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第5話【ノット・ガールとクズ・ボーイズ】

 夏休みが明けた。


 花火大会くらいから戸津の様子がおかしかった。


「ダイエットの目的は告白する以外はないのか」とか「もっと色んな目標を見つけてみろ」とかよく分からないことばかり言われた。


 急にどうしたのかと、理由を聞いても全然答えてくれなかった。


「おはよう」

 教室で話しかけることは普段はほとんどないが、ずっと心の中にモヤモヤがあって、場所を変えたらもしかしたら、と思い挨拶してみる。


「お、おう、おはよう」

 やっぱり変だ。妙な態度になる。


「ねえ、やっぱりなんかあったんでしょ。何があったの」

「だからそれはもういいって言ってんだろ」


 戸津は目を合わせようとしない。


 やっぱりダメか。

 そんなことを思っていると春ちゃんが席にやってきた。


「久しぶり、優奈! あ、また痩せた?」

「そうでもないよ。ちょっと停滞期。あ、でも聞いて聞いて、あのね……」


 花火大会の日の話を直接したくて、口を開いたその時だった。


「よーっす、戸津。久々だな! そういや聞いたぞー」


 げっ、橋本大樹……。戸津の入学当初、真っ先に戸津に話しかけた人物で、ついでに戸津と同じ水泳部のやつだ。

 第一声を聞いて嫌な予感がした。


「おい、お前本当にあの男嫌いに付き合ってダイエットしてるのかよ」


 やっぱり……


 私が隣にいることなんかお構いなしに、視線をこっちに向けてはニヤニヤしてくる。

 戸津とは話せるようになっているけれど、やっぱりまだ男子は怖い。せっかく春ちゃんと話そうとしてたのに、思わず俯いてしまう。

 彼女が心配そうに、手を握ってくれる。


「んーまあ、してたっていうか散歩の相手になってるだけだけどな」

 戸津が横目でこちらを確認しては、少し気まずそうにして言葉を発する。しかし橋本大樹の言葉は止まらない。


「へーもう彼氏じゃん! てか、お前、あいつに構いすぎてマネージャーにフラれたんだってな」

「ちょ、おい、それどこで聞いたんだよ」


 声で戸津が慌ててるのが分かった。


「もうそこそこ噂になってんぜ。花火大会もお隣さんと二人で行ったとか、マジなのか?」

 やつは私の方にチラッと目を向けてきた。


「いや、それは……」

「えっ、その反応マジ? お前本当にあいつと付き合ってんの!」


 戸津が困っているのも分かったが、それ以上にこの状況が苦痛で仕方なかった。私が何を言っても聞いてはくれないだろう。


 反応をしてはだめだ。


 相手は反応を求めてからかってる。

 そう頭で理解していても『反応しない』という反応をしてしまっていること自体がもう矛盾であることに私だって気付いていた。

 大きなやつの声につられるようにして、クラスの何人かが私達に注目している。

 親友の手に包まれてる自分の指が震えてしまう。


「えーあんなデブスとお前が? やめとけって! 悪いこと言わないからさ」


 あ、やっぱり――


 プツンと何かが切れた音がした。


「大樹、いい加減にしろよ。あいつに聞こえ……」

「もういいよ、別に」


 一瞬の静寂だった。

 それに一番驚いたのは橋本大樹だ。


「お、喋った!? マジか!」

「え?」


 戸津も困惑している。


 勇気を出すんだ私。もうきっと、一人でも大丈夫――


「やっぱり迷惑になるから、ダイエットの散歩、長いこと付き合ってくれてありがとう。もういいから」

 机を見つめながら顔も上げることなくそう呟いた。


「……優奈」

 春ちゃんが私の顔を覗き込んで、首を横に振っている。なんだか申し訳ない気持ちになって、少し苦笑した。


「ちょ、待て待て。なんでそうなるんだよ」

 戸津が慌ててこちらに身を乗り出してくる。


「おいおい、なんだ痴話喧嘩か?」


 相変わらずの声に

「橋本くんは黙って」

「大樹は黙れ」

 と、春ちゃんと戸津の声が重なる。

 二人は少し怒気を含ませながら橋本大樹を睨みつけている。


 そのせいか橋本大樹もそれ以上何か言うこともなく、居づらそうにした後に教室を去っていった。


「優奈ダメだよ。あんなやつの言うこと気にしちゃいけない」

 分かってるよ。春ちゃん。でも、やっぱり怖いんだ。人の目に晒されることも、戸津の隣にいて評価されることも。

 口にすると泣いちゃいそうな気がして、ただ笑い返すことしかできなかった。


「斎藤さん、ごめん。こいつとちょっと二人で話させて」

 春ちゃんが小さく頷くと、私の肩に優しく手を置いて自分の席に戻っていった。

 戸津が私を見ている。少しだけ、沈黙が続いた。


「こっち見て言えよ」

 グッと奥歯を噛みしめて彼と向き直る。目は、合わせにくい。


「こんなこと今日初めてじゃねぇだろ」

「初めてじゃないから、決めたんだよ」


 夏休みは楽しかったのに、と心の中で呟く。私と戸津の関係は、やっぱり歪なのかもしれない。彼が恋人と別れたと聞いたときに、いつかこういうことが起こるかもしれないとは思っていた。


「戸津、気付いてる? 私、戸津といると傷付くことが多いんだよ」

 それが例え間接的にでも、とは口に出さなかった。


 教室の空気が一瞬重くなった気がした。


 戸津だけが悪いんじゃない。嫌でも思い知らされる。私がデブでブスなのがそもそもの元凶なんだと。戸津は『かっこいい』から、不釣り合いな私が隣にいることで、悪目立ちしている。こうなるって最初から分かっていたのに。


 再び沈黙が流れた。

 少しして、戸津がため息をついた。


「俺は……やっぱりお前を傷付けてるだけなのかよ……」


 まるで独り言のようだった。

 チャイムが鳴る。

 彼が拳を握りしめているのがみえた。


「なぁ……隠してたこと話すよ。帰り地元駅の改札前で待ってろ」

 戸津はそれからどうするか自分で決めろとだけ言って私から視線を外した。



 放課後――

 駅から家に着くまでの間に花火大会の後に何があったのか知ることになる。



  ◆



 花火大会も終わって、細川が家に入った後だ。

 この通称『お兄さん』とかいう優男は、細川が入った後の二階を見上げながら俺の名前を呼んだ。


「戸津くん」


 突然のことに一瞬驚いた。見れば、目は笑っているのに、貼り付けたような笑顔をしていて、その笑みの奥に静かな何かを感じる。


「君は優奈ちゃんのこと、どう思ってるの?」

「え?」


 突然何を言い出すんだこの人は。

 急な台詞に俺は首を捻った。


「どうって、どういう意味で聞いてるんですかね?」

「もちろん、恋愛対象かって意味でだよ」


 その問いに思わず苦笑した。


「あー……別に嫌いじゃないけど、そういうふうには見れないかな、って」


 なんだ?

 不穏な空気の流れだ。


「そうなんだね。なら……」


 関根と言う男は一息だけ間を空けると、


「彼女にちょっかいだすの、もうやめてあげてくれないかな」

 と、放った。


「は?」

 思わず眉間にシワを寄せるも、優男は言葉を続ける。


「今日来たのはね、君が彼女のことをどう思ってるのか確認したかったからなんだ。もし、君が恋をしているなら口を出すつもりもなかった」

 少し沈黙が続く。この男の気味の悪い笑顔が消えていく。


「なんだそれ……。余計なお世話なんだけど」

 目の前の男は小さなため息をつくと冷ややかな目を向けてくる。


「あの子は元々とても明るい子だった。でも君があの子に嫌なあだ名をつけ始めた頃から、何かあるごとに泣いてたんだ。君は知らないかもだけど」


 心臓の奥底を針で刺されたかのような痛みを感じた。


「それは……悪かったって……」

 どうしようもできない過去を掘り起こされると、口籠もってしまう。


「分かってないよ」

 関根は俺の目も見ずに、電気のついたあいつの部屋を見上げた。


「心の傷は簡単には治らない。下手すれば一生治らない。君はあの子にそういうことをしたんだ。今日のことだって君が彼女を傷付けなかったらあそこまで他人に怯えることはなかった」


 そこまで言われて俺は数年前の自分と、今日の女達のことを重ねた。


 確かに、そうだけど……そうだけども。


 なんだか、イライラする。


「そうだな。確かに、治らないかもしれないな」

「なら、なおさら分かるだろう。君がいれば嫌でもあの子は昔の事を思い出す。あれでも中学に入り少し昔の、あの子本来の姿に戻ってきていたんだ」


 関根が言うことが理解できないわけじゃない。全面的に俺が悪いのは事実だ。


 だけど、こいつは「やめろ」と言った。俺とあいつが、このクソ暑い中を毎日散歩して、必死に積み上げているものを、なんでお前に言われないといけない?


 あんたのために、あいつが必死に『変わりたい』って思ってやってることだろ。

 なんだよ『本来の姿』って。ふざけんな。


「それはどういう目線で言ってるんですかね? あいつを恋愛対象として言ってるのか?」

「……」

「あいつがあんたに気があることくらい、とっくに気付いてるんだろ」

「そうだね」


 ……認めやがった。


 それどころか、あいつの想いを勝手にバラしてしまった。

 むかつく。目の前の男も、俺自身も。吐き気がする。クソ野郎。


「……中途半端な優しさであいつを守ったって、これからのあいつのためにはならない。分かってんだろ、あんただってそれくらい」


 でも、そうだ。あいつをあのままにしたって、考え方は簡単には変えられない。過去と決別するには何かが必要なんだ。それがあいつにとってはダイエットで、俺にとっては罪滅ぼしだ。


「俺はあいつにちょっかいだすのはやめない。あんたもいい加減、その中途半端な態度やめたらどうなんだ。それともあいつが好きなのか」


「……あの子は家族みたいな、妹みたいな存在なんだ。大切なんだよ」

 その言葉を聞いて、カチンときた。


 細川、こいつはやめた方が良い。こんなやつのために頑張る必要なんかない。もっと別の何かのために頑張るべきだ。


「は。なんだかんだ言って、あいつを女として見れてないんじゃないか。……デブだからだろ。お前、綺麗事を言ってるけど、結局見た目なんじゃないか」


 そこまで言うと、関根は今日三人組の女子達に見せた異常なほどの嫌悪感とちょっとした殺意まで感じる表情に変わった。


「見た目だ? そんなわけあるか。あの子を傷付ける言葉を言うならぶん殴るぞ」

「はいはい。あんたは『お兄さん』ですもんね?」


 ――ドン。


 俺よりも少しだけ背の高い男は、俺の胸ぐらを掴んで外壁のコンクリートに押し付けてきた。夏の日差しを浴びすぎたのかコンクリートの壁で背中がぬくい。 


「それ以上言ってみろ」


「ああ、いくらでも言ってやる。あんたは偽善者だ。妹だって言って、あいつの『好き』を無視してる、最悪のクズ野郎だ。あいつが何のために毎日頑張ってると思ってんだ。本当に大切なら、何でもっと前からあいつの背中を押さなかった。ずっと傍にいたくせに。あいつは再会したとき、小学生の時から何も変わってなかった、てめぇがいながらな」 


 俺の声のボリュームが上がると、関根の視線が一瞬だけ二階のあいつの部屋の窓にいく。

 低く声を落とし、凍り付くような目で俺を睨みつけてきた。


「それなら君はどうだって言うんだ。自分を慰めたくて、昔傷付けたあの子につきまとって、自分の過去をなかったことにしようとしてるんだろ。それがクズ以外のなんだっていうんだ」


 そこまで言ってクズ男は手を離すと、俺に背を向けた。


「もういい。だけど君は絶対にあの子をまた傷付けるからな」



  ◆



 一通り話を聞き終わり、私は何も言えなくなってしまった。複雑な感情が込み上げてくる。

 足を止めた。まだ私の家まで半分はある。


 あー今日の夕飯なんだろう、そんなことが頭を過ぎる。現実逃避したい気持ちに駆られる。


 悲しいとか、悔しいとか、そんな単純な物じゃない。

 なんだろう。言葉にできない。

 分からないくせに、地面が霞んでいく。


「あー……細川? だから言いたくなかったんだ……端折って伝えるかも悩んだけど、どうせお前絶対に納得しないだろ……」

 戸津は珍しく目を逸らして、小声で呟いていた。


「やっぱり、言うべきじゃなかったよな。それでまた、お前を傷付けた」


 戸津にとってはお兄さんの最後の台詞が、きっと呪いのように突き刺さっているのだろう。

 だから今日、この話をしてくれたんだ。

 きっと『戸津が私を傷付けている』という事実を否定してほしかったんだよね?


「……大丈夫。教えてくれてありがとう。これでちゃんと真実と向き合えるよ」

 だけど、ごめん。私、やっぱり弱いからさ。それは否定できないんだ。


「全然、大丈夫じゃねぇじゃん」

「……意外に心はしっかりしてるの。なんでこうなるのかは分からないけど。気にしないで」


 軽く腕で目元を拭う。


 自分の中にある感情でただ一つ分かることがあるといえば『嫌悪感』――

 それが何に対するものなのかは分からない。

 お兄さん? 戸津?

 いや、違う。


 この嫌悪感は――


「戸津、ごめん。やっぱりもう散歩は付き合わなくていいから」

「え?」

「私は自分が傷付くことを嫌ってる。だけどその傷付く原因を作ったのは私自身だから、戸津が重荷に感じることはない。私は私だけの力でダイエット続けるから」


 そこまで言って戸津に向き直った。


「戸津の罪滅ぼしは、もう完了だよ。今までごめん」



 その日の夜、生まれて初めて本気で考えた。


 どうやったら自分の存在を消せるのかな、と。


 答えは見つけられなかった。


 私は――誰かにとっての女の子には、きっとなれないんだと思った。

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