第4話【可愛い②】
会場に近づくにつれて屋台が目に入るようになり、食べ歩いている人も増えてきた。
戸津は少し行ったところに穴場スポットがあると事前に調査してくれていたみたいでそこに向かう最中だった。
「やっぱりすごい人だな」
「優奈ちゃん、はぐれないようにね」
肩をすぼめて、人に当たらないように避けながらゆっくりと歩いていく。進むにつれて人の波も大きくなっていく。
人で前が見えない……
そんな時、突如として前方から甲高い声が聞こえた。
「きゃはは、何それぇ!」
「でしょ、こんなの送ってくんなっつーのね」
目の前から綺麗な女性三人組がこちらに真っ直ぐ向かってきていた。丈の短い浴衣を着ていて、一人は手にかき氷を持っている。両脇の二人は真ん中の人のスマホを覗き込み、前を向いて歩いていない。
やばい!
――ドン
咄嗟のことで避けきれず、肩が当たってしまった。
「すみませ……」
「うわ、ちょっと、最悪。さっき買ったばっかりだったのに」
当たってしまった人のかき氷が地面に落ちて、ぐちゃぐちゃになっている。
「あ、ご、ごめんなさ……」
「デブはこういう所来んなよ、こんなに人がいるのにさぁ」
「……」
「あーもう最悪」
冷や汗が止まらなくなった。
まずいまずいまずい。
「ご、ごめんなさい。弁償します」
「はあ、それだけで済むと思ってんの?」
財布に手がかかるも指が震えてうまく掴めない。鋭い目つきに睨まれて石のように固まってしまう。
「あのなあ……」
そう言いかけた戸津の言葉を耳にしても、遮るように女の人達は更に言葉を被せてくる。
「手までベトベトなんだけど? ネイルしたばっかりなんだけどなぁ? どうすんのよ? ねぇ、おデブさん」
……やっぱり来てはいけなかったんだ。
周りの視線が痛い。怖い。
財布を手にして開けようとした――時だった。
「こんな人混みの中で女性三人で横一列に並んで、周りを見ずにくっちゃべって歩いていた君達の方がよっぽど邪魔なんじゃないの? 君達そんなに体ペラペラだと思ってる?」
お兄さんだった。
びっくりして顔を上げる。
「は? 何こいつ」
「謝れよ、この子に」
お兄さんは私の財布の手を止め、私の前に出てきた。彼の背中しか見えなくなった。どんな顔をして言葉を発しているのか私には分からない。
「な、何よ」
「お兄さん、もういいから……」
それを言うと彼はくるりと振り向きにこりと笑って見せる。言葉にはしなかったが「大丈夫」と口パクで言ったのが分かった。そしてまた女の人達に向き直ると更に彼は続けた。
「お前らみたいな中身ブスの女より、この子みたいな女の子の方がよっぽどマシだって分かんない? 可哀想なブスだな」
その声は、私の知っているお兄さんのものとは思えないほど、低く冷たく尖っていた。
「な、なにこいつ」
「どうしたの? ブスにブスって言うの、別に何の問題もないよね?」
「っ……いいよ、もう行こう」
それだけ言って何か一言二言呟いたようだったが、彼女達はそこを去っていった。
「大丈夫だった?」
彼が先程の怖いくらいのトーンから一転して優しい声をかけてきて、ゆっくりと顔を上げる。案ずるような目が私を見ていた。
精一杯の笑顔を作って見せる。
「あ、うん。大丈夫。お兄さんもごめんなさい」
ははは、と笑うも、彼は真顔だ。多分、作り笑いだとバレている。
「なんで優奈ちゃんが謝るの?」
「……デブで邪魔なのは本当のことだから」
少し顔を伏せるとお兄さんは頭をポンと撫でてくれた。
しばらく黙って、それから口を開いた。
「大人になると、少しずつ色々なことを見れるようになるんだ。まあ、中にはずっとそうなれない人もいるけど……あんな女達なんかより君の方がよっぽど可愛いから、自分にもっと自信を持って」
「……」
頭に置かれた温かい掌が冷えた心を溶かすようで、溜まっていたものが溢れ出してきた。
じわじわと涙が目の縁にたまる。
お兄さんは黙って小さなタオルを渡してきて、私の手を引いて目的地へと歩き出す。
その間、戸津もずっと黙っていた。何かを言いたそうにしていることには気付いていたが、自分の感情のコントロールができなくなっていてそれどころではなかった。
穴場スポットへ到着した。確かに少し離れてはいるが、人は少なく花火も上がればよく見えるだろう。近くに自販機とトイレもあるし絶好の場所だった。こんな時でもなければ、きっとはしゃいでしまっていたかもしれない。
鼻を啜り、このままではだめだと深呼吸をして涙を拭き、顔を上げた。
「二人ともごめんなさい。もう大丈夫だから」
お兄さんの肩の力が抜けたのが分かった。それから今日何度目かになる笑顔を向けてくれ、一方で戸津も困ったように笑った。
「じゃあ始まる前にちょっとお手洗い行ってくるね」
お兄さんはそう言って徒歩数分にある公衆トイレに向かう。
しばらく戸津と二人でいて沈黙があったが、少しして彼が口を開いた。
「よかったじゃねぇか」
「え?」
「お前のこと、可愛いだってよ」
「へへ、お兄さんは優しいから」
さっき言われた言葉を思い出し、そういえばそんなことも言ってくれていたなと思い返す。傷付いていたせいでその時はあまり気付かなかったけど、よく考えれば――
「確かにちょっと嬉しかった」
さっきまで泣いていたのが嘘かのように、心の中がじんわり温かくなっていった。
「中身か……」
戸津がふいに言葉にする。
彼を見ると、口元は笑っているのに、なんとなくその表情は少しだけ暗くみえた。
「俺はあんな奴らとまるっきり同じだったんだな。胸糞悪い」
「……」
「あーあ。もしかしたら、俺はまだなんも見えてないのかな」
それを言われて色々と思い返す。入学してすぐ付き合った可愛い彼女。『変わりたくないのか』とぶつけてきた言葉。小学校の友達に『こんなやつと恋人なわけないだろ』と言わんばかりに私に背を向けた姿。
「まあ、まだ割とそうなんじゃない?」
少し呆れたように笑ってしまった。
「お前も随分言うようになったな……」
彼は少し唇を尖らせてふてくされる
「あはは、本当の事じゃん。彼女さんも見た目で選んだでしょ?」
「……否定はしないな。ぶっちゃけ可愛い子の方がいいに決まってるもん」
正直なまでの本心。
目を細めて、まだ薄暗い空を見上げる。
「うん、そうだね。それは分かる」
私だってそう思う。見た目が悪いより、良いに越したことはない。
それってきっと人だけじゃない。料理だって、同じ味なら美しい方がほしくなる。多分そういうことなんだろう。今の私は多分、味も見た目もどっちもダメなんだろうけど。
「お兄さん言ってたね。大人になったらって。大学生になって社会人になって……もしも私がこのままデブでも、明るくていい子になれたら『それでもいい』って言ってくれる人現れるのかな」
振り向くとお兄さんがこちらに向かって歩いて来ているのが見えた。手を振ってみると、振り返してくれる。
「ちゃんとダイエットは頑張るけどね!」
笑って言い切ると
「案外近くにいるのかもな」
と、彼はさっきよりも明るく笑った。
悲しいはずだったのに。
今は戸津とお兄さん以外、人がほとんどいないおかげなのか、今は笑えているとそう感じる。
さっきの言葉には確かに傷付いた。でもそれでなんであんなに泣けたのか今になってやっと分かる。
頑張ってるからだ。
頑張ってるから悔しかったんだ――
その後は花火大会を存分に楽しみ、また人混みの中を帰っていった。
私が少しびくびくしているのもお兄さんは気付いていたらしく、優しく手を引いてくれる。今日は彼に触れられることが多くて嬉しいやら恥ずかしいやらで、嫌なこともあったけどそれさえもプラスに働いてくれている気がした。
三人で今日の花火大会の感想を言い合って、少し疲れたねとか楽しかったねとか、そんな当たり障りのないことを話して歩いて帰る。
お兄さんは家のすぐそばなので送ってくれるらしい。戸津も私の家より少し奥なので結果的に三人で私の家まで歩いて行った。
「今日はありがとう」
別れ際、玄関に入る前に二人の方を振り向いた。
「戸津も誘ってくれてありがとう。誘ってもらえなかったら多分行かなかったし。行けてよかった」
そう言うと彼は少しばつが悪そうにしながらも苦笑いして、掌を数度ヒラヒラと振った。
「お兄さんも助けてくれてありがとう」
お兄さんは相変わらず、柔らかい瞳をしていて「またね」と手を振ってくれた。
気持ちがほっこりしている。素直になれる自分もたまには嫌じゃない。
自分に自信があるわけでもない。でも今は、笑っていたい。
自然に笑ったら戸津がまた「気持ち悪い」とか言うのかなとか一瞬頭を過ぎったが、彼がそんな素振りを見せることはなかった。
しかし、夏休みが明けてから、そのあとの出来事を知ってしまう。
それは楽しかった一日の思い出を闇に変えてしまうことだった――




