は正直に答える。
「はい」
「舐めるな」
「え?」
「もう一度」
組み手を何度か繰り返した。
晶は徐々に加藤を見るようになった。
力ではなく、相手の動き。
加藤も驚いていた。
「こいつ……」
吉川が小さく笑う。
「覚えが早いな」
「次は青葉」
加藤が呼ぶ。
「遠慮するなよ」
「はい!」
繁が立ち上がる。
その横を晶が通り過ぎる瞬間、小さく声をかけた。
「絶対、気功は使うなよ」
「分かってる」
「……あっちの隅で腕を組んでる人が見ている」
繁は一瞬だけ加賀を見る。
加賀は微動だにせず、こちらを観察していた。
「分かってるって」
「ならいい」
晶はそれ以上言わなかった。
そして。
「始め!」
最初の数回。
繁は完全に投げられた。
「うわっ!」
「まだ力が入りすぎだ!」
加藤の声が響く。
繁は畳から起き上がる。
「……痛い」
「痛いで済むなら大丈夫だ」
「加藤さん、体育会系すぎません?」
「訓練だからな」
繁は苦笑した。
しかし。
何度目かの組み手で、加藤の表情が変わる。
「……」
今の動き。
避けた?
いや、違う。
加藤が動き出す前に、繁の身体が反応していた。
加藤は吉川を見る。
「教官」
「何だ」
「こいつら何者ですか?」
吉川は答えなかった。
ただ、じっと二人を見ていた。
続いて近藤。
「お願いします」
「……お願いします」
繁は構えた。
しかし。
近藤が一歩踏み込む。
繁は反射的に下がった。
「青葉君?」
「はい」
「ちゃんと組んでください」
「組んでます」
「組めていません」
近藤は淡々と言った。
繁の頭の中は、すでに限界だった。
(近い近い近い近い……!)
普段なら相手の動き、呼吸、重心まで読む。
しかし今は違った。
「では、もう一度」
近藤は間合いを詰め、繁の道着の襟を掴んだ。
繁は覚悟を決めた。
今度こそ集中する。
相手を見る。
動きを読む。
――できる。
そう思った瞬間。
「えいっ」
近藤が素早く身体を回転させた。
繁の身体が浮いた。
「え?」
次の瞬間。
ドン!
綺麗な背負い投げ。
「一本」吉川が片手を高く上げた。
畳の上で繁は天井を見た。
「……」
加藤が驚く。
「青葉、お前さっき俺とやった時と別人じゃねえか!」
繁は起き上がりながら叫んだ。
「しょうがないじゃないですか! 加藤さんの時は普通に戦えたんですよ!」
晶が横から呟いた。
「集中力の問題だな」
「お前が言うな!」
「お前、顔赤いぞ」
「うるさい!」
「次、黒羽君」
近藤が呼ぶ。
「お願いします」
晶が前に出る。
構えた。
表情は真剣。
今までの軽い雰囲気はない。
「……」
近藤も構える。
そして。
一歩。
晶が動こうとした。
しかし。
ほんの一瞬。
止まった。
近藤の顔が近い。
晶は思わず顎を引いた。
「?」
晶の目がわずかに揺れる。
普段なら迷うことなどない。
相手の動き。重心。次の一手。
すべて読むはずだった。
だが。
なぜか一瞬だけ判断が遅れた。
その瞬間。
「えいっ」
近藤の出足払が決まった。
ドン!
「一本!」
沈黙。
繁がゆっくり顔を上げた。
「……お前もかよ」
晶は無表情のまま答える。
「黙れ」
「いや、今のは――」
「黙れ」
その様子を見ながら、吉川は小さく笑っていた。
能力だけ見れば、二人とも規格外だ。
だが、完璧ではない。
文句を言う。悩む。慌てる。
それでも最後には動く。
(なるほどな……)
吉川は思った。加藤の表情も吉川と同じだ。加藤が小声で言った。
「……今の」
吉川は小指で耳を掻きながら、首を傾げた。
「どう見る?」
「技術で勝ったと言っていいんですか?」
吉川は少し考えた。
「勝ちは勝ちだろ」
「いや、そういう話じゃなくて……」
しかし、吉川は笑った。
「でもな」
「はい」
「相手の一瞬の隙を逃さない。それも技術だ。
たとえ相手が、自分より強くてもな」加藤は納得したような、していないような顔をした。
「次、少し変えようか」
吉川が言うと、全員が振り向いた。
「近藤」
「はい」
「記録を頼む」
「了解しました」
近藤はすぐに動いた。
「加藤」
「はい」
「二人の相手を頼む」
「任せてください!」
即答。
吉川は最後に晶を見る。
「黒羽」
「はい」
「無理をするな」
晶が少し意外そうな顔をした。
「……」
少し離れた場所で、加賀は腕を組んだまま二人を見ていた。
特に繁の足運びを、何度も目で追っていた。
「……青葉、か」
誰にも聞こえないほど、小さく呟いた。
その呟きの意味を、繁たちはまだ知らなかった。
加藤との組み手では、その実力の片鱗を見せた繁と晶。
ところが、近藤を相手にすると、二人揃って見事な一本負け。
どれほど強くても、まだ高校生。理屈では割り切れないこともあるようです。
そんな二人を見守る吉川と加賀。
この訓練で彼らが見つけたものは、二人の強さだけではなかったのかもしれません。




