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第3話【二つの未熟①】

 翌朝、スマホのアラームが部屋に鳴り響いた。

 ぼんやりと宙を見つめるが、自然と瞼が閉じていく。


 ああ、ダメだ。起きないと。


 心の中で呟くと息を吸い込んで、気合いで目を見開き上体を起こした。

 昨夜考えたダイエット計画のノートを開く。朝は筋トレ、縄跳び。夜は放課後にジョギング。理想的なメニューだ。


「よしっ、やろう」

 眠気からくる胸の気持ち悪さを覚えながらも着替えた。


 しかし――いざ体を動かすと、約〇・一トンの肉体が膝や腰にのしかかった。


「きっつ……」


 関節も筋肉も悲鳴のような軋みを上げる。たった数分しか動いていないのに、全身から汗が湧き出た。吸っても吸っても酸素が足りない。

 やっとメニューをこなすと、すぐにシャワーを浴びに行けずに床に座り込んだ。ポタポタと汗がしたたり落ちる。


 まだ大丈夫、きっとやれる。


 弾けそうな胸を手で押さえ込みながら自分に言い聞かせた。

 その後も歩く度に下半身へ痛みが走り、ずっと鳴っているお腹を押さえながらいつもより時間をかけて登校した。




 昼食はコンビニで買ったノーカロリーゼリーを一つ鞄から取り出す。一緒の机で食べようとしていた春ちゃんがそれに驚いて「えっ」と声を漏らした。


「お昼それだけ?」

「うん」


 早朝の運動後に加え、朝食まで抜いた体は、カロリーが欲しいと私に訴えてきていた。

 春ちゃんのお弁当は色とりどりでそれだけで食欲を刺激する。小さくお腹が鳴った。

 ゼリーを一口頬張る。


 ないより、マシ。


 そう思ったが、さっきよりも少しだけ大きくお腹が鳴った。


「どうしたの急に?」

 それを尋ねられながらも、大事に大事に、二口目を口に入れた。


「ダイエットしようと思うの」

 その言葉に、春ちゃんは目を見開く。


「ダイエット? 突然どうしたの?」

 昨日お兄さんに言われたこととダイエット内容について語る。すると彼女は気難しそうな顔をして、顎に手を持っていき何か考える仕草をした。


「ねえ、優奈。それやり方がきっとよくない」

「え?」

「痩せる前に優奈の体が壊れちゃう」


 彼女の声のトーンが少し低くなる。僅かな沈黙が流れる。

 しかし、それを打ち消すように声をかけられた。


「春ちゃん、優ちゃん。お菓子持ってきたの。よかったらどう?」

 同じクラスの友達が個包装のクッキーを配っていた。


「あっ、私は……」

 首を横に振る。驚かれ、どうしたのかと尋ねられたが、苦笑しながら「なんでもないよ」とだけ返した。彼女が去っていくと春ちゃんは怪訝な顔を見せた。


「優奈……」

「大丈夫! 脂肪なら沢山あるから!」

「そういう問題じゃ……」


 この話題から逃げ出したくて、最近買った漫画の話を切り出した。

 



 放課後。

 なんとか家に帰れたものの、吐き気と冷汗が出て、手足が小刻みに震え続けていた。


「気持ち悪い……」

 ほとんどジョギングにならない歩みで道を進んだ。

 夕飯はサラダだけ食べて、多少気持ち悪さはマシになったがお腹は鳴り続けている。親に忠告されるも聞く耳は持たなかった。

 疲れているはずなのにお腹が空きすぎて全く眠れない。なんとか眠るも、結局夜中の二時に目が覚めた。




 数分後――


「ああ……」

 私は空になったお皿を見て呆然とした。

 キッチンの上にはインスタントラーメンの空き袋が転がり、使用済みの鍋が置いてあった。

 止めることのできなかった食欲。酷い後悔と罪悪感で胸がいっぱいになった。


 私は、ダイエット一つ、まともにできないのか――

  



 翌日以降、間食を完全にやめた。運動も続けた。食事制限もした。毎日体重は減っていく。


 なのに……


「疲れた……」


 まるで鉛が体中に巻き付いているようだ。


 酷いなこれ……


 鏡を前にして思わず目を逸らした。ニキビ、肌荒れ、ガサガサの唇。

 それでも一週間で三キロ落ちた、という事実だけがなんとかアンバランスな心の支えになっていた。


 学校に行く足取りは重く、ここ数日授業も集中できない。

 昼は春ちゃんに痩せたよと報告して、恒例のマスカット風味のゼリーを取り出す。薄緑色の半透明のそれは匂いだけは一人前だった。

 彼女はそれを見ては毎日、眉間にシワを寄せる。


 そんな時だった。


「お前、ダイエットしてるの?」


 戸津が学食から戻って来たらしく、私の『昼食』を見て尋ねてきた。最近話しかけられていなかったので体を硬直させると、恐る恐る顔を上げる。

 彼の瞳は軽蔑に溢れ、見下すように眺められていた。


「そうだけど」

 何か文句あるの? そう心の中で付け加える。

 それが通じてしまったのか彼は鼻で笑った。


「ダイエット前の方がよっぽどマシだな」

「え?」


 突然放たれたトゲのある言葉が胸を刺した。


「何言って……」

「今のお前、鏡で見たか? すごい不細工になってんぞ」


 食べかけのスプーンに乗せていたゼリーが、机の上に落ちた。


「あっ……」

 ティッシュ、出さないと。

 戸津の言葉に反応することもなく、スカートのポケットからティッシュを取り出す。それから一枚引っ張り出すと失敗して途中で破けた。

 破れちゃったと一人で笑って呟き、もう一度ペーパーを抜き取る。そしてそれで落ちたゼリーを拭った。

 ゼリーを覆っている液体が、ティッシュにじわりと染み込む。


「優奈……」

 その状態で固まってしまった私の耳に春ちゃんの声が届く。


「え?」

 顔を上げると彼女が口を結んでジッと見つめてきていた。彼女がいつもと違う態度を取った事に気付いてから、初めて自分の異変を認識した。


「あ……」

 感情を押し殺すことなんて造作もないはずだったのに。どうやら中学三年間でぬるま湯に浸かりすぎたらしい。

 涙が頬を伝って口の中に入った。さっきまで食べていたマスカットの味は塩味に変わり、掌のペーパーの中でゼリーは音もなく潰れる。

 横で黙って私と春ちゃんのやり取りを見ていた戸津が口を出した。


「なあ、お前、変わりたいんだろ? 俺に何かできることねぇの?」

 それに対して何も発せられなかった。食欲も失せ、鳩尾みぞおちに色んな物が詰まっていく感覚がした。


「あ、っそ。また無視すんのね」

 そう言って戸津は席に座ってスマホをいじりだした。

  



 それから午後の授業はよく分からないまま終わり、ぼんやりしたまま帰宅した。

 今日はお兄さんが来る日なのに浮かれることもできない。勉強中も上の空なのは自覚があった。


 その様子に彼が気付かないはずがなく、

「大丈夫? 顔色あんまりよくないけど」

 と、顔を覗き込まれる。


「えっ、あ、ああ。ごめんなさい。大丈夫」

「少し休憩しようか」


 微笑んでくれる。いつもならそれだけで元気になれるのに、今は全くと言っていいほどテンションは上がらない。


「あのね。お兄さん」

 怖々と切り出す。


「最近ね、少し痩せたんだよ」

 目をちゃんと合わせられない。


「うん……そうみたいだね」

「ちょっと可愛くなったかな?」


 そう尋ねるとお兄さんは苦笑した。その表情を見て、暗闇に突き落とされる感覚を覚えた。


「ね、優奈ちゃん。ちゃんと食べてる? お母さんも心配してたよ?」

「食べて、ます」

「そう……」


 彼は口元に笑みを浮かべながら静かに呟く。


「今日はもう疲れちゃったし、また来週にしようか。ね?」

「うん……」


 そうして今日の勉強は早めに終え、お兄さんを玄関で見送った。


 何が間違っているの?


 ベッドに腰かけて自問自答してみるが、回らない頭では何も答えを見つけることはできなかった。

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