第3話【二つの未熟②】
◆
翌日。
「食え」
戸津がそう言って私の机の上にコンビニの袋をがさつに置いた。代わりにテーブルに置いてあったゼリーは戸津に取られてしまう。
「何? これ?」
「飯だよ。食え」
袋の隙間からおにぎりが一つと、チキンサラダが一つ入っているのが見える。
「いらない」
そう答えると、戸津はおもむろに自分の席から椅子を引っ張り出してくる。私と春ちゃんが向かい合って食べているその横に、彼は椅子をつけ、乱暴に座り込んだ。
「食うまでどかねぇ」
「やだよ」
「食え」
「やだ」
「いいから、食え!」
戸津の語気が強くなった。
彼は袋を漁り、私の目の前におにぎりとサラダを並べる。
一体なんのつもりだ。
彼を睨む。
一触即発の私達を見て、春ちゃんが心配そうに私と戸津を交互に見ていた。だけど私だって簡単に折れるつもりはない。
「邪魔しないでよ」
「どいてほしいんだろ」
あくまでもどいてほしいなら食えと言う。なら私がどくまでだ。
そう思って立ち上がると今度は戸津が私の腕を掴む。
「ここで食え」
「やめてよ。なんで命令されないといけないの」
振り払おうとした矢先だった。思わぬ言葉が彼の口から漏れる。
「痩せたいんだろ」
え?
「痩せたいならちゃんと食え。話はそれからだ」
一体何を言ってるの?
そりゃ食べながらちゃんと痩せていく方が体にいいに決まってる。でもそれができないからこうして苦しんでるんじゃない。
「いや。おにぎりなんて。太る」
それを聞いて戸津はどこからか印刷してきた様々なインターネットの記事を机に叩きつける。
「見ろ」
適度な糖質制限、高タンパクな食事、低脂質の話――
まくし立てるようにされた栄養のプレゼン。あまりの圧に少し押され、言葉が出ない。
「あとは、体重が重いやつ……ってのは、無理な運動は心臓や関節に負荷がかかってよくねぇって話だ。だから、その……」
彼は思わぬ一言を放った。
「地元が一緒なんだ。お前がサボらないように一緒に『散歩』に行ってやる」
自分の耳を疑った。
嫌いな奴と散歩? 一緒に?
私の明らかに動揺する様子を見てか、彼も慌てて付け加える。
「言っとくけどずっとじゃねぇぞ。お前が痩せてくるまでだ。あとな、知ってんぞ。時々お前が無理に走ってるのは」
見られていた、という恥ずかしさで更にうろたえた。
だが確かに。戸津が言うことには無理がない。そのうえ理にかなっているし、一人なら続かないダイエットも助っ人がいれば続くのかもしれない。だけど、それがよりにもよってこいつなんて。
……それでも、時間がない。あと一年で痩せて、お兄さんに告白をしないといけない。
背に腹は代えられなかった。
戸津を見ると、彼は「乗るか、乗らないか」と尋ねてきた。
その質問には答えず、黙って机の上のおにぎりに手を伸ばした。ピリリと薄い袋をはがして、久方ぶりのお米を口にやった。
噛みしめると、お米特有の甘みがじわりと口の中に広がる。
こんなに甘かったっけ……?
「……美味しい」
独り言のように呟いたそれを聞いて、ずっと黙って聞いていた春ちゃんが満面の笑みになった。
「ね、優奈。ほら、サラダも食べよう!」
そう言って戸津が買ってきたサラダの蓋をあけて、ドレッシングをかける春ちゃん。
このやりとりを見ていた戸津は立ち上がった。
「俺はお前を痩せさせて自信をつけさせてやる。俺はそれで過去の行いを払拭する。交渉成立だ」
そう言って椅子を自分の席に戻した。
「あ、そうだ。連絡先も交換しようぜ」
「わ、分かった……」
言われるがままに連絡先を交換すると、まるで大きなことを成し遂げたかのように彼はガッツポーズをした。
「頑張ろうな! 細川!」
何故だか彼の笑顔は爽やかだった。
◆
「はい、今日は鶏肉の蒸し焼きと茹で野菜。あとお味噌汁ね」
食卓に並べられる彩り豊かな料理。一ヶ月もすると、変化した夕食は当たり前になっていた。温かくて美味しい食事に小さな幸せを噛みしめる。食べ進めていくと、スマホに通知が届いた。
「あっ、来たみたい」
最後のお味噌汁を慌てて飲み干し、お母さんの見送りを受けた。
玄関を出ると、壁に寄りかかる人影が目に入る。
「よっす」
その人影――戸津が手をあげた。
「うん、よろしく」
二人で歩き出す。
最初はこんな挨拶さえも緊張していたのに、いつの間にか普通になっていた。夕食後の一時間の散歩。さすがに一ヶ月もいれば話すことも増えてくる。ダイエットの動機もお兄さんの存在も既に話していたし、彼の恋人の相談を受けたりもしていた。
「ほら、もっと手を振って早歩き! 痩せて告白するんだろ!」
「分かってるてば!」
こんな言い返しもいつの間にかできるようにはなっていた。
「てか、聞いてくれよ。俺らの英語の先生ありえねぇんだわ」
「またその話?」
心拍数が軽く上がる程度の早足をしながら、何度目かになる愚痴を聞かされる。
「相変わらず可愛い女の子ばっかり優しくて、俺らにはすぐ機嫌悪くなるんだぜ。やってらんねぇ」
英語のクラスは三段階に成績順に割り振られている。そのうち、中レベルクラスの英語の先生は男性で、贔屓が酷いのは私達生徒の中では有名な話だ。まだ学校のあれこれに慣れてない彼はずっとその人の愚痴を言い続けている。
「それなら上レベルクラスになるしかないんじゃない? それか下に落ちるか」
「下はパス。医学部目指す以前の問題になるだろ、そんなの」
大げさにため息を吐いている。
元いじめっ子の彼が医学部を目指すなんて、と最初話を聞いたときは心底驚いた。
けれど戸津は、私が想像するよりも真面目で、目標に対してストイックだということを今は知っている。
恋の相談一つとってもそうで、良くも悪くも真っ直ぐで、馬鹿正直だ。
根は、悪いやつじゃないのかも。
なんて、少し頭をかすめることもある。
こうして学校の話をしている最中に、少し先の街灯の下に、数人の男子がたむろっているのが見えた。
こちらに気付くと、手を振ってくる。
「あれっ、戸津じゃん! って、太川も?」
足を止めた。なんとなく見覚えがある顔を認識して、思わず顔を伏せる。
小学校の……!
体が急に強ばった。手に汗が滲んでくる。
「なんだ、久しぶりに会ったと思ったらお前ら付き合ってんの?」
冷やかすような声が耳に届く。勝手に手が震え、皮膚に爪が刺さるほど拳を握りしめた。
「久しぶりがそんな挨拶かよ。ったく、ちげーよ。俺の彼女はこっち」
元同級生の問いに対して、戸津はスマホの画面を見せた。
「うわ、すっげぇ可愛い!」
そこにいた私以外の全員がスマホに釘付けになった。
彼らの背後で一人で黙って佇む。急に止まったせいなのか、心臓がいつもよりも速くなっている気がした。
分かってたはずだ。戸津にとっては散歩はボランティアで、私なんかを恋人と思われたくないというプライドがあると。戸津の彼女が可愛いのは周知の事実で、競おうとか、比べようとかそんなおこがましい考えはない。でも、彼の無意識のその対応に嫌でも胸が詰まる。
「……今日、先に帰るね」
小さな声で呟いた声は届いておらず、久しぶりの再会に花を咲かせる彼らを後ろに急いで去っていった。
痩せても、誰も私なんかの隣には立ってくれる人はいないのかもしれない。そう思うと、少しだけ視界が滲んだ。




